子どもという存在が好きか嫌いか。
明確な二択で尋ねられたとしても、答えは変わらないと思っていた。

――どちらでもない。

それ以外に返す言葉もない。
ずっとそう思っていた。
職業柄もあるにしろ、子どもになんてそうそう近付く機会もなかったのだから。

「……そのはず、だったんだけどねえ?」

そう一人ごちると、背中に感じる重みと温もりに昆奈門は「うーん?」と首を傾げた。
眠っている子どもというのは意外と重いものだなどとぼんやり考える。それでも昆奈門にとっては苦になるほどのものでもない。誰よりも早く高く駆ける為に積んだ修練に比べれば、羽のようなものだ。

(……というのは言い過ぎだけどねえ)

時折ずり落ちる小さな身体を揺すり上げながら、昆奈門は枯葉を踏んでゆっくりと歩く。

「うー…」

その振動に、背中から呻き声が聞こえて昆奈門は肩越しに子どもの顔を覗き見た。

「朔?」

そっと呼んだ名は当然背中に負った子どものものだ。
偶然なのか必然なのか、様々な要因が重なり絡み合った果てに彼の「子」となったその子どもは、浅葱の上衣に藍の袴を身につけ頭上に髷を結っていた。
一見すると男童のような姿をしているが、性別でいうなら歴とした少女である。
七つの子の平均的な体格が如何ほどか昆奈門にはよくわからないが、朔の身体は右腕一本で支えきれてしまう程軽かった。

昆奈門が歩く度、足下では枯葉がかさりかさりと音を立て、左手に下げた籠の中身が時折擦れ合ってやはり軽い音を立てた。
二人で拾った柿やら栗やらキノコやら、果ては複数の薬草までとりあえず詰めたその中身は実に混沌としている。

干し柿を作りたいから二人で柿拾いに行ってきてくださいと、有無を言わさずに籠と娘を押し付けたのは、朔の「母親」であり昆奈門の「妻」である人だった。
二人が自分に逆らえないということなど熟知した上で、どうせ大方父子の交流でも深めさせたかったのだろう。

ただでさえ多忙で中々顔を見せもしないのだから、と笑顔で言い切られてしまえば、昆奈門に反論する術など有りようはずもなかった。
男は女よりも立場も力も強い、というのは公の場での話であって、家庭という極めて小規模かつ内輪の場では所詮こんなもんに過ぎないのである。
タソガレドキ軍忍組頭は、部下たちが耳にすれば間違いなく微妙な顔をするであろう主張を心の中でつらつらと並べ立てた。

そうして出掛けたのが昼餉の直後。柿拾いのはずがお互い目に付くものを籠に放り込んで行ったら結果この有様である。

「随分日も傾いてきたな……」

西の空に隠れようとする日輪に目を細める。
疲れたのだろう。帰り道で小休止として休んだ木陰で、うつらうつらしていたと思えばあっという間に眠りの国へ誘われてしまった子どもをおぶって、昆奈門は歩いていた。

「…とう…さま…?」

寝起きのせいか舌足らずな口調で呼ばれる。
最近ようやっと慣れてきた呼称だ。

「おや。起きたかい」

片手でぎゅっと昆奈門の着物を掴み、もう片手で朔はしきりに目を擦る。
そうこうしている内に回っていなかった頭がようやっと動き出したのだろう、朔は現状を把握したらしかった。

「お、降ります!」

途端、慌てたようにじたばた動き出す。

「ん?いや別にこのままでもいいけど」
「だ、だいじょうぶです!私歩けます!」
「はいはい」

必要以上に必死なその姿に苦笑しながらも昆奈門は足を止めてしゃがみ込むと、背中から朔を降ろしてやった。

百姓の子のように働く方法を知らず、貴族の子のように読み書くこともできず、武家の子のように礼儀作法を叩き込まれているわけでもない。
世間知らずというには知らなさ過ぎる子ども。
その癖、妙なところで年の割りに聡い子だった。昆奈門の目に朔は大人に対する遠慮を必要以上にしているような子どもに見えた。
怒らせないように、困らせないように。わがままは言わず、言いつけは素直に守る。
子どもらしい無邪気さに欠ける子ども。

引っ込み思案で人見知りする性格と相まって、どこか頑ななその様子は言い換えれば可愛げがないとも取られかねない。
現に「親子」だというのに朔はどこか両親に対してまるで一線を引いているような態度を見せることがあった。
血の繋がりがないから当然、と言えばそうなのかもしれない。
けれどそれを、「母親」は寂しがっている。正直、昆奈門にはあまり縁のない感情だったけれど。

『優しい子なんですよ』と眠る朔の髪を梳きながら微笑った彼女は確かに母親の顔をしていた。
『優しくて、でも少しだけ怖がりなだけなんでしょうね』
いつの間にか母親になっていた彼女。なら、自分もまたいつの間にかそんな親の顔をしているのだろうか。

「じゃあ手を繋いで帰ろうか」
「え。私そんなに子どもじゃないです」

そんな小さな体で手足でよくそんなことを言うものだ、という突っ込みはさすがに心の中に留めおいた。
その代わりに、昆奈門はわざとにやにや笑って見せた。

「…なんですか?」

七つの子に警戒される父親もどうなのだという突っ込みを口にする人間は残念ながら居合わせてはいない。

「そう言わずに手くらい繋ごうじゃないか」

でないと、連れ去れてしまうよ。
意地悪くそんな戯言を口にすると、朔は「でも父様よりつよいひとなんていないでしょう?」と至極真面目な顔で言ってのけた。

「そうかい?」

お世辞やお追従ではない、素直な賛辞に悪い気はしない。緩みそうになる口元を誤魔化すように、昆奈門はだけどと言葉を重ねた。

「父様でも鬼や妖には勝てないかもしれないよ?」
「鬼?」
「逢魔が時にはこの世ならざるモノが闊歩しているからねえ?」

大人気なくわざと一段落とした声色に、びくり、と薄い肩が跳ねる。恐らく反射的にだろう、小さな手が昆奈門の袴にしがみ付くように伸ばされた。

「あれ。怖かった?」
「こ、こわくなんてありません!」

若干涙目だ。説得力に欠けている。

「ああ、ごめんごめん」
「だからッ!怖くなんてありません!」
「うん。わかってるってー」
「ほんとに本当です。それに」
「それに?」
「本当に鬼がいても、やっぱりきっと父様の方がつよいんです」
「……そうかな?」

小さく笑って尋ねると、朔がこくりと首肯した。

「じゃあ私は期待に応えて頑張らないといけないなあ」

言って手を差し出すと朔の小さな手のひらがが、おずおずと昆奈門の指を掴んだ。
まだまだ成長期にも差し掛かっていない子どもの背丈からすれば、大男といっても差し障りのない昆奈門は大きすぎた。
朔が手を伸ばしても、昆奈門と手を繋ごうとすれば少しばかり背伸びしなければならない。いつの間にか、二人が並んで歩く時に手を繋ぐと言えばこれが暗黙の了解よろしく定型となっていた。

朔がちらりと昆奈門の顔を見上げる。視線には気付いていたけれど、昆奈門は敢えて知らん顔でそのまま歩く。
ちらちらと、窺うような視線を何度か感じた。朔は一度だけ俯いて自分の足下を見つめ、やがて意を決したように顔を上げた。一大決心をしましたと言わんばかりに実に悲壮な表情である。

朔は当然知らないが、こちらもこっそりその様子を窺っていた昆奈門は、吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。
もっとも、ここで吹き出したが最後、朔の悲壮な決意は水の泡である。なけなしの信頼すら失墜する可能性も否定できない。
顔面の筋力を総動員して昆奈門は何とか平静を保つ事に成功した。

そんな密かな戦いを知らない朔は、一度繋いでいた手を離した。どうするのかと昆奈門が横目で眺めていると、朔は袴に手のひらを擦り付けるようにして拭き、それから再び昆奈門の手を掴んだ。
ぎゅう、と昆奈門の指を掴んだ手に力が籠もる。全力というにはまだまだ躊躇いだとか遠慮も一緒に感じられたけれど、昆奈門は密かに唇を吊り上げた。
苦笑に近い笑み。

どちらも素直ではないとは彼の部下の見解であるが、当の本人たちが知る由もないことだ。
甘え方を知らない子と、甘やかし方を知らない父と。

『結構な似たもの親子ですよ。あなたたちは』

自分の右腕が何時だったか笑いながら言った一言が、ふと昆奈門の頭をチラついた。

「朔」
「…はい」

名を呼べば、おずおずと子どもが顔を上げた。
飛びぬけて美しいとはお世辞にも言えない顔だった。人形のような、だなんて形容できる顔ではなかった。
当然ながら、「父親」にも「母親」にも似通った部分など見つける方が難しい顔だ。
それでも、自分を真っ直ぐに見つめるその目を昆奈門は気に入っていた。

(ああ、そうか。これが――)

「帰ったら…栗を茹でようか。それとも柿を剥こうか」
「え?」

朔は一瞬きょとんとし、間を置いて言われた意味を理解したのかしきりに目を瞬かせた。
一体何を言われるのかと身構えていたのだろう。小さな肩から目に見えて力が抜ける。
その様が可笑しくて、昆奈門はくつくつ笑った。

「どうしたんですか、父様」

朔が不思議そうに自分を見上げる。

「いやあ、何でも?」
「?」
「…で?お前はどっちがいい?」

栗?それとも柿?
口元に笑みを刻んだままで重ねて問えば、朔は割と真剣な顔で考え込む素振りを見せ、それから口を開いた。

「私、柿がいいです」
「じゃあ帰ったら、柿を剥こう」

拾った柿は殆ど渋柿で、干し柿にでもしなければ食べられたものではない。それでもその内の五つ六つ程ならば甘柿もあった筈だ。
鳥に食われる寸でで採ったのだからきっと熟して甘いだろう。
昆奈門が頭の中でつらつらと算段をつけていると、ふと小さな呟きが聞こえた。

「栗は…」
「ん?栗は嫌いかい」
「栗は…栗ご飯が好きです」
「……私も栗ご飯は大好きだよ」

大好き、だなんてそんな言葉、一体何時ぶりに使っただろうか。それは口からするりと滑り落ちたけれど、身体の奥が何だかむず痒い。所詮単なる栗ご飯の話だというのに、だ。寧ろそんな自分が恥ずかしい気がした。

「父様も?」
「うん?」
「父様も、栗ご飯お好きですか?」
「うん」

「一緒ですね」とはにかむように笑った朔の、子ども特有の丸みを帯びた頬を夕日が赤く染めている。
突っついたら、柔らかそうだと思ったけれど、生憎と昆奈門の手はどちらも塞がっていて実行するには至らなかった。
夕日は朔の頬だけでなく、すべてを赤く染めようとしていた。
まるで警鐘のようだ。
早くねぐらへ帰れと急かすように追い立てるように、世界が真っ赤に染まっていく。
左手に下げていた籠をひょいと背に負い、空いた手で昆奈門はぐしゃりと朔の頭を撫でた。

「それじゃあ、早く帰ろうか」

言って昆奈門は朔を促す。けれど、その歩は決して早まることがなかった。
並んだ影法師が、二人の背を追うように寄り添って続く。
小さな歩幅に合わせるように進むこの時が、自分は割りあい嫌いではないらしい。
何だか不思議で、何だか仄かに温かい。
久しく感じたことのないその感情が今も自分にあることが、自分がまだ人だという証のようだなんて馬鹿らしいことをぼんやりと思った。



ひなたの匂いがした、君
(20110627)


抹子様リクエストで『小さい頃の天泣夢主と組頭でほのぼの』したお話です。…が、何だか「ほのぼの…?」な気がしなくもない仕上がりで す ね…。へ、返品は随時お受け致しておりますので!今回は素敵なリクエストありがとうございました。


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