ある庭師の唄
ずうっと考えていたんだけれど、と朔が口を開いた。 蹴散らした敵の姿が消え気配が消え、ついに誰もいなくなった場所を眺めながらぽつりと話し出す。 「そもそも天女様の目的ってなんなんだろうね?」 「あの人の目的?」 以前のように名で呼ぶことは躊躇われ、しかし朔のように天女様と口にする気にもなれず、曖昧に濁した私を然して気にする様子もなく、朔は「そう、目的」と繰り返した。 「たとえば私なら、私の行動目的は…そうだな、学園の秩序を取り戻すってところになるわけだけれどさ、あの人は結局何がしたいんだろうね?」 そう言われて初めて、私もまた首を傾げた。 目的?あの人の? ある日空から舞い降りた、天女を名乗るあの娘の。 そう言われて初めて、私はあの人に目的と言うものがある可能性を考えた。むしろ今までそこに考えが至らなかったのが不思議だった。 朔は頭巾を下ろしながら小さく息をつき、それから指折り数え始める。 「贅沢、寵愛、同情、崇拝。……あの人に集まるものは色々あるけれど、何だか全部繋がっていそうでいてそうでもないというか、気持ちが悪いんだよね」 気持ちが悪い? 「すっきりしない、と言うか」 「というと?」 「だって贅沢がしたいのなら、学園にいるよりもそれこそどこぞの城に売り込めばいいわけじゃない?あの人のあの姿と、あの訳のわからない妙な…力があるなら、そう難しいことでもないでしょう」 朔が僅かに言いよどんだ一カ所を問うことはせず、私は話を進めることを選んだ。 「確かにそうだな。身請け先が本当に見つからないとしても、あの人がそれを心底望めば、学園長の伝手をあてにできない訳でもなし…」 「忍たまが貢げるものなんて所詮限られているし、学園内に危険がないわけじゃない。そもそもくのいち教室は彼女自ら敵に回しているようなもんだしさ」 くのいち教室を敵に回すということは、学園内の勢力の三分の一を敵に回すということだ。それは学園内で生き抜く上で決して賢いといえる選択ではない。しかし彼女はそうして尚、この学園に留まり続けている。 「……あの人が求める程度のものが、ここに揃っているということは考えられないか?」 「え?」 朔が目を瞬かせる。私は浮かんだ言葉をそのままなぞる様に口を開いた。 「お前がさっき言っただろう?贅沢や寵愛、同情や崇拝、そんなものの中心にあの人はいる。あの人の願いがもしもそれだと仮定して」 「ここでその願いが十分満たされているってことかい?」 「そういうことだ」 己の願いがすべて叶う場所。それはどれだけ魅力的な安住の地だろうか。 欲求のすべてが既に満たされているのだとしたら、わざわざ危険を冒してまで新たな住みかを探そうとは思うまい。 「んー…?」 「朔?」 「何か…こう…収まりが悪いんだよねえ…。……あ、そう言えば」 「何かあるのか?」 「いや、気になってることがいくつかあるんだけどね、まずあの人は天から降ってきた。それは事実で別にいいんだけどさ、あの人が帰りたがっている姿を見たことあるかい?」 普通なら、いきなり別の世界に放り出されたのなら、まず自分のあるべき場所へ帰りたがるのではないかと朔は言う。 別の世界がそれまでの場所と違えば違う程、帰りたいと泣き叫んで抗うのではないのだろうか? 「……普通、女子高生なら、それくらいのカルチャーショックを受けると思うんだけど……」 「は?」 ぼそぼそと口の中で呟いた声を聞きとがめるが、朔は独り言だと首を振った。それより、と朔の話は続いていく。 「それに、あの人は三郎に妙に執着があるようだったんだ」 「鉢屋に?」 眉を寄せる私に、朔は小さく頷く。 「そう、あの日――あの夜も、何だか異様なほど五年生というか、三郎に固執しているみたいだったんだよね」 あの夜、学園を曲者が襲撃したあの夜、あの人は言った。世界に必要とされているのは『自分』であり、『私』はいらない存在だと。三郎と『自分』は出逢うべくして巡り会ったのだと。 記憶をなぞりそう言って朔が肩を竦める。 「ま、当の三郎にはもともと不信感しか持たれていなかったみたいだけど」 「鉢屋、か……」 千の顔を持つ、天才。 五年ろ組学級委員長。 私たち六年に匹敵する実力を持つと囁かれる、後輩。 下級生の頃から朔によく懐いていたし朔もあいつを可愛がっていた。それは今も変わらない。 いやむしろ――。 朔を連れていくなど許さないと私の前に立ちはだかった姿が、脳裏を過った。 朔を、朔だけは、あの女に渡しはしない。 あの時の鉢屋の殺気は紛うことない本物だった。 「面倒なことになったもんだな」 知らず知らず口からこぼれた深いため息に、朔が目を丸くする。 「何だ?」 「や、珍しいなあと思って。お前がため息なんてさ。細かいことは気にしないのに」 柄じゃないと朔は苦笑するが、ため息もこぼれるというものだ。じわじわと侵蝕する天女の毒を早くどうにかしなければ、脅かされるものは多いに違いなかった。 「伊作に話してみるか」 「伊作に?」 私は腕を組み、自ら確かめるように頷いた。 「ああ。こちら側はお前と私、それと伊作だろう?向こうはまだ四人いる。連れ戻すのは早い方がいい」 天女の毒が、土壌まで侵してしまうその前に。 「そりゃそうだけど……」 朔は口元に手をやり何事か思案している。 「毒には毒をもって制するものではないのか?」 「毒?」 「ああ、あの花には毒がある。いずれは土まで汚す毒が」 「……毒、か。そうだ、小平太」 「うん?」 「伊作と一緒に、仙蔵を見ていてくれないかな」 「仙蔵を?何でまた」 「毒には毒を、花には花をってことかな?」 怪訝な顔をする私に、朔は「それはまあ冗談だけど」と言い置いて、次に取り戻せるのならそれは仙蔵だと口にした。 「本当なら仙蔵は花の目利きくらいできるはずなんだ」 「確かにそうかもしれないが…」 それは天女が現れる以前の仙蔵だ。いや、天女が現れ内に追いやられた仙蔵とするべきか。 「仙蔵は簡単ではないぞ」 「わかってるよ。でも、次にあの花に茨があることに気付くのは仙蔵じゃないかな」 「勘か?」 「微妙に違うかな」 朔がわらう。何か企んでいる、含みのある笑みは、獲物を狙う猫に似ている。 「花の身にある茨も毒も、自分で確かめなければわからないだろう?」 君たちがそうだったように。 「なるほど、では我々は救護班と言ったところか」 その痛みは既に我々が通ったもの。そしてそれは今も尚、この身を苛んでいるもの。 「そうだね」 自嘲気味に唇を吊り上げた私に、朔が向けた視線。そこに一瞬過った不安こそが、私たちへの罰。 「まあ任せとけ。先達としてあれを取り戻してみせるさ」 何がなんでも。これ以上私たちは奪われるわけにはいかないのだ。 ここは箱庭、我らの領地 (20131031) [目次] [しおりを挟む] ×
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