ごろりと床に転がり、七松小平太は見るとはなしに天井を仰いだ。 授業はない。天気も良い。だというのに、動く事が億劫で、バレーをしようという気分にもならない。 かといって、昼寝もできやしない。ごろり、ごろり。意味なく寝返りを打てども、睡魔などやってこない。 部屋の中は、静かだった。 小平太ひとりきりというわけではない。同室の長次は先ほどから小平太に背を向けるようにして文机の前に座っている。 元々長次はあまり喋らない。普段なら、小平太がかしましく喋っているか、そうでなくとも長次との沈黙は苦になるような類ではなかった。 だけれども、今は何故か少しだけ居心地が悪い。もやもやと、胸の奥を塞ぐ何かがあって、それが気持ち悪かった。 「……なあ長次」 ぴんとまっすぐに伸びた背中に声を掛けた。きっとまた本でも読んでいるのだろう友人は、振り返ることなく「何だ」と声だけ返してきた。 「あのさ……何でもない」 何を言おうと思ったのだろう。いつもなら考えるより先に出てくる言葉が何も浮かばなかった。 どうにも調子が悪い。 彼らしくもなく小平太が溜息をこぼした時、障子の向こうから馴染んだ声が聞こえた。 「小平太、いるかい?」 「いるぞー」 すらりと障子を引き開けて顔を覗かせたのは、は組の保健委員だった。 「入るね」 律儀に断りを入れ、伊作が部屋に入ってくる。 よいしょと身体を起こす小平太の側までやってきて、伊作も床に腰を下ろした。 その伊作の顔を見て、小平太は首を傾げた。 「どうしたんだ?」 困ったような、何か迷っているような、沈んでいるような。そんな顔。 伊作は不運だ。落とし穴には落ちるし、罠にも掛かる。それでもこんな顔をすることは滅多にない。一体どうしたと促すと、伊作は口を開いた。 「うん…あのね…」 膝の上でぎゅっと握った拳を見つめ、それから伊作は意を決したように顔を上げた。 「これを、朔に渡したいんだ」 言って、伊作は懐から小さな包みを取り出した。 「薬か?」 「そう」 新野先生と一緒に、僕が作ったんだ。 「渡せばいいじゃないか」 「そう、なんだけどさ……」 伊作は何か迷うように、手元の包みを見つめたままそこで言葉を一旦切った。 しばらく逡巡し、ややあって彼はおずおずと小平太を見た。 「伊作?」 「朔、怒ってないかな」 「え?」 思いがけない一言に、小平太は目を瞬かせた。 怒る?朔が?何故? 「僕、また来るねって言って一回しか朔に会いに行かなかったんだ。その時だって、どうしていいかわからなくってうまく話せなくって……」 あんな怪我をしていたのに、そんなことをしてしまって、きっと不快にさせたに違いない。だから、どうにも顔を合わせ辛いのだと伊作は言う。 「ねえ小平太。朔はどんな様子だい?新野先生は、怪我はもう随分良くなってきてるって仰っていたけど…。大丈夫かな」 「……わからない」 「え?わからないって…だってもう授業に出てるだろ?」 「うん。だけど…話していないんだ。私も長次も」 「……ふたりとも?」 驚いたように、伊作は目を丸くした。いつの間にかこちらに半身を向けていた長次と小平太を何度も交互に見遣る。 「元気…ではないな…」 ぽつりと口を開いたのは長次だった。 「沈んでいるようだった」 「そりゃ…そうだよね。僕、きっと朔を傷つけたよね」 「伊作のせいじゃない」 「でも、小平太」 「私は、朔に大丈夫かとも訊かなかったんだ。あんな怪我してたのに。朔が教室に来ても、声も掛けなかった」 「小平太…」 「どうしたらいいのか、わからないんだ」 ずっと、同じだと思っていた。だけどそれは不意に崩されてしまった。 「……それは、たぶん皆同じだ」 「長次…」 「私も、朔から距離を置いた」 沈黙が落ちた。 「……あの時」 そうだ、あの時に、と長次が呟く。 「あの時、朔が目を覚ました時、聞いてやればよかったな」 「え?」 「どうして、隠していたのか。…どんな理由があったのか」 聞けばよかった。 「…そうだな。うん、そうだ!」 長次の言葉を反芻するように呟き、小平太がすくりと立ち上がった。驚いたように伊作と長次が見上げる中で、小平太はひとり納得いったように頷いた。 「聞きに行こう」 「聞きに…って…え、朔に?」 「他に誰がいる?」 「いや、まあそうなんだけど…え、今から!?」 「そうだ!善は急げって言うだろう?」 「え?ええ!?ちょ、僕まだ心の準備が!」 小平太に手を引かれ立ち上がりながら、伊作は忙しなくおろおろと周りを見回す。 「そんなこと言ってたらきっといつまでも朔に会えないぞ」 「そ、そうかもしれないけど!」 「細かい事は気にするな!」 「ちょ、小平太!」 「小平太の言う通りかもしれない」 「長次!?」 「きっと今でなければ駄目なんだ」 「……」 「なあ、伊作」 「……何?」 「伊作は、朔に会って何がしたい?」 「僕?」 「私は、朔に会って、どうして隠していたのか聞きたい。それから、朔に大丈夫かって言いたい。謝って、それから一緒にバレーがしたい」 「ちょ、バレーはまだ駄目だよ!……でもそうだな。僕も、謝りたいな。それからまた朔と話がしたい。一緒に」 また、一緒に。 「決まりだな!よーし!行くぞ!!」 「小平太!待ってよ!」 慌てて後を追いかける伊作と、それに並んで長次が続く。ばたばたとかしましい音を立てて、三人は駆け出した。友人の元へ。 |