夏の刺すような日も生い茂った木々に遮られ幾分か和ぐ。日が差さない分、山の中はひんやりとしていた。重なる葉の僅かな隙間から零れた光が斑を描く石畳みの階段を名前と幸村は上っていく。先を行く名前と後に続く幸村との差は石段五つ分。浅黄色の小袖が揺れている。幸村は目の前の背を不思議な心地で見上げた。名前は幸村の後方に控えるのが常である。あまり見ることのない後姿が印象的だった。幸村が足を止めると名前はゆっくりだが徐々に遠ざかっていく。何故か幸村は言いようのない不安を覚えた。
「名前」
名前は振り向く。
「見つけられなくなるから、あまり遠くへ行くな」
はて、何のことやら。幸村自身よくわからなかったのだから名前は理解できないだろう。案の定、名前は首を傾げている。どうしてそんなことを言い出したのか。名前が自分や武田を置いてどこかに行くわけないのに。
「もしも私が遠くに行ったなら、幸村は探してくれるの?」
「探すに決まっている」
名前が行方不明になったら必死になって探すだろう。名前に幸村の眉間に皺が刻まれるが彼女はくすくす笑っている。
「探してくれるのね。ありがとう。でも、見つからなかったら諦めていいのよ。遠くまで行ってはいけない」
「何を言って…」
「貴方まで迷子になってしまうから」
名前がしゃがんだことによって視線がほんの少し近くなる。笑んでいるのに寂しそうであった。急に日差しが強くなって視界が眩む。幸村は薄く目を開いたが、太陽を背負った名前がどんな表情をしているかわからない。幸村の身体が傾いて足を踏み外す。名前、と呼んだ声は白日に溶けた。
幸村は薄暗い部屋であぐらをかいて座っていた。少しでも涼を得ようと戸は開け放っている。溢れる光が夏草を輝かせ、空には入道雲が流れている。蝉の鳴き声が耳を打つ。直射があたらないといえ部屋は暑く、じりじりと這うような熱に幸村の額には汗が浮き出る。二度ほどゆっくりと瞬きを繰り返す間に汗が滴り、膝に乗せていた手の上に落ちた。幸村は身体を丸めて掌で顔を覆う。呻きのような声で呟く。
「だから、遠くに行くなと言ったのに…」
鳴くや哀しと白夏は逝く
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お題、夜空にまたがるニルバーナ様より
「鳴くや哀しと白夏は逝く」使用