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【素直じゃない】
 




「男の人って、難しいなあ」

仕事の途中で不意にポツリと漏らされた、名無しの台詞。

意味が分からず、三成が怪訝な顔をする。

「……は?なんだ急に。改まって」
「だって…。殿にはすでにおねね様っていう奥様がいらっしゃるのに、どうしてあんなにもしょっちゅう他の女性と浮気しちゃうんだろう」

三成の問いに、心底疑問でならないといった口調で名無しが述べる。

名無しと三成が仕える主・豊臣秀吉は、希代の女好きで知られていた。

非常に頭が切れ、度胸もあり、人の上に立つ資質を持つ優れた人物として名無しは自らが仕える秀吉の事を『立派な方だ』と心底尊敬している。

だが、それと同時に彼女の正妻であるねねに対しても同じくらいに敬意を払っていた。

その為、一人の武将・主君としては秀吉に深い忠誠心と信頼を寄せつつも、事ある毎にねねの目を盗んではあちらこちらの女性に手を付ける秀吉の姿を見ていると、さすがの名無しも同じ女性の立場としてねねの味方をしたくなる。

『んもう!またよそで悪さしてきたのかい、お前さま!』

そう言って秀吉を叱るねねの気持ちに共感し、彼女と一緒になって秀吉を責めたくなった経験は一度や二度ではない。

「おねね様みたいに美人でスタイルも良くて気立ても良い素敵な女性が自分の傍にいてくれるなら、私だったら絶対おねね様以外の女性なんて目に入らないのに」

名無しは、ねねに対する憧れと尊敬の念を素直に表現しながら溜息混じりに呟く。

「別にそんなの不思議でもなんでもない。簡単だろう」
「えっ?なんで?」

どの部分が簡単≠ネのかよく分からないままに、名無しが三成に問いかける。

「浮気は男の本能だから」

それに対する、なんとも端的な三成の回答。

「生物学的に、男は自分の子孫を残すために一人でも多くの女に精子をばらまく必要がある。女房と畳は新しい方がいい≠ニ昔からよく言うだろう。どんなにいい女と付き合っていようが、世界一の美女を妻にしていようが、新しい女が目の前をウロウロしていたら浮気したくなるのは男の性だ」

そんなの当たり前の事だろうと言いつつ、三成は筆を走らせていた手を一旦止めて、名無しの顔をチラリと流し見る。

「それって、本能だから仕方ないって事…?」
「まあ、そういう事になるな」

本能だと言われてしまえばそこまでのような気もするが。

しかし、黙って頷くのも躊躇われ、やっぱり納得出来ないと言いたげな様子で名無しが尋ねる。

「じゃあ、私達女は男の人に浮気されても黙って耐えなければいけないっていうの?」
「そうは言っていない。腹が減ったから万引きした、ヤリたかったら強姦したっていうのが全て許されるかと言えば話が別だろう」
「あ……。確かに」
「本能を抑える為に理性が存在する。男がそういう生き物だというのは理解した上で、自分の男がその本能を理性で抑えられる男かどうか。そうではない男だと分かった時どうするかはお前達女の自由意思に委ねられている」
「……そっか」
「浮気する・しないを男が決めるというのなら、それを許す・許さないは女が決める。逆の立場の時もまた然り。要は自分も相手も納得しているかどうか。単純な話だ」

平静な、けれども他人を説得する事に慣れた声で念を押され、名無しはコクリと頷いた。

根っからの浮気性でねねを妻に迎えてからも相変わらず他の女性の尻を追い回すのが大好物の秀吉だが、正妻であるねねに対して他の女性とは違った特別な愛情を抱いているのは事実のようで、どれだけ多くの女性と浮き名を流そうとも最後には必ずねねの元に帰っていた。

ねねもそれが分かっているからこそ、夫の浮気癖に呆れながらも『しょうがないねえ、お前さまは』と言って最終的にはそんな夫を許しているように思えた。

一見問題のありそうに見える男女関係でも、当事者同士が納得済みであり、互いの存在を認め合っているのであれば、案外普通のカップルや夫婦よりも上手くいっているという事もある。

なんだかんだ言いつつ深く愛し合い、普段から仲睦まじい様子が伺える秀吉夫妻なら、名無しのような部外者が口を挟む必要はないのかもしれない。

「俺から見れば、お前達女の方がよっぽど分かりにくくて面倒臭いがな」

吐き捨てた男の双眸が、唐突に目の前にいる名無しへと投げられた。

甘さのない整った容貌に真正面から挑まれている事に気付き、名無しはビクリ、と小動物のように身をすくませる。

「め、面倒臭いって、例えば?三成、女の人に……何かされたの?」

茶化すつもりでも何でもなく、心底心配して聞いているかのような名無しの訴えに、三成が煩わしそうな溜息を吐く。

男は苛立たしげな手付きで書類を片付けて机の端に寄せると、鋭利な双眼で名無しを見つめた。

「俺は必要以上に他人にベタベタされるのが嫌いだし、馴れ馴れしくされるのも嫌いだ」
「うん」
「自分がそうだから、俺が自分から他人にベタベタする事などないし、馴れ馴れしく接する事もない」
「うん。知ってる」

静かな男の声音の中に、どこか押し潜めた怒りの気配を感じ、名無しは緊張感から唇を引き結ぶ。

どうやら名無しの『何かされたの?』という質問は、三成の心の奥底に眠っていた何かの棘をダイレクトに刺激したらしい。

咄嗟の話題転換とはいえ、尋ねたのは自分だ。

どんなに辛辣な意見が返って来ようとも、彼の話を真面目に聞かなくては。

「それなのに、世の中には俺がどれだけ素っ気なくしても全然効果がない神経の図太い女がいる。冷たくしてもめげないし、邪険にしても必死で縋り付いてくるし、邪魔だと言っても懐いてくる」
「うん」
「廊下で会った時に俺が露骨に嫌そうな顔をして見せても、全然気にする素振りを見せない。相変わらずニコニコ笑顔で俺に話しかけてくるし、俺の傍に走り寄ってくる。嬉しそうな声で俺の名前を呼んでくる」
「……そ、そうなの?」
「そうだ」

聞き返した名無しに、三成がこれ以上なく不愉快そうに舌打ちする。


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