気付けば視界がぐんと高くなっていた。 かと思えば、流れるように景色が行過ぎていく。自分で駆けるよりもずっと早く。 惚けていられたのはそこまでだった。 「な…。何なんですか!?」 私はその人の耳元で叫んでいた。咄嗟に黒の忍装束を掴んだのは、落ちないようにという条件反射のようなものだ。 私を肩に担いだままのその人は、まるで動揺する素振りも見せず、逆に「落としやしないよ」と苦笑してみせる始末。だけどこっちはそれどころではない。 「そんなのわかってます!条件反射みたいなもんなんだから仕方ないじゃないですか!…ってそうじゃなくて」 「あれ、違うの?」 「違いますよ。私が突っ込んでるのはそこじゃないですよ。聞いてるのは今この状況についてです」 「ああ、これね」 ふふ、と小さな笑い声が私の耳朶を擽った。 「…追ってきてるかい」 「え、誰かに追われてたんですか?」 それなら早く言ってくれればよかったのに。立ち話なんかして引きとめたりしなかったのに。ていうかそれなら何でわざわざ私を担いでいるんだこの人は。疑問と共に慌てて目を凝らすけれど、それらしい気配も姿も見付からない。 「違う違う。お前のところの『お友達』だよ」 「私の?」 「お前を攫ってきたからね、さすがに誰かひとりは追いかけてくるんじゃないかい」 「はあ…。…は?」 何ですかそれ。ますます意味がわからない。 いまひとつ状況が把握できていないのに疑問ばかりが増えている。もげそうなほど首を傾げる私を余所に、問題を作ってくれた張本人は相変わらず息を切らすこともなく木々の間を駆け抜けながら、すっ呆けた顔を向けてきた。 「ん?何。どうしたの」 「どうしたのって…。それは私の台詞なんですけど。…父様」 タソガレドキ忍軍百余名の頂点に立つその人こそ、私の父である。…というのをそう言えば誰にも言ってなかったっけ、と気付いたのはつい先刻のことだ。 「お前、私との関係を言ってなかったんだね?」 「そうなんですよねえ。学園長先生辺りはそもそもご存知だし、最近伊作の口からよく父様のこと聞くもんだから言ったつもりになってたといいますか……って心を読まないで下さいよ」 「読んでないよ、人聞きの悪い。そんな特殊技能はさすがにありません」 「ええー?」 「何その不服そうな声」 「だって嘘くさいことこの上ないじゃないですか」 「嘘くさいってお前、親に向かって……」 「じゃあ聞きますけど、何で私の思ってることをそうしょっちゅう当てられるんですか」 「そりゃお前、愛情の成せる業だよ。以心伝心てヤツ?」 「…………左様ですか」 もう何も言うまい。言っても無駄だ。むしろ私の何かが削られる気がする。 溜息ひとつ吐くに留めて、私は力が抜けるに任せて父様に体を預けた。何を考えているのか知らないけど、付き合うしかなさそうだ。まあ父様だし変なことはしないだろうと思った私は甘かった。 気配に気付いたのは、父様が先。次いで私もハッと顔を上げた。 「朔!」 ひゅッと風を切る音がした。 殺気と共に、振り下ろされた刃を交し父様は地に降りる。 「小平太!?」 追って落ちてきた影の主を見て、私はこれはまずいと悟った。 獣のようだと、思った。 俊敏な肉食獣のように、目を輝かせて苦無を構える小平太は、捕食する獲物を見つめるかのように父様しか視界に捕らえていない。 「ちょ、小平太!待って!」 こうなると声を掛けたくらいでは止まらない。わかっていてもそうせずにはいられなかった。止めなければと。 「おやおや、危ないねえ」 父様は小平太の苦無を易々と交わす。 「そんなに殺気立ってると、獲れる首も獲れやしないよ?」 笑み交じりの声。父様が面白がっていることは誰の目にも明らかだった。けれど同時に、私を含め誰一人『雑渡昆奈門』の目的はわからない。それが更なる殺気を生み出していく。 「雑渡さん…朔をどうするつもりですか」 いつになく厳しい目を向ける伊作に、父様は肩を竦めた。 「そんなに怖い顔しないでおくれ」 「なら、とっとと朔を返しやがれ!」 同時に左右から文次郎と留三郎が飛び掛る。跳躍と共に近くの枝に手を掛け交すと、今度は縄標が放たれる。 「忙しないねえ」 父様にとって、私を抱えているという点はハンデにもならない。 でも小平太たちには私という存在がむしろ枷になっていることは明らかだった。父様を敵と見なし攻撃に転じているはずが、動きには迷いがあった。私を巻き込まないようにというそんな気遣いが表に出すぎている。 「チッ!」 狙いが上手く定まらないことに苛立ったように、文次郎が小さく舌を鳴らす。仙蔵もまた、柳眉を顰めている。 「ほらほら、そんなんじゃこの子は取り戻せないよ?」 ひらひらと舞うように、父様は攻撃を交し挑発するように笑う。 「どうしたんだい?それで終わり?…なら、こっちからも仕掛けさせて貰おうかな?」 「ちょ…!ま!」 完全に遊んでいる父様のその台詞に、私は思わずギョッと目をむいた。いくら私たち六年がプロに近いといってもあくまで忍たまだ。自分たちを卑下するつもりはないけれど、相手はプロの忍者の更に上に立つ人。この状態で仕掛けられたらそれこそしばらく立ち上がれないなんて笑えない事態になりかねない。 どういうつもりがあってこんな遊びを始めたのか知らないけど、とにかく今は止めないと!…って誰が!私か!どうしよう父様なんて止められる気がしないんですけど。助けて陣内さん! 思わず父様の右腕と呼ばれるタソガレドキ忍軍小頭に助けを求めてみたけれど、当然ここにいない陣内さんに私の願いが届くはずもない。現実逃避している余裕もなく、コレと言って有効な策も思いつけず、私は身を切る思い出最後の切り札その一へ手を出した。 できればこんなものは使いたくない。けれど、今使わずして何時使うというのだ。 大きく息を吸い込み、今まさに攻に転じようとしたその人に向かって、私は声を張り上げた。 |