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【素直じゃない】
 




「────それで、さすがの俺も根負けして、たまには相手をしてやるかと思った。俺にとってそいつなんていてもいなくてもどうでもいい女だが、気が向いた時くらいは普通に口を利いてやってもいいかと思った。武士の情けというやつだ」
「はあ」

短く返事をする名無しに、三成が形の良い眉をキリリと吊り上げる。

「するとどうだ。人がちょっと情けをかけてやろう、優しくしてやろうと思った途端、その女はコロッと態度を変え始めた。俺がどれだけ追い払っても三成、三成ってしつこくまとわりついてきたくせに、俺の事を避け始めた」
「…うん」
「ここに移ってきた当初は俺くらいしか話す相手がいなかったのだろうが、城にいる期間が長くなるにつれて他の人間とも知り合う機会が多くなったからだろう。その女は俺以外の男とも交流を持ち始め、俺といない時にそいつらと過ごす時間が増えていった」
「……うん……」

どう答えて良いのか分からず神妙な顔付きで男の話に耳を傾ける名無しに、三成は話を続ける。

「せっかくこっちから声をかけてやっているというのに、やれ『ごめんなさい、今日は幸村と一緒にご飯を食べる約束をしているの』だの、『長政に誘われたから、週末は長政と一緒に遠乗りに出かけてくるね』だの、他の男の名前をポンポン出してくる始末」
「……?」
「挙げ句の果てに、前から散々見たい芝居がある≠チて言っていたから人が気を利かせてそいつの分まで切符を用意してやったら、『前からずっと見に行きたかったお芝居、左近が今度の土曜日に連れて行ってくれるんだって!嬉しい!!』と俺の前で満面笑顔で言ってのけるときたものだ」

過去の記憶を思い出すように、三成が怜悧に整った瞳を細める。

それと同時に、名無しの記憶の中でも何かがグラグラと揺らめく。


なんだろう、この話。


所々曖昧になっている部分があるけれど、三成の語る内容にどことなく身に覚えがあるような……?


(そう言えば丁度先月の終わりくらいに、私もたまたま左近に誘われて隣町まで芝居を見に行った事があったなあ)


自分が知っているのとは別で、他にもどこかで面白そうな芝居がやっていたのだろうか?


「正直、俺はその芝居なんてどうでも良かった。俺には興味のない内容だったから。でも、そいつがどうしても見たいって言うから……」

一部の隙もなく整った男の顔に困惑の色が浮かぶ様を、名無しは驚いた顔付きでまじまじと見つめていた。

「だから席を取った訳であって、わざわざ自分一人で見に行く必要はないし、他の奴と見に行くつもりもない。おかげで俺が高い金を払って入手した切符はただの紙切れ同然。そいつと芝居を見に行く為に空けておいてやった時間も、全てが水の泡だ」

名無しを射抜く三成の眼光に、切れるくらいの怒りがよぎる。

窓から差し込む明るい日の光の下、正面から見つめてくる男の眼に、名無しは自分の心の奥底まで全てを覗き込まれているような感覚を抱く。


「訳が分からん。結局、俺と何がしたかったんだ。俺に何を求めているんだ。これ以上、俺にどうしろって言うんだ?女の気持ちなんてさっぱり分からん」


何かとても重い物を秘めているような三成の言い方に、彼の言葉をちゃんと聞かなければ、と名無しは息を飲む。

だが三成が何を言おうとしているのか、名無しには男の意図する所が読み取れない。


「なんなんだ、こいつ。なんなんだ、女って!」


言い様、三成は避けてあった硯に手を伸ばして自分の元へと引き寄せると、墨を水で磨りおろして墨汁を作る行為を再開させた。

普段よりも力のこもった動作でガシガシと墨を磨る男の姿を、名無しの瞳が呆然と見る。

「……どういう事?三成」
「なにがだ」
「私、三成の事だからてっきり『女とは』みたいに一般論の話をしてくれているんだと思って聞いていたんだけど。ひょっとして、特定の女の人の事を言っていたのかなって」
「!!」
「ねえ、三成。……誰の話?」

一般論の話をしていたはずなのに、途中から論点が切り替わり、いつの間にか誰か特定の人物の話になっていた。

その事を名無しに指摘された三成は一瞬唇を開きかけたが、名無しの問いには答えず、紡ごうとした言葉を飲み込んだ。


「別に……。お前の言う通り、単なる一般論だ」
「そうなの?」
「……そうだ!」


言い様、ジロリ、と名無しを睨む、何やら物言いたげな三成の眼光。


その瞳の中に、どこか傷付いたような色が混じったように見えたのは、名無しのただの錯覚だろうか?


「でも……、さっき三成、そいつ≠ニかこいつ≠チて言ってたよ」
「……。」
「そういう言い方するって事は、やっぱり誰か≠フ話をしていたんじゃないの?」

心配そうな眼差しで、名無しが三成の顔を覗き込む。

誰かと喧嘩でもしたんだろうか。三成のような男性でも、人知れず何か悩んでいるような事でもあるんだろうか。

そう思い、真摯な瞳でじっと男を見つめる名無しの言葉に耳を貸そうともせず、三成が眉を吊り上げる。

「もういい」
「えっ…。どうして?」
「どうしても。お前とこれ以上話をしたくない。それだけだ」

強い口調で断じる三成に気圧されるようにして、名無しがビクリ、と体を震わせる。

「……なんでそんな冷たい言い方をするの?三成」
「……。」
「ねえ……、三成。そんなに私って相談しにくいタイプかな。頼りない感じに見えるかな?」

男の返答を、自分という存在に対する拒絶の言葉だと受け取ったのだろう。

こんな自分では、大切な人の心の支えになる所どころか、悩み事一つ聞く事すら出来ないのか。

「……ああ。そうだな」
「……そっか……」

三成の言葉に、名無しがしょんぼりとうなだれる。

心底哀しんでいる響きのある名無しの声に、三成は忌々しそうに舌を打つ。


「────おまけに鈍いんだ!」


そう言い放つや否や、三成は完成した分の書類を抱えて勢い良く立ち上がる。

名無しを見下ろす三成は、いつも通り氷のように冴えた美しさを備えるクールな美男子だ。

だがその中に、注意して見なければ分からないくらいの僅かさで、頬だけが彼の乱れた心の内を表しているかのようにほんのりと赤く染まっていた。


「えっ…!ちょ、ちょっと!三成……!?」


慌てた声で男を呼び止めるが、もう遅い。


三成の姿を追うようにして振り返った名無しの視線の先で、廊下へと続く障子の戸がピシャリと閉まった。



─END─
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