(※天女投下済)




ふと、七松小平太は足を止めた。
その隣を歩いていた中在家長次は、数歩先でやはり足を止め、肩越しに振り返ると不思議そうに声を掛けた。

「…小平太?」

どうかしたのかと問えば、小平太は視線をある方向へ向けたまま、ごくごく簡潔に一言こう言った。

「朔だ」
「朔?」

すい、と伸ばした指の先、指し示すそこに、見慣れた小さな後姿が確かにあった。
自分たちと同じ松葉色の制服は、こちらには気付いていないようだった。しゃがみ込んで何をしているのだろうかと思えば、その影から井桁模様の制服がちらちら見えた。
どうやら一年生と何事か言葉を交わしているらしい。二人の元へ声は届いておらず、一体何を話しているのかそこまで窺い知る事はできなかったが、朔は時折楽しげに笑みを浮かべている。

「ああしてると、留三郎みたいだな」

下級生相手にでれでれと笑み崩れているところがよく似ている。
当の本人たちが聞けばそれぞれ心外だと抗議してきそうなことをさらりと口にし、小平太はうんうんと自分で頷いている。
ここは否定してやるべきだろうか、長次がそんなことをつらつら考えている間も一年生たちは何やら身振り手振りを加えながら、朔に一生懸命説明している。
愛らしい後輩と、慕われる先輩。傍目には、とても微笑ましい光景だった。

「…朔もさ」

ぼんやり眺めていると、耳に触れた呟きがあり、長次はそちらへ目を向けた。
腕を組んでやはり同じものを見つめていた小平太が、ぼそりと続けた。

「朔ももっと唯歌さんのところへくればいいのにな」

そうすれば、きっと唯歌さんだってわかってくれるのにな。
何の脈絡もないようなその一言だが、その意図を正確に把握して、長次は「…ああ」と同意を示した。
有村唯歌。
ある日空から落ちてきた、清らで美しい、天女様。
穢れを知らず、心優しく、儚げな少女。
小平太が言っているのは、彼らが心寄せ、慈しみ守るその彼女が零した一言だろう。

『朔くんて、唯歌のことがきっと嫌いなのね』

悲しげに伏せられた瞳とかげる表情に、その場に居合わせた彼らは勿論それを否定した。
天女である彼女を嫌うものなどいようはずがない。
くのたまたちが天女を厭わしく思っていることは知っていた。けれどあれは所詮、嫉みの延長だ。
同性故に、というべきか、天女という至高の存在を受け入れることができず、否定するという愚行だ。

朔は違う、とそう言ったのは小平太か、長次か。
いや、彼ら六年全員がそれぞれ言葉は違えどそういったことを天女に告げたように思う。
朔は違う、と。
くのたまではなく、忍たま。
確かに性別は異なれど、六年間同じ制服を纏い机を並べ、同じ屋根の下で寝起きした仲間だ。
朔にならば、天女が如何に素晴らしい存在か理解できる。
それは願望ではなく確信だった。何故なら自分たちは何時だって一番近くで同じ景色を見て育ってきたのだから。

しかしこの時同時に、思ったことがあるのもまた事実。
自分たちは常に天女を守るべく側に控えているというのに、どうして朔はいないのだろうかと。
同じ六年であり、仲間であるのだ。
朔も天女の側にあってしかるべきではないのだろうか。言葉にせずとも彼らは思った。

けれど授業が終わり、さて天女の元へ向かおうかという段になると、既にそこにその姿は無いのだ。
どこに行っているのか、小平太たちも知らない。
たまに上手く捕まえることができても、「委員会があるから」と困ったように笑いながらやんわりと断られてしまう。
こういうわけで朔を連れてこられなかったと伝えても、天女は別段誰を責めることもしなかった。いつもと変わらず、美しく愛らしく微笑み「唯歌はみんながいてくれるからそれでいいの」と囁くように言ってくれる。

誰より何より優しい天女。
だからこそ、そんな彼女に誤解をさせたままでいることが心苦しかった。
あいつは貴女を嫌ってなどいないのだと、言葉を重ねるよりも本人と直接触れ合うことでわかって欲しかった。
小平太でなくとも、そう思うだろう。

話は終わったらしい。一年生たちが朔に手を振り走り去っていった。
立ち上がり、後輩たちに手を振り返す朔に小平太は声を掛けようとした。
それが当然の流れだと疑うこともしなかった。
朔と食堂へ行って、天女と時間を過ごす。そうすることが正しいことだ。今自分のすべきことだ。
だから。

「朔先輩!」

今まさに呼ぼうとした名を、他の声が口にした。
視界の端に青紫が過ぎったかと思えば、それは飛びつくような勢いのまま、朔に向かって駆け寄っていった。
あれは。

「鉢屋、か?」
「不破と竹谷…ろ組だな…」

ひとつがふたつ。ふたつがみっつ。
べたりと朔に張り付く後輩を同じ顔をした後輩が窘めている。その横で、灰色の髪の後輩が何事かを喚いてる。
そうして気付けば、更に増えて、いつの間にやら五つの青紫。

朔をぐるりと取り囲み、何やらしきりに話しかける、ひとつ下の後輩たち。
まるで先ほど見た一年生たちのように、嬉しそうに楽しそうに、でかい図体で朔にじゃれ付く少年たち。
朔は朔で、困ったように笑っているけれど、そこに厭わしげな色は欠片も見受けられない。
こちらに気付く様子もなく、朔は笑う。笑って、いる。

ちり、と胸の奥で何かが騒いだ。
何だろう、これは。
そう思いはすれど、その正体など心当たりもない。追求することももどかしく、煩わしいようで、何でもいいかと小平太は足を一歩踏み出した。
朔を呼べばいい。
自分の声が朔に届かないはずはない。
呼べば、そうすれば、いつものようにこちらに気付いて、自分たちに向かって笑ってくれる。
それだけのことだ。
しかし、その名を口にしようとした小平太を遮るように、長次が呟いた。


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