目が覚めて、真っ先に飛び込んできた天井は見覚えがあるようなないようなそんなものだった。
あれ、私どうしたんだっけ…?
ぱちぱちと目を瞬かせる。少しずつ、覚醒していく。

「おや、目が覚めましたか?」
「――ッ!」

突然掛けられた声にびくりと跳ね起きる。ばさりと掛布が落ちると同時に、襲った痛みに顔を顰めた。

「駄目ですよ、急に動いては!」

慌てたような声に顔を向ければ、声と似たような顔をした新野先生がいた。

「先生?あれ、私…。ここ…」

先生がいらっしゃるということは、ここは学園内で、医務室で?ええと、私は確か…。

「蓮咲寺君は、実習中に負傷したんですよ。覚えていますか?」
ゆっくりと話しかける先生の声に、記憶が蘇る。ああそうだ。実習として山賊退治に向かって、私は怪我をしたんだっけ。
新野先生は「動かないように」と前置いて、私の額に手を伸ばした。

「……熱も随分引きましたね」

怪我の程度は幸いそれほどひどくはなかったけれど、高熱に数日うなされて寧ろそちらの方が危険だったのだと、先生が苦く笑う。

「しかしこの様子なら、薬を飲んでもうしばらく安静にしていれば長屋にも戻れそうですね」
「本当ですか?」
「ええ、善法寺君がきちんと応急処置してくれていましたし、怪我自体は半月もすれば全快するでしょう」
「……!ありがとうございます!」
「こらこら、動かない。半月で全快する為にも、今は大人しくしていなさい」
「あ。はい」

確かにその通りだ。大人しく布団へ戻った私に、新野先生が笑う。

「そろそろ三年生は授業が終わる頃でしょう。皆が来たら、元気な顔を見せてあげなさい」
「皆?皆は大丈夫でしたか!?」
「ええ、君以外は大きな怪我もなく、無事ですよ。戻ってからも、心配してしょっちゅう覗きに来ていましたよ」

その言葉に心配を掛けて申し訳ない気持ちと、来てくれていたことが嬉しい気持ちがない交ぜになって膨らんでいく。
どうしよう。まず謝った方がいいだろうか。それともお礼が先かな…。どうしようどうしようと考えていると、そわそわして落ち着かない。寝返りを打てば傷が痛んで顔を顰めては新野先生に窘められ、それを何度か繰り返した頃、ばたばたと騒々しい足音が聞こえた。ひとつではなく、複数のそれが近付いてくることに気付いた先生が、薬を煎じていた手を止め「おや、来ましたよ」と囁く。

先生の手を借りて体を起こした私は、障子が開かれる瞬間を落ち着かない気持ちで待っていた。
やっぱり最初はお礼を言おう。それから、謝って――。
頭の中でつらつら考えていたその時、すぱん!と保健室には本来不釣合いな盛大な音を立て、白い障子が左右に開け放たれた。

「先生、朔は――!」

真っ先に飛び込んできたのが誰か、予想通りの顔に思わず笑いそうになる。

「小平太!」

名前を呼べば、丸い瞳が私へ向かう。いつも通り、笑って駆け寄ってきてくれる、そう信じて疑わなかった私は、級友の異変に首を傾げた。

「……朔」

小平太は、私を見て、私が起きていることに驚いたのか丸い瞳をもっと丸くした。そしてどこか戸惑ったような声で私の名を呼んだ。
あれ?

「小平太?」

どうしたの?
小平太は、保健室の中へ入ってこようとしない。さすがに様子が可笑しいと思い始めた頃、「小平太、朔は?」と伊作の声がして、わらわらと他の面々が顔を見せた。

「「伊作」」

途方に暮れたような私と小平太の声が重なった。どうすればいいのかわからないと言うように、助けを求められた伊作は私と小平太を見比べ、そうして小平太と同じように戸惑った顔を私へ向けた。
え?どうしたの?ねえ、伊作?
一体何があったのだろう?きょろきょろと視線を彷徨わせる。長次も仙蔵も、留三郎も、ただ私を見ている。何か堪えるように、戸惑うように。誰も動かない。
不安だけが煽られていく中で、動いた人間がいた。ずい、と足を進め、彼は私の目の前に立った。

「文次郎…」
「朔」

文次郎は私を見下ろしていた。私を呼んだ声はいつもと変わらない、気がした。
ああよかった、だってみんな変なんだもの。君まで変ならどうしていいかわからない。
私は笑って顔を上げて、『違う』ことに気がついた。

「文次郎?」

私を見つめる文次郎の目に、知らない光が過ぎった。

「どうし――ッ!?」

どうしたの。そう訊ねようとした。手を伸ばした。指先が、文次郎の手に触れるか触れないか、その瞬間だった。
視界が反転した。
伸ばしたては叩き落とされ、私の体は強か床板に打ちつけられる。瞬時に受身を取り損ねたお陰で息が詰まる。

「文次郎ッ!止めろ!!」

仙蔵が血相を変えて止めに入る。後ろから長次が押さえに掛かり、留三郎と小平太が私たちを引き離すように間に体を滑り込ませる。
新野先生に抱き起こされて、咽こみながらも、涙の滲む視界に文次郎を捉えた。

「――ッ!!な、に、を……」

何をするの。何なの君!
意味がわからず混乱するばかりの私を、文次郎はきつく睨みつけていた。

「……文次郎?」

こんな目で、文次郎に見られたことなんか一度もない。ひ弱だとか何だとか、散々言われたけど、喧嘩だってしたけど、今まで一度も。
どういうこと?答えを探すように視線を向けたけど、誰も私と目を合わせてくれなかった。

「みんな、どうしたの?」
「……朔」
「ねえ、小平太」
「朔。はっきり聞くけど」
「え?何?」
「お前、女なんだな」
「……え?」

聞くといいつつ、小平太の口調は断定されていた。ああそういえば、私はどこに怪我をしていたんだっけ?わき腹だ。それを手当てしてくれたのは、私を運んでくれたのは。
重い空気に、私は悟った。今まで隠してきたことが、晒されたということに。

「あの…私…」

何か言わなければと、思った。でも何を言えばいいんだろう。私はどうすればいいんだろう。

「朔」

文次郎が、私を呼んだ。

「お前、何で隠してたんだよ。何で女なのに忍たまなんだよ。俺たちをだまして楽しかったか?」
「違ッ!」

隠してはいた。でも騙すつもりなんてなかった。どうしよう、どうしよう、早く何か言わなきゃ。
気持ちだけが急いて、言葉が浮かばない。
冷たい目と、困惑と、そんなものが私へ向かう。

「裏切り者!」

投げつけられた短い一言だけを残して、文次郎は私に背を向けた。

「文次郎!」

ばたばたと走り去る彼を追って、仙蔵が出て行った。長次も、留三郎も、掛ける言葉が見付からないように、私と廊下を何度か見比べ「また来るから…」と出て行った。

「朔、あの…」

おろおろと伊作が私に手を伸ばす。けれど私に触れようとした手はすんでで引っ込められてしまった。

「あの、怪我は?大丈夫?」
「……うん」
「そう」

よかった、と笑ったその顔は、だけど強張っていた。

「……本当だったんだな」

ぽつりと零れた呟き声に、小平太がそこに立ち尽くしていたことに気付いた。

「やっぱり本当だったんだ…」

本当に、女だったんだ。

「あのね、小平太…」

いつも喧しいほど元気なくせに、怖いほど静かでそれが私を不安にさせる。まさかと思う。

「私、」
「私も戻るな。また来るから」
「え」

待って、と伸ばした腕が空を切る。そうして、伊作と小平太と、二人が去って私は取り残されたのだった。

「…蓮咲寺君…」

新野先生が気遣わしげに薬湯を差し出してくる。それは苦いのに、味なんてもうどうでもよかった。

「先生、私のこと、みんな知ったんですね」
「……ええ。でも仕方なかったんですよ」
「はい…」

そうだ。仕方なかった。『見た』ひとも『知った』ひとも誰も悪くない。私が隠していたから。

「あの、このこと…」

ふと、一体どこまで広がっているのかと気になって訊ねると、先生は少し気遣わしげな顔をして言った。

「残念ながら……」

本当に『みんな』が知っていることを、私は知った。


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