植え込みの影に隠れるように座り込み、私は懐から取り出した本を開く。
昨日は戦術書。今日は火薬についての指南書。もし読み終えたら、明日は何を読もうかな。
そっと開いた箇所を指でなぞりながら、唇からは溜息が零れた。

あれからもう七日近くになる。約束通り、伊作は私が保健室で寝起きしていた時に一度顔を見せてくれた。けれど困ったような顔で二言三言、余所余所しく私の体調を尋ねてすぐに帰ってしまった。
授業に出れば小平太たちと顔を合わせるけれど、二人とも私と目を合わせようとしない。だからだろうか、他の級友たちも同様で、教室はひどく静かだった。

ああ、文次郎たちはどうしているのだろう。あの日以来、姿を見た覚えもない。避けられているのは明らかだ。
目は紙の上に落としていたけれど、文字の羅列は意味を伴って頭に入ってこない。滑るだけのそれを眺める事にも疲れて、ぱたりと閉じた。懐に押し込み、代わりに私は膝を抱えた。

どうしよう。どうしよう。どうしたら、いい?
ぐるぐるぐるぐる。あの日からずっと、考え続けてる。だけど答えは出ない。わからない。

『裏切り者!』

投げつけられた言葉が、いつまでも耳から離れない。
戸惑いを滲ませたあの瞳に、今私はどんな風に映っているんだろう。
それを訊くことがひどく怖いとそう思った。
嫌いだと言われたら、どうしよう。
もう友達でも仲間でもないと言われたら?
それを考えると、何と説明すればいいのかわからなかった。

「お?朔?」

不意に名前を呼ばれて、私は弾かれるように顔を上げた。
大きな影が落ちてくる。太陽を背にしたそのひとの表情はよく見えなかったけれど、声と姿で誰か判断する事は簡単だった。

「大木先生……」

元忍術学園教師、大木雅之助先生。今は確か、杭瀬村でラッキョウを作っているんだっけ。どうしてここにいるんだろう?ラッキョウを持ってこられたのかな。それとも野村先生と勝負しに来られたのかな。ぼんやりと見上げていると、大木先生は少し首を傾げたようだった。

「どうした、こんなところで。珍しいな、お前一人か」
「え。……えと、あの……」

何て説明すればいいんだろう。言葉を探して池の鯉みたいにぱくぱくと口だけを動かす私に、先生は「ふーむ」と訳知り顔で頷いた。
先生は私の隣にどかりと腰を下ろした。目を丸くする私ににかりと笑い、それから頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
大きな手のひらから、土とお日様の匂いがする。

「何だ、小平太たちと喧嘩でもしたか」
「ケンカ…だったらよかったんですけど…」
「ん?」

不意に視界がぼやけた
じわり、と滲む水。
ぼたぼたと、大粒の雫が握り締めた拳を濡らす。
一度堰を切って溢れたそれは、私の意思では止まってくれなかった。それでも少しでも早くとごしごし目元を擦る。

「おいおい。そんなことすりゃ兎みたいになるぞー」

ウチのらびちゃんみたいになりたいのか?
茶化すような口調で、それでも先生は懐から取り出した手ぬぐいで、私の顔を拭ってくれる。

「あーもうぐっちゃぐちゃだな。顔から出るもの全部出てるんじゃないか?」

一応お前それでも女の子だろうが。

「………ッせんせいのばかー!!」

一番触れて欲しくないところをあっさりと突かれて、涙は止まることなくますますあふれ出る。そりゃ、先生は知ってることだけど。何も今このタイミングで言わなくてもいいではないか。

「は?朔?どうした?」

先生はそれでも、ひっくひっくとしゃくりあげる私の頭を撫で、背を叩き、「ほれ、深呼吸深呼吸」とどこまでもマイペースだった。

「で、何だって?アイツらにばれた、と?」
「……はい」

「ほれ、ちーん」と鼻を拭かれる。泣いたのなんて久しぶりで、少し頭が痛い。事のあらましを把握した先生は「まあ、タイミングが悪かったな」とあっさり一言で片付けた。

「先生の?」
「違うわい。お前らの、だ」
「私たち?」
「おう。潮江たちの気持ちもわからんではないな」

お前の怪我と同時に知ってしまったんだろう?

「色々いっぺんに起こり過ぎて混乱したんだろ」
「混乱、ですか?」
「そういうことだ。で、お前はお前でどうすりゃいいかわからんでうじうじしていたと」
「う、うじうじなんて!」
「してただろ」
「…………」

反論できない。せめてもの抵抗とばかりに膝を抱えて膨れる私に、大木先生は苦笑していた。

「悩んで答えが出る事もあれば悩むだけ時間の無駄ということもあるからなあ」
「…私、どうすればいいんでしょうか」
「ん?」
「これから…」
「これから?」
「忍たまとして、ここにいてもいいんでしょうか」
「何だ?くのいち教室に編入話でも出たのか」
「違います…学園長先生は、このままでいいって。でも、みんなが…」
「皆は関係ないだろう」
「え?」
「お前は何のためにここにいる?友達を作る為か?忍者になるためだろ?」
「…………」
「目的を誤るなよ」

真摯な声音に、私はこくりと頷いた。それは確かに、先生の仰るとおりだった。私は――私たちは、遊ぶ為にここにいるわけではないのだ。

「……はい」
「しかしまあ」

大木先生はがしがしと頭を掻いて、それから笑って私の目元を指で擦った。

「友達を作るのも、お前には大切な仕事だ」
「仕事、ですか?」
「おう。友達作って、遊んで喧嘩して、それが子どもの仕事だ」

子どもの、仕事?

「大体なあ、聞いていればお前、ちゃんとアイツらと話したのか?」
「へ?いえ、それは…まだ…」

どうしたらいいのかわからなくて、と繰り返せば、大木先生は呆れたように目を眇めた。

「考えていても変わりゃせんわい。――話してみるんだな。アイツらと」

その先のことはその時に考えればいい。

「ま、最悪忍たまとして居辛くなっても、くノ一教室編入の道も残されとるんだ。安心して当たって砕けて来い!」
「そ、そんなまとめ方なんですか!?砕けるのは嫌です……」
「お、おいこら朔!ここで泣いたらわしが泣かせたみたいだろうが!」
「大木先生のせいじゃないですかあ…!」

何なんですか励ましてくれているんですかそれとも落としたいんですかどっちなんですか。
一旦止まったはずの涙がまたもや勝手に視界を歪ませる。緩んだ涙腺はそう簡単には締まってくれないらしい。

「ああもう!泣くな!」
「そう、言われましても…ッ…」

少しだけ慌てたような先生の声に重なるように、私の耳にそれは飛び込んできた。

「朔!」

え?

「お」

振り返れば、どたばたと足音を立てて駆けてくる見慣れた姿。

「小平太…」

小平太は何だか驚いたような顔をしていた。どうしたんだろう?あ、でも今、名前を呼んでくれた。
そうだ、話さないと。謝って、それからちゃんと話さないと。
まだ晴れない景色の向こうから、それを越えて駆け寄ってくる友人を見つめながら、私はそんなことを考えていた。


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