身体中、指先にまで巡らせていた緊張感を解くと竹刀の切っ先は地面に向いた。私とは対称的に緩く構えていた一君も自然体になる。
「どうした名前。何か不備でもあったか」
「これじゃ稽古にならない」
「何故だ」
「一君が真剣に相手をしてくれないから」
憮然としながら言えばそんなことはない、と一君は反論した。稽古つけてほしいと頼んで道場に連れ出したまではよかったが、一君は私の攻撃を避けるだけで打ち込んでこない。手を抜いてるとしか思えなかった。
「私が女だから適当なのか?」
自分で言っておきながら頭に血が上りそうだ。私に負けたやつは女だから手加減したんだ、女相手に本気出しても仕方ないだろう、と言い訳ばかりしていた。一君もその類いのやつらと一緒なのか?一君は誰であろうと真剣に向き合ってくれる人だと思っていたのに。
「違うそうじゃない」
「じゃ、なんで」
「あんたに怪我させたくないんだ」
「はぁ?」
「あんたを傷つけたくない」
まさかの言葉に目が点になる。しかし、一君はいつでも真面目だ。いや、稽古で怪我をするのは仕方ないと思うのだけど。むしろ真剣に取り組んでる証拠じゃないか?
「そうはいっても避けられてばかりじゃ話しにならない」
「それはわかってるが万が一ということもあるだろう。名前は女なんだ。嫁入り前の身体に傷はつけられない」
一君の言葉に漸く合点がいく。嗚呼、そうか。女だからと馬鹿にしているのではなく、女だからこそ気遣っているのだ。そこに侮蔑の感情など含まれていない。そうだ、一君はそういう人だ。歯痒さを感じなくもないが、私のことを考えてくれているのは純粋に嬉しい。
「生傷なんてしょっちゅう作ってるんだから今更気にしないけどね」
「名前」
「ふふ。ありがとう。でも私が一君に頼ったのは理由があるんだ」
「理由とは?」
「剣の達人である一君なら手加減とかそういった微調整が出来るだろう?」
残念なことに、私は誠衛館の中でも弱いほうだ。故に加減というものを知らない新八や総司を相手にしていたら確実に大怪我する。適度に力を抜きつつ、的確な指導をくれるのは一君ぐらいだ。
「一君を信頼して頼んでんだ」
「俺を?」
「そう。一君だから。でもいくらなんでも加減しすぎで稽古にならない」
適度にお願いします、と頼んでみる。こうも注文が多いといくら一君でも機嫌が悪くなるかもしれない。ちらっとその顔色を窺った私の目は再び点になった。機嫌を損ねるどころか一君は微笑していたのだから。
「一君?」
「あんたに頼られて悪い気はしない」
「めんどくさいこと押し付けてごめん」
「謝る必要はない。この役目は他のやつらには譲れないからな」
「譲れないも何も一君しか出来ないよ」
そう言うと一君はさらに表情を綻ばせたのだ。
俺の特権
(この役目だけは誰にもやれない)
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誠衛館時代、初めての二人っきりで稽古という設定です。