たかが実習と油断したつもりはなかった。
敵の実力を測りかねたわけでも、自分の力量を過信したつもりも。
ただ、時として何事においても『不測の事態』というものは起こり得る。それだけの、話だった。

まず感じたのは、痛みではなく熱だった。その感覚には覚えがあった。
ああ、やってしまった。
どこか冷静に、言葉を変えれば随分のん気な事に、私はそう思っていた。
熱を孕んだ場所。右わき腹へ手をやれば、ぐっしょりと濡れていた。錆のような匂い、生温い何か。それを頭が理解した頃、誰かが私を呼んだ。

「――ッ!朔!!」

視界に映るすべての光景が、ゆっくりと歪むような錯覚。よろめいた刹那、的確に急所を狙い放たれた白刃を紙一重で避けた。倒れこむまいと堪えた拍子に、負荷が掛かった傷口がずくりと痛む。

「ッ」

思わず息を詰めた隙を、敵が見逃してくれるはずもない。
二流、三流と言えど紛いなりにも忍崩れ。たちの悪い山賊は、子ども相手でも容赦しようなど思いつきもしないらしい。変な所でプロ根性を発揮している。
迫る刃を、弾き返したのは私のものではない苦無だった。
擦れ合う金属音、顔を上げれば私より少しだけ大きな背中。

「朔!大丈夫か!?」
「……こへいた?」
「喋るな!」

鋭い口調で制止し、小平太は相手が怯んだ隙にぐいと私の腕を掴み後退した。その穴を埋めるように、文次郎と留三郎が躍り出る。
ああ、駄目だ。二人でなんて。

「小平太ッ」

だめだよ、私のことはいいから。そう伝えようとしたけれど、上手く言葉が出てこない。口は声の変わりに、魚よろしく空気を求めて動くだけ。そんな私の顔を覗き込んだ小平太は「伊作!」と保健委員を呼んだ。駆け寄ってきた伊作は、今にも泣き出しそうで、その顔は青かった。
君の方がよっぽど怪我人みたいだ。

「朔、今手当てするからね」

大丈夫だよ、仙蔵たちが先生を呼びに行ってくれてるからね。
泣きそうな顔で無理矢理笑って、伊作は大丈夫だよと繰り返す。
ごめんねと言いたかった。足手まといになって喜ぶ人間なんていない。私だってそうで、こんな状況で身動き取れない私を見捨てようとしない友人たちにとても謝りたかった。
だけど今は、それをしてはいけない気がしたから、代わりに言った。

「だいじょうぶ、だよ」

笑ったつもりだったけれど、真偽の程は定かではない。私の意識はそこでぷつりと途切れ、確かめる術もなかったからだ。

「朔!」

闇の中へ落ちていく寸前、誰かの声を聞いた。小平太か、伊作か、それとも他の誰かか。悲鳴のようだとそう思った。


***


夢現に、声を聞いた。

『…――ですから、やはり今回の件は三年生には荷が重すぎたのでは』
『確かに…では実習は無効と?』

先生の声がそんなことを言う。無効?じゃあ、私みたいな荷物を背負って頑張ったみんなはどうなるのですか。
そう言いたかったけれど、声は出ない。体中が心の蔵にでもなったようで、ずくずくと痛む場所がどこなのかよくわからなかった。

『根城が?跡形もなく消えた?それは真ですか?』
『…根城だけでない。あの下郎共に組し裏で糸を引いていた城ごと消えた』
『城ごと!?』
『城主筆頭に、主だった家臣の首が消えたそうだ』
『……まさか』
『可能性としては、それが有力だな』
『しかしそれはさすがに…』
『親馬鹿が過ぎる、か…』
『学園長先生は何と』
『らしい、と笑っておられたよ』
『……そうですか』

何の話なのだろう。続く会話の内容はいまひとつ理解できなかった。ああ、でも、みんなはすごくすごく頑張ったんです。ねえ先生、だから無効だなんて言わないで。私は追試でも、みんなは――。
ひやりとした感触が額に置かれた。それが手ぬぐいだと気付かないまま、また私の意識は沈んでいった。


***


夢現に、声を聞いた。

『……可哀想に』

冷たい手のひらが、私の頬を撫でた。
かさついた、大きな手。とてもよく知っていると思ったけれど、そんなはずはないとも思った。

『可哀想にね』

手は梳くように私の髪を撫でる。
とうさま?
呼んだ声はちゃんと音になっていただろうか?だけどのろのろと伸ばした手を、その人はちゃんと掴んでくれた。

『…ここにいるよ。ゆっくりお休み』

…夢でもいいや。私は笑って、意識を手放した。


***


夢現に、声を聞いた。

『朔』

とても馴染んだ、いつも聞く声だった。
無事だったんだ。来てくれたんだ。
重い瞼が持ち上がらない。確かめられないことが、もどかしい。

『朔』

なに?

『朔』

何?

『朔』

口々に、私の名を呼ぶ。六つの声。
誰かが、言った。

『――裏切り者』

……え?

言葉の意味がわからないまま、私の意識はまた途絶えた。



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