星よりも月よりも

手にしていた苦無を懐にしまい、私は顔を上げた。

「全部片付いたか?」
「おう」

逃げ出した忍者の気配が完全に消え去るのを見届けて、ハチが屋根の上から飛び降りてくる。

「これでしばらくは大丈夫だろ」

頭巾を下げながら呟いた八左ヱ門に、ため息交じりの声が応えた。

「だといいんだけどね」
「雷蔵、そっちも終わったのか?」

振り返れば、雷蔵を先頭に兵助、勘右衛門と続いて姿を現す。

「終わったよ。終わったけど」
「この程度じゃ消化不良だ」

露骨に不満を面に出した兵助が唇を尖らせる。それは私たち五人の総意でもあったけれど、勘右衛門が形ばかり窘める。

「仕方ないさ。あいつらには学園の現状を伝えてもらわないと困るんだ」
「…わかってる。これだけ手加減してやったんだから、精々大仰に伝えてくれるくらいして欲しいもんだな」

ふくれっ面の兵助に、私たちは皆、声なく頷いた。
目的は二つ。学園の守りに揺るぎはないと警告する為。
そしてもう一つは、学園には秘して触れられたくはない「何か」があるのだと知らせる為に。
「何か」が何であるかまで丁寧に説明してやる必要はない。尾ひれに背びれどころか、最早別の魚にでもなっていそうな噂を根拠に、勝手に想像を膨らませてくれるだろう。
それがもたらすものにこそ、朔先輩の狙いがある。

「欲しいというならどこへなりともくれてやればいいんだ、あんな女」

頭で理解していても、感情は別のところにある。それを制することが忍に求められる技量のひとつ。だが、もう随分前にその範疇を越えてしまっていたのだと、私たちは今更ながらに思う。兵助が吐き捨てたその言葉を否定する者などいはしない。

「確かに、あのひとがいなくなれば、僕たちには平穏がやってくるかもしれないね」

顎に手をやり、何事か思案するように、私と同じ顔をした朋輩が宙を見つめる。

「雷蔵」
「あはははは。嫌だなあ、三郎。そんな顔をしなくても、別に何もしやしないさ」

窘めるような声音になった私に、雷蔵が苦笑する。

「第一、 あのひとがいなくなるっていうのが、物理的に絶対に手が届かない場所でなければ意味がないしね」

物理的に、それこそどこぞの城があの女を手に入れるなどということが起こってしまえば、天女に入れあげている人間が救出という名目で動かないわけがない。手の届かない場所――天女を名乗るくらいなのだからいっそ天に帰ってくれた方がどれだけ幸福だろうか。

「……つくづく面倒くさいな、あの女」
「まったくだね」

ふわり、舞い降りた声に、私たちは揃って顔を上げた。

「朔先輩!」
「やあ、首尾は…上々ってところかな」

私たちをぐるりと見回して、塀の上に立つその人が小さく笑う。
身軽な所作で飛び降りる姿に、疲労の色は見えない。

「朔先輩!!」

明るい声を弾ませて、兵助が飛びつく。
一拍の間。出遅れた私たちから上がるのは当然不満と抗議の声だった。

「おいこら兵助!おまっ、何真っ先に躊躇いなく抱き付いてんだ!」
「そうだよ兵助。先輩は俺たちみんなの先輩なんだから」
「……と言いつつお前も私に抱き付いてるんだけど、どういうことかな、勘右衛門?」
「嫌だなあ、言ったじゃないですか。先輩は俺たちのって」

い組二人にぎゅうぎゅう挟まれて心持ち遠い目をする先輩は、幾分諦めの滲む緩慢な動きで勘右衛門と兵助の身体を離す。
やんわりと身体を引きつつ、代わりに頭を撫でることを忘れない。
されるがままに大人しくしているのは、それがあるとわかっているから。しかしそれなら。

「やっぱり不公平だと思うんですが」
「真顔で言ってることと行動が見事に一致してるよね、三郎。ぶれないというか揺るぎないというか、期待を裏切らないねお前も」
「だってい組ばっかりずるいと思います」

同じ顔、というのはこういう時に都合がいい。説得力が増すというものだ。更にいい働きをしたのは八左ヱ門で、耐えかねたように背後からぎゅうぎゅう抱き付いているものだから、動きの制限された先輩はされるがままに私たちの間でもみくちゃになっていく。

「……お前ら朔に恨みでもあるのか?」

いつの間にやって来たのか、思いっきり疑念の滲む七松先輩の声が掛かるまで、終いには最初に離れたい組も加わったものだから朔先輩が悟りきった顔をしていた事に私たちは気付かなかった。

「心外ですね。あの女相手ならともかく、先輩に恨みなんてあるわけないじゃないですか」
「朔を絞め殺すつもりなのかと思ったぞ」

その言葉に、思わず私たちは顔を見合わせた。

「七松先輩の方が容赦ないじゃないですか」

力の加減というものも限界と言う言葉も知らないこの暴君に諭されるとは。
七松先輩は眉を軽く上げる。

「私はそれなりに加減をしているぞ」

沈黙が落ちた。

「あのさ。黙る方が雄弁なことってあるからね」
「先輩の方がひどい気が…」
「うん、お前は黙ろうか、三郎」

にっこり笑って朔先輩が私の頬を摘まむ。効果がないのは既に過去に実証済みである。

「……面の皮が厚すぎて痛まないってどうなの」
「仕方ないじゃないですか、それが私ですし」

気持ち頬を押さえた私に、先輩は一度軽く肩を竦め、それからぱんと手を打った。

「いい時間だし、そろそろ解散しようか。報告は明日に。三郎か勘右衛門がまとめてくれても、個々でもいいよ。悪いけど、放課後私のところに来てくれるかい」
「それは構いませんが……」
「ついでに次の話でもしようじゃないか」

悪戯っぽく、先輩が笑う。闇夜に在って、その笑みは妖しく心を惹きつける。
思わず息をのんだ私たちをよそに、朔先輩は七松先輩に視線を投げた。

「小平太は…まあさっき言った通りで頼むよ」
「ああ」

任せておけと、七松先輩が即答する。二人の間にどんな策が交わされたのか、私たちは知らない。知らされていない。だけれど、二人には、こんなことがあってなお欠けるに至らない信頼があるのは確かで、ほんの少し――いや正直とても悔しく思ったのは、朔先輩であろうと話さない。私たちの秘密だ。


その闇に立つ人に、僕らは惹かれるのだ
(20131015)    

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