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「先輩、何か仰いましたか?」 親友の顔を借りた後輩が首を傾げる。それに「いいや」と緩く答え、私は少し冷めたお茶に手を伸ばした。 「うん、美味い。三郎、また腕を上げたんじゃないのか?」 「当然です」 口調とは裏腹、期待を込めた眼差しを私に向ける三郎に思わず苦笑する。褒めて褒めてと尾を振る犬のようだと思いながら、その頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。 少し前の前言撤回。 ああ、もう本当に。 「私の後輩は可愛いなあ」 「でしょう?」 「何で上から目線なんだい君は」 まったくもう、仕様がない。実に可愛い。 緩む口元を何とか堪えながら、誤魔化すように更に頭を撫で回していると、ばたばたと騒々しい足音が聞こえてきた。 足音は次第に近付き、そしてやはりすぱーん!と勢い良く障子が開いた。 「すいません、遅くなりました。……ってああ!三郎ずるい!」 「羨ましいだろ、勘ちゃん」 「勘右衛門…廊下は走るな。あと障子は静かに開けなさいね」 「先輩!俺も!俺も撫でてください!」 「うん、君は人の話を聞こうかー」 いや、君「も」だろうか。この学園、ひとの話を聞かない人間多いからなあ…。 そんなことを考えていると、抱きついたままの三郎を押しのけるようにして、勘右衛門が勢い良くしがみ付いてくる。咄嗟に受身をとったものの、床に頭を軽くぶつけた。 「あのさ…痛いんだけど…」 「一年生は平気じゃないですか!」 「一年と君たちを一緒にするんじゃありません」 身体の大きさを考えろ。 「そうだぞ、勘ちゃん。何せ朔先輩は六年最弱の二つ名を欲しいままにしておられる方なんだからな!」 「いや、欲しいままにしてるわけじゃないよ。決してないよ」 「そうですよね」 「ほら見ろ三郎。勘右衛門はちゃんとわかってるよ」 「先輩は最弱でしたもんねえ」 「え、納得したのそこ!?」 すみませんでした、としおらしく謝られてしまった。今更傷つきはしないが(第一事実だし)、ひとつ声を大にして言いたいのは、我がクラスには忍術学園の暴君の呼び名をそれこそ本当に欲しいままにしている体育委員長がいるのだ。あの体力無尽蔵な男が比較対象な時点で何かが可笑しい気がするのだが。 「今更じゃないですか」 「三郎、人の心の声を読むのは止めて」 「先輩、口から漏れてましたよ」 「そういうのは聞かなかったことにするもんだよ」 張り付いたままの二人を引き剥がしつつ、よっこらせと体を起こす。 「年寄りくさいですよ」と三郎が笑うが、実年齢はすでに三十路なのだと言えば、この子はどんな反応をするのだろうか。 まあ三十路で年寄りって言ってたら、じゃあ先生方はどうなるんですかと突っ込まれて終わりのような気がしなくもないけれど。 「はい!」と勘右衛門が勢い良く挙手する。 「俺はちゃんと突っ込みませんでしたよ、先輩」 「何か日本語が可笑しい気がするんだけど。……まあいいか」 だから撫でてくれと暗に強請るもう一人の後輩の頭をぐりぐり撫でてやれば、勘右衛門は一体何がそんなに嬉しいのか訊ねたくなるほどの笑顔を浮かべ、とても満足そうだった。 「……私は時々お前たちがわからないよ」 「何でですか。俺たちなんてすごくわかりやすく先輩への愛を叫んでいるのに!」 「うん、勘右衛門。実におしいね、その視点。むしろ私は何でそこまで私に愛を叫べるのかがとても疑問だよ」 「そりゃ、私たちが先輩を好きだからに決まっているでしょう?」 三郎にまで何を言っているのかと、実に不思議そうに首を傾げられてしまった。 「いや、だからそれが……。……あー、ありがとうね」 好きだと、臆することなく伝えてくれる。そんなひとがいることが気恥ずかしくて少しだけ怖くて、だけどどれだけ自分を誇れるようになるのか。それを彼らは知っているのだろうか。 この十年で失ったものはそれこそたくさんあるけれど、代わりに手に入れたものもたくさんある。今の日常も、この緑の制服も、級友も後輩たちも間違いなく私が手に入れたものだ。 変われなかった鈴村楓の代わりに手に入れたものであり、これが今の私だ。 「ぼちぼち頑張ろうかな」 目の前の問題をどうにかすることもまた、今の私の仕事なのだから。 蓮咲寺朔。 六年ろ組、学級委員長です。 (怯える心は消えないけれど、それでも少しだけ、強くあれればと今日も願う。) [目次] [しおりを挟む] ×
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