とある世界の隅っこで

「どうしたの?」

不思議そうな声をかけられるまで、俺はひとがいることにも気付いていなかった。
驚いてパッと顔を上げると、声と同じく不思議そうにしていたそのひとは、目をしきりに瞬かせ首を傾げた。

「君、ろ組の竹谷でしょう。こんなところでどうしたの」

青の制服――二年生だと思ったけれど、名前が出てこない。確か二年ろ組の学級委員長だった。三郎が珍しく懐いている先輩。
ええと、名前は…。

「蓮咲寺、先輩」
「うん」

どうやら間違えずに済んだらしいことにホッとして、そんな俺に先輩はもう一度「こんなところでどうしたの」と尋ねた。
先輩の疑問はもっともなものだった。
空が朱を帯び始める時間、俺は裏々山の奥、大樹の根元にひとりで座り込んでいたのだ。

「……先輩は、どうしたんですか」

答えの代わりに疑問を返した俺に気を悪くするでもなく、先輩は「私?」とただ目を瞬かせた。

「私は迷子だよ」

平然と恥じるでもなく、単なる事実のように、先輩はさらりと言ってのけた。

「迷子、ですか?」

呆気に取られる俺に、先輩はへらりと笑った。

「そう。でもほらこれ見て?」

言って差し出した泥に汚れた手には、小さな薄紫の花をつけた草の束が握られている。

「なんですか、これ?」
「薬草だよ」

滅多に手に入らないものらしいが、偶然その群生地に迷い込んだのだと、先輩は何故か嬉しげに話す。

「でも、迷子なんですよね」
「うん。そうだねえ」

のんびりと頷き、先輩は俺の隣に腰を下ろした。

「君は?どうしてここにいるの?」
「…俺、は…」

ぎゅう、と気付かないうちに、腕に力を込めていた。俺の腕の中でそれまで大人しくしていた灰色の固まりが、不満げな鳴声を上げた。

「あ、悪い。大丈夫か?」

そう声を掛ければ、答えるように尻尾を揺らし、賢いそいつはまた大人しく丸くなる。
俺の腕の中を覗き込んだ先輩は少しだけ目を丸くした。

「犬の仔?」
「狼です」
「ああ、そういえば竹谷は生物委員だったっけ。その仔、学園の子?」
「今年生まれたやつなんです」

狼の檻が破れていた。それを見つけた瞬間よりも、一番可愛がっていたちびがいないことに気付いた時の方がよっぽど慌てた。そのまま学園を飛び出して、探して探してやっと見つけたんだ。

「じゃあ、この子を探しに来たんだね」

俺は頷く。その通りだったけれど。

「よかったね」

先輩はそっと空いていた手を伸ばして、ちびの背を撫でた。
気付いているのかな。先輩は何にも言わないし聞かない。見つけたのに、何でまだ裏々山にいるのか、とは。
それが先輩と同じ理由だなんて、きっと気付いているんだろうけれど先輩は聞かなかった。

「先輩」
「ん?」
「先輩は、これからどうするんですか?」

じきに日は暮れる。せめて腕の中の温もりに心細さをやわらげてもらおうとずっと抱きしめていたことには気付かれたくなくて、俺は口を開いた。

「私?私はここにいるよ?」
「え?」
「小平太が、迎えに来てくれるから」
「七松、先輩が?」

どういうことだろう。目で問えば、先輩は可笑しそうに笑う。

「私が迷ってもね、小平太は絶対に見つけてくれるんだよ」

だから大丈夫。
絶対の自信と信頼。そんなものが先輩の笑顔にはあった。
一年を一緒に過ごして、それだけでそんなに信じられるようになるんだろうか。同じ組のふたりの友人の顔が俺の頭に浮かんだ。

「こういう時は動かない方がいいんだよ。その方が見つけやすいんだって」

先輩はのんびりとそんな事を言う。

「だからさ、待っていよう。一緒に」

そう言って、繋いだ手はちびよりも少しだけ冷たかったけれど、ちびと同じかそれ以上に安心できる何かを、俺にくれた。


たぶん、それがさいしょの話。
(20111018)

‐‐‐

1年竹谷と2年夢主。

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