答えを探して

あれはいつのことだっただろう。

確か下級生の頃だったか。
火薬のさじ加減を少しばかり間違えて、私は利き手に火傷を負った。
日々の生活には支障がない程度のそれだったが、昼に夜に包帯を替え、薬を塗ってくれた級友二人が似たような顔をしていた事を覚えている。

片や己の不運体質故に傷をこしらえ、また片や己の手先の不器用さ故に傷をこしらえたその二人が、代わる代わる治療にやって来ては自分の傷のように泣きそうな顔をしていた。
幼心に思ったものだ。ああ、この二人は忍にきっと向いていない。
優しすぎるその心根は、人として誰もが密やかに求めるものだが、乱世の陰で生きるには相応しくなかろうと。

丁度、ひとりふたりと同年の忍たまが欠けはじめた頃でもあった。
自分が卒業以外で学園の外に出るならば、それはきっと物言わぬ躯となってのことだろう。けれどこの二人は、優しすぎるが故に去るのではないだろうか。それはどちらが先だろう?

結果で言うなら、どれでもなかった。私たちは欠けることなく長じて最高学年にまで至った。
あの似た者同士のような二人は、相変わらずここにいる。
そして私もここにいる。

ぼんやりと、灯りの下に己の手をかざし私は随分薄れた傷を眺めた。

この手に刻まれたものは、私が学園で生きてきた証だ。作法委員は美しさに拘ると陰口を叩く輩がいることを知っている。喜八郎、藤内、兵太夫と伝七。委員長の贔屓目に見ても、確かに我が後輩たちは容姿において勝っていると思う。けれどその傍らで、その見目にのみ惑わされるような浅はかな連中の言葉など聞くにも値しないと思ってもいる。

綾部喜八郎が学園一のトラパーと呼ばれるその裏に、あれが掘ってきた落とし穴の数、仕掛けた罠の数がある。考えずともわかる容易い事実にすら気付かない連中の言葉など、何の意味もない。

我々は忍のたまご。忍たまだ。
プロとして生きていく為に、払う代価があるのは当然のこと。それができないものは去るまでのこと。

――ねえ、仙蔵。

耳に揺らめく『あの人』の声が、私の意識まで揺さぶる。

『ねえ、仙蔵。あのね、不思議なの』

甘い声で、あの人が問うた。

『どうして、朔くんは忍たまなの?六年最弱って呼ばれてるんでしょう?男でもないんだから、忍たまじゃなくてくのいち教室に行けばいいんじゃないかな?』

それは、と言いさした私を遮るように彼女は続けた。

『あ、もしかして伊作の為?朔くんがいなくなったら、伊作が『六年最弱』って言われちゃうから?伊作もそんなに強そうじゃないけど、まあ多分朔くんよりは強いでしょう?ね?そうなの?』

無邪気に訊ねる彼女に言葉を失った。返すべきは何なのかを見失ったと言うべきか。幸か不幸か、彼女の居室に居合わせたのは私だけであり、彼女は私ならば答えを知っているだろうと期待に目を輝かせていた。

『朔くんて、必要?』

小首を傾げて少しだけ不満げに唇を尖らせる。
愛らしい、という称賛が、一瞬浮かんで霧散した。
どうやって退出したのか記憶は定かではない。ただ、私はその時思った。

この人は何を言っているんだろう?

必要?誰にとって?何にとって?
この場にいない同室者は、おそらく彼女の元だろう。夜警と称して留三郎と交互に部屋の前に詰めているはずだった。
私も、文次郎も、そして朔も、『必要』とされているからここにいるわけではない。私たちは誰かの為にここにいるわけではない。

私たちは、私たち自身の為にここにいるに他ならない。友と呼ぶべき者の為に心を割くことはあっても、その為に去ることはない・
私は私の為にここにいる。朔は朔の為に、ここにいる。

それを容易く、彼女は否定した。無邪気に、悪意なく。

――本当に?

朔をいらないのではないかと言ったその言葉は、朔を否定する言葉。そこに本当に悪意などないというのだろうか?
誰かが何かを否定する。それは無意識であれ意識してであれ、悪意に違いないのではなかろうか?

いいや、彼女がそんな思いを抱くはずがない。私は自分の考えが馬鹿らしいと首を振る。何故なら彼女は天女なのだ。清らな花が悪意など抱こうか。
こだまするのは彼女の声。まるで甘い毒のようだとぼんやり思う。視界をずらせば、油紙に包まれた紙切れが数枚。

床下に隠したまま、久しく目を通していなかったそれは、たどたどしい字で記された火傷に効く軟膏の処方だった。

――怪我をしたら、伊作が治してくれるよ。伊作がいないときは、私が治してあげられるように頑張るよ。

手にした紙切れが皺になるほど力を込めて、あれはそう言った。

――でも、私も伊作もいない時がもしもあれば、そしたら仙蔵は自分で手当てをするでしょう?

新野先生や他の先生方もいるだろうと笑う私にそれでもと珍しく語気を強めて言った。

――お守りになるように、これを持ってて。

こんなものが必要ないように、これを持っていろとどこか矛盾するようなことを言って、朔が私に押し付けた『お守り』だった。
所どころに混じる伊作の筆跡に気付いたのは、押し付けられるままに受け取ってしばらくしてのことだった。

この薬の作り方なら、私はもう諳んじられる。何を見ずとも自分で作れる。
そしてこの薬を使うこともここしばらくとんとなかった。下手を打って火傷を負うことが減ったのだ。

それだけの年月を私は学園で過ごした。他の六人と同様に。

『お守り』を懐に入れ、私は立ち上がった。久しく嗅いでいない火薬の匂いが、無性に懐かしかった。
どうして私は、こうなった?いつから私はこうなった?
ふらふらとさまようようように、夜の学園に足を向ける。『彼女』の下へ――ではない。探す姿は別のところに。

あてどなく歩く私の前に、察知していたかのようにそれはいた。
揺れる木立の陰、月を見上げるように立つ姿。

「朔」

呼んだ声に少しだけ驚いたようにその友人は振り返った。


(知らねばならぬと、思った)
(20141225)


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