「あ」 「おや、三之助じゃないか」 泥だらけのその人は、俺の顔を見ると少しだけ目を丸くした。 「こんなところでどうしたんですか、蓮咲寺先輩」 「そりゃ私の台詞だよ。お前こそどうしたんだい……いやいい、何となくわかるから。委員会?」 「そうですよ。よくわかりましたね」 「お前の場合、大体が委員会か授業中かっていう二択になるだろう?」 でもまあ、場所的に委員会だろうねえと、先輩は一人納得している。 「裏々山だと委員会なんですか」 「マラソンコースの下見とかそんなんだろう?」 確かに、今日の委員会は授業で使うマラソンコースの定期的な巡回をしていたのだ。マラソンていうか長距離に及ぶダッシュだけどさ。 「七松先輩に聞いたんですか?」 この先輩が委員長と仲が良かった事を思い出して訊ねると、「そんなところかな」と返される。 「先輩は何してたんですか」 「私?私は食堂のおばちゃんに頼まれてキノコ狩り」 言って、先輩は下げていた籠を軽く掲げて見せた。確かに言われてみればその中にはキノコがぎっしり詰まっていた。 「で、三之助は学園に戻るんだろう?」 「はあ。まあそうですけど」 「じゃ、一緒に帰ろうか」と先輩は笑う。それからおもむろに手を差し出した。 「……なんですか?」 「見ればわかるだろう。手を繋ごうかと思って」 「何で」 「え、手は嫌?」 先輩は意外そうに首を傾げて目を瞬かせる。 「一年生じゃないんですから」 「でも作とは繋いでるだろう?」 「あれはいいんです。同じ年だから」 「どんな理屈だい。いや、まあそこまで嫌なら仕方ないけど」 言って、先輩は差し出していた手を引っ込め、そのままおもむろに懐へ突っ込んだ。そして次に現れた時、その手には白いものが握られていた。 「……それ」 何だかみたことがある。保健室とか保健室とか保健室で。 「包帯なんて何に使うんですか」 理由はわからないけれど何だか少し嫌な予感がする。蓮咲寺先輩は七松先輩と違う意味で何をするのかわからない。 「これでお前と私を繋いでおこうかと思って。今縄の持ち合わせが無いんだよ」 縄!?縄って何。というか繋ぐって何の為に。 そんな俺の戸惑いなど意に介さないとばかりに、先輩は丸めた包帯の端を摘みながら、へらりと笑った。 「まあまあ、気にしない気にしない」 「気にしますよ!だ、大体何で俺を繋ごうとするんですか!」 「え、だって滝夜叉丸が言ったんだよ」 「何を」 「外で三之助を見つけたらとりあえず繋いでおいてくださいって」 「なんでですか」 「え、いいじゃなかその辺は別に。体育委員のくせに細かい事気にするねえ」 「体育委員のくせにってなんですか」 「委員会に属してるとさ、不本意でも多少は委員長とかその辺りに似てくるものなんだよね」 「え」 何か今さらっと怖いことを聞いた気がした。思わず固まる俺の顔をひょいと覗き込み、先輩が「おーい、三之助ー?」と呼ぶ。 「大丈夫?何、どうしたの」 「……どうもしません」 「そう?まあいいや。で、どうする?」 「何がですか」 先輩は笑って、俺の目の前に自分の空の右手と包帯を握った左手を差し出した。 「……」 「どっち?」 満面の笑顔のこの人は、七松先輩より性質が悪いんじゃないかと思った俺は、多分間違ってない気がする。 *** 繋いだ先輩の手は、作や左門のより少しだけ冷たかった。 「先輩の手って…」 知らず知らず呟いた声に、一歩前を歩いていた先輩が振り返った。 「ん?何か言った?」 「や、なんでも…」 いくつも肉刺ができて潰れたんだろう、先輩の手のひらはかさかさとしていたけれど、こっちの都合は関係なくぐしゃぐしゃ頭を撫でてくる七松先輩の手に比べて小さくて指も細い。 大きさなんかは滝夜叉丸先輩の手と、そう変わらない気がした。 でもこの人、六年生なんだよな。こんな手で、六年間苦無を握ったり手離剣を投げたりしてたんだ。 こんな小さな手で。 「……三之助?」 「へ?……ッ!」 不思議そうな声に呼ばれハッと顔を上げる。気付けば俺は、先輩の手をぎゅうと握り締めていた。カッと頬に熱が集まる。 何だコレ。コレじゃまるで先輩に甘える一年坊主たちと同じじゃないか。俺らしくない! 「いや、これはなんでもないんです!」 本当に何にも無いんです!と否定する。慌てる頭で追求される前に何とか話を変えなければと、思いついた言葉をそのまま口にした。 「せ、先輩は七松先輩と手を繋ぐんですか?」 「は?小平太と?うーん、そうだなあ。昔はよく繋いでたな……」 脈絡もないような質問だったけれどさして疑問にも思わなかったようで、先輩はそう言って、懐かしむように小さく笑った。 「一年の頃とか、マラソンについていけなかったりするとさ、小平太が来て手を引いてくれたりしたもんだよ」 「へー。七松先輩が…」 話が逸れてよかった、と胸を撫で下ろしながらもあのいけどん委員長が、と意外な気持ちで相槌を打つ。付いていけなかったら放っていかれそうだけどとは言わなかった。 そんな俺に何を思ったのか、蓮咲寺先輩は何でか遠い目をした。 「うん、あの体力馬鹿のペースに合わせて走らされてね…」 「……へ」 「ゴールする頃には最早ボロ雑巾みたいだとかよく言われたもんだよ……」 ははは、と先輩の口から乾いた笑いがこぼれる。 「……えーと、大変だったんですね」 「まあねえ。でもお陰で六年過ごせるだけの体力はついたかなあ…」 俺を見て、蓮咲寺先輩は目を細めた。 「だからまあ、三之助もさ。委員会頑張るとその内いいことあるよ」 「……そうですか」 「そうだよ」 笑いながら、先輩は繋いだ手を軽く揺らす。 そうだろうか。こんな小さな手で六年を過ごしたこの人が言うように、俺にも何か得るものがあるんだろうか。 「俺」 「うん?」 「先輩みたいになれますか」 「小平太みたいに?んーそうだなー。三之助ならなれるよ。きっと」 あのいけどんは別に引き継がなくてもいいと思うけど、と目を細めて俺を見る先輩の視線が柔らかい。何だか気恥ずかしくて、思わず顔を伏せた。 きっと、と先輩は言った。絶対と言わなかったところが、蓮咲寺先輩らしいと思った。 なれるだろうか。 いつもずっと前を走るあの人みたいに、今となりを歩くこの人みたいに。 強く、強く。 ほんの少し繋いだ手に力を入れると、同じだけの強さで握り返される。本当に一年生みたいだ。でも。 朔先輩は六年で、俺は三年で。先輩は俺の先輩なんだからたまにはいいんだ。こんなんでも。 誤魔化すように胸の中で並べた言い訳は、少しむず痒かった。 焦がれたものを目指して (20110729) 鹿乃様リクエストで『天泣夢主と五、六年以外の忍たまの話』でした。五、六年以外ということで、書いていない学年をと次屋を選んでみましたがいかがでしょうか。今更ながらにこの子が結構難しいということを再認識いたしました…。少しでも楽しんでいただければ幸いです。今回は素敵なリクエストありがとうございました。 |