鉢屋 「そんな顔をしていたら、襲われたって知りませんからね」 「どういう意味?」 自分の方が余程不貞腐れた顔をしているくせに、三郎は不機嫌そうにそんなことを言う。 「先輩は隙が多いんですよ」 聞き捨てならない一言に思わずムッとして眉を潜める私に、三郎は「ほら、そんなところが」と私の鼻を軽く摘まんだ。 「は!?」 「昔と今とは、違うんですよ?」 「当たり前でしょう?」 何を今更と笑い飛ばそうとしてできなかったのは、見上げた彼の瞳に思いの外真摯な色が宿っていたから。 息をのんだ私に気付いていない様子で、三郎の指が私の頬をそっと撫でた。 「油断してると、どこかの誰かに食べられたって文句も言えないんですよ」 「た、食べられるって……」 何を馬鹿な。 その言葉の意味するところがわからないほど、私は子供ではなくて、だけどまさか三郎がそんなことを言い出すとは思いもしなくて。 驚いたせいなのか、不意に、ブレザー姿の後輩の、どこを見ればいいのかわからなくなって私は狼狽えた。 緩んだネクタイと開けた第一ボタン。その下に除く鎖骨。 私たちの距離感は、どんなものだっただろう? ぐるぐると目まぐるしく回る記憶の中で、あの忍装束の可愛い後輩の姿を引っ張り出そうとしても、それはどこかにつっかえてでもいるのかうまくいかない。 頭の中でしきりにちかちかと様々な色が点滅している。 「先輩?」 「え、あ、う……」 もごもごと言葉にならない音を口走る私に、三郎は打って変わって不思議そうに、背を屈めてひょいと顔を覗き込んできた。 「――っ!!?!」 ぐっと近付いた顔に悲鳴に近い声が飛び出しかける。何とか飲み下せたのは、後ろから伸びてきた大きな手が、私の口を押えたからに他ならない。 「悪いね、鉢屋君。家まで送ってもらって」 背後から気配もなく現れたのは既に帰宅していたらしい父様で、振り仰ぐようにして見上げればその人はにっこりと笑った。 「いえいえ、お気になさらずに。好きでしていることですので」 対峙する三郎が、父様の笑顔を受け流すようにこちらもまた意味ありげな笑みを浮かべる。 「……いい根性してるね、君」 「お褒めの言葉、ありがとうございます」 父様の目に剣呑な色が浮かんだ。 「でも今のは、やり過ぎかな?」 「ははは。滅相もない」 降参するように両手を上げてみせ、三郎はひらりと体を翻す。 「睨まれてしまいましたので、私はこれで退散します。……お休みなさい、先輩」 いつか見たような、初めて見るような、不可思議な笑みに乗せてそれだけ言って、三郎はさっさとその姿を消した。 「よし塩を撒こうか塩」 至って真剣な面持ちでそんなことを口走る父様の腕の中、私は我知らず熱をもった頬を押さえたのだった。 あの日と同じ顔をして、違う明日がやってくる (20131021) [しおりを挟む] ×
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