穏やかな昼下がり、私の元を訪れた彼らはその空気に似つかわしくないひどく真摯な眼差しで私を見つめ、そうしてこう言った。

「先輩…紅を貸してください!」
「へ?紅?」

一体何を切り出されるのかとこちらも少々身構えていた反動で、飛び出た声は我ながら何だか間が抜けていた。
しかしそんな些事を気にすることもなく至極真面目な表情で頷くのは、同じ委員会に所属する後輩鉢屋三郎である。

「紅って…あの紅?化粧道具の?」
「そうなんですよ。その紅です」

溜息混じりに答える尾浜勘右衛門の後ろで、どこか疲れたように肩を落としているのは竹谷八左ヱ門。通常二割増程だろうか、困り顔の不破雷蔵に、こちらはあまり普段と変わりないようにも見える久々知兵助が並んで立っている。要するに五年勢ぞろい、である。
いやまあそれはいいんだけどさ。いつもの事だし。それよりも気になることは、だ。

まあお入りよ、と私は部屋の中に後輩たちを招き入れる。
部屋自体は長屋の他のものと変わりないが、同室者がいない分余裕がある私の部屋は、五年五人が入ったところで別段窮屈さは感じない。
五年生たちも慣れたもので各々好き勝手に自分の定位置と定めた場所に腰を落ち着ける。
毎度の事ながら私が座るといつの間にか右隣には三郎がいて、左隣には今日は兵助が座っていた。

「今日は兵助か」
「俺じゃ駄目ですか先輩」

やたらと大きな目で見つめられて思わずごくりと唾を飲んだ。兵助にしろ勘右衛門にしろ、い組は目が大きい分見つめられた時の目力が半端無い。ていうかこの子ら私より目が大きいんだけど。

「へ?駄目じゃないけど別に。兵助が隣に来るのは久々だなーとは思ったけど」

五年と一緒にいると、何故か右隣は三郎固定だけれど左隣に並んでくる顔はその都度変わる。
勘右衛門や雷蔵が多いような気がするけれど、何か決まりでもあるんだろうか?
別に私は誰が隣でもいいんだけど。
首を傾げつつそう言えば、兵助は「じゃあ俺でもいいんですよね?」と嬉しそうに笑った。
え、何この可愛い生き物。思わずわしわし撫でれば、兵助がじゃれ付くように抱きついてきた。長い黒髪が尻尾のように大きく揺れる。

「あー!ずりぃ!兵助!」
「八、声が大きいよー」
「あだッ!」

顔を向ければべしり、と雷蔵に引っ叩かれて若干涙目の八左ヱ門が膨れっ面でこちらを見ていた。
ごめん八左。何か構って貰えなくて拗ねてる大型犬みたいだよ君。

「……そういや八左はあんまり私の横来ないね。何で?あ、もしかして私の横は嫌」

なのかい?とふと思って口にしたのだが、言い終えるより先に八左は身を乗り出して否定した。

「そんなわけないじゃないですかァァ!」

涙目のままでの反論は正直可愛かった。私のなけなしの母性本能的な何かを擽られる程度には可愛かった。

「俺だって…俺だって先輩の隣に座りたいけど…。座れるものなら座ってますよ」

いじけるように床にのの字を書き始めた八左ヱ門に級友たちは「うっとおしい」と一刀両断する。愛情の裏返しといえばそうだけれど、さすがに少し可哀想になって、日に焼けて少し痛んだ髪を撫でた。

「じゃあ次は八左の隣に座るよ」
「え、本当ですか!?」

ぱっと顔を上げた八左ヱ門はそれまでのいじけっぷりはどこへやら、何故か輝いていた。

「約束ですよ!」
「う、うん。約束する」

正直そんなに食いつかれるとは思っていなかった私は、八左ヱ門の勢いに若干引いた。いや、物理的にね?心の距離じゃないよ!

「で、何だっけ。紅?」

指きりまでした後で逸れに逸れた話を戻すと、三郎が「ああそうだった」と言わんばかりの顔をした。

「ええ、そうなんです。先輩なら持っているんじゃないかと思いまして」
「んー…紅ねえ…」

この場合の「先輩なら」という三郎の台詞は、念のために解説すると私が女だから、というわけではない。実習で女装をする以外に、上級生となると忍務で学園外に出た際に変装することもある。その際、時と場合そして目的にもよるが最も怪しまれない変装が必要となるわけで、つまり私のであれば。

「朔は女装はしないぞ!」

突如割って入った大音声に、全員が全員、びくりと肩を跳ねさせた。一斉に振り向くと、何故か仁王立ちで堂々と我々を見下ろしている級友がひとり。

「な、七松先輩…」

珍しいことに三郎の声が少々引き攣っている。他の五年生たちはそれぞれ異なる表情をしていたけれど、全員に共通して滲む隠しきれないものがあった。
即ち。
『ゲッ!』って顔が出てるよお前たち…。気持ちはわからなくもないけどさ。
しかし忍術学園の誇る我らが暴君はそんな視線を一斉に集めた所で気にもするはずがない。部屋の主である私に断りを入れることもなく、ずかずかと輪の中に加わってきた。

「……小平太」

迷うことなく私の隣にどかりと腰を下ろした小平太は「ん?何だ?どうした?」と上機嫌だ。
いや、うん、あのさ、お前が押しのけた兵助が思いっきりひっくり返ってるんだけど……。五年が皆兵助に哀れみを向けてるんだけど。

「朔?」
「……何でもない」

いつもの事と言えばいつもの事だ。後で兵助には私が謝っておこう。そう心に決め、溜息を吐くに留めた私に、何故か五年生から同情滲む視線が寄せられる。
わー…何だこの居たままれなさ。

「で?何の話をしていたんだ?」
「え。お前何の話かわからないのに入ってきたの?」

呆れてそう言えば、小平太はからからと笑った。

「紅がどうとか言うところは外から聞いた。でもそれと朔の女装がどう絡むのかは知らない」

バレーしようと思って私を誘いに来た所で、ちょうど話が聞こえたらしい。バレーよりも面白そうな気がしたから話に乱入してみたという。
ちなみに、小平太がこの話をバレー以下だと判断していたならば、私は強制的に話打ち切りの上バレーに参加コースだったはずだ。どちらが幸せでどちらが不幸だったのか、実はそれが微妙なところであるなどとこの時の私は知る由もない。
それはさて置き。

「違うよ小平太。私の女装の話じゃなくて、三郎たちは私に紅を持ってないかって聞きに来たんだ」

女装云々は、私ならば女装する機会も多かろうという推測から、ならば私の所に行けば紅の一つや二つあるだろうという結論だったのだろう。だかしかし。

「朔先輩、女装なさらないんですか?」

意外そうに目を丸くしたのは、見事小平太に場所を奪われた兵助だ。

「あー…うん。しないねえ」
「え、でもさすがに化粧道具は持ってる…でしょう…?」

躊躇いがちに口を開いた雷蔵に、少し困ったような顔を向ける。

「それがね、今持ってないんだよ」

がくりと肩を落とす後輩たちに何だか申し訳ない気持ちになる。

「あの、ごめんね?期待に添えなくて」

数日前なら手元にあったんだけどなあ。一瞬。

「一瞬、て何ですか一瞬て」
「この間さ、父様が来たんだけどね」
「はあ」

何だか気の抜けた相槌を打つ三郎は、ここで飛び出した第三者の存在に「それがどうしたんですか?」と首を傾げた。

「その時に、あのひと土産だって言ってやたら気合の入った化粧箱持ってきたんだよねえ」

即座に笑顔で付き返したけれど、こんな事になるんなら受け取っておけばよかったなあ。一体何時どこで何が必要になるかわからないものだ。
しかしここで、私はふと気付いて三郎を見た。


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