夜を彩る影二連

眼下に深い森を見渡す梢の間。
夜の静寂に溶け込むように、私たちはひっそりとそこにいた。

「これはまた、随分ときな臭い事になっているものだな」

囁きと呼ぶには少々大きな声で、腕を組み周囲を見回した小平太が呟く。
緊張感を纏った剣呑な気配が複数、そこらかしこに散っている。

「そりゃそうでしょうよ」

ため息交じりに答えれば、並んで立つ小平太は少しばかりばつの悪い顔をした。
さすがに人並みには罪悪感やら反省心を持ち合わせているようで、今回ばかりは細かいことを気にするなとは言えないらしい。
いやまあそもそもこの問題は細かくないんだけどさ。

今宵も静まり返った学園内は、穏やかと言えば聞こえはいいが、実際忍術学園と敵対する勢力側から見た場合どう映るだろう?
不気味な沈黙と警戒を強めるか、はたまた堕落と漬け込むすきを与えるか。
何にせよ、常と異なる『変事』をいつまでも見逃してくれるほど、私たちの周囲は間抜けではない。

「…ま、今のところは様子見程度の偵察だろうけどね」
「様子見、か…」
「三郎たちが調べてきたところによると、世間では天女様に関する噂があれやこれや広まってるみたいだからね」

先だっての天女強奪事件の様な、天女を手に入れれば天下を制することができるだの、不老不死になれるだのそんな眉唾物から始まり、どんな男でも一目見れば籠絡されてしまう傾城であるだのというあながち外れてもいない噂話まで。
そしてその正体は、真に天女かはたまた妖か。それともいずこかの間者であるのか。
何かしらにつけて、天女様を中心に形成されている噂話は様々な国の興味を引くらしい。

手に入れたいと願う者もいれば、気味が悪いと遠ざけたがる者もいる。学園を崩す手段となるならば利用価値があろうと囁く者がいれば、学園の罠だと危ぶむ者もいる。
忍にとって、いかに正確な情報を他国を出し抜き掴んでくるか、それは重要な忍務の一つだ。
天女の噂の真偽のほどはいかに、そして学園の動向は?
目下彼らの目当てはそんなところだろう。

もしかすると『天女様を守る為に』私たちが何某の忍と一戦を交えたなどという話も流れているかもしれない。そしてそれは、学園が天女を庇護しているという噂を探らせるには十分な信憑性を与えているだろう。
天女様に関する噂が独り歩きするだけなら別にどうだっていいんだけれど。

「…斥候に何かしら掴まれれば、動かれるのも時間の問題だな」
「まあねえ」

間違っても今が攻め時であると思われてはならない。
敵の目的が天女様個人であろうと、学園そのものであろうと、前回のように比較的容易く迎え撃つことのできる敵ばかりではない。

「天女様はともかく、下級生に害が及ぶのは避けないとねえ」
「朔、お前結構言うなあ」

小平太が呆れたように私を見下ろす。私はふんと鼻を鳴らし、反論しようと口を開きかけた。しかしそれに被さるようにして、三つめの声が現れる。

「何言ってるんですか七松先輩。それくらい当然ですよ」
「やあ勘右衛門」

葉擦れの音を立てて姿を見せた後輩は、不機嫌そうに低く笑った。

「あの女に先輩が掛けられた迷惑や無礼の数々を思えば、むしろ先輩の言葉は菩薩の域ですよ」
「…いや、さすがに菩薩はちょっと…」

私には荷が重い。

「ま、まあそんなことより。どうだった、そっちは」

何故私が気を使わなければならないのかさっぱりわからないが、場の空気を察して私は話を逸らした。これ以上この話を広げても、現状特に何も収穫は得られない事は目に見えて明らかだ。

「西側の森も大差はないですね。ドクタケを筆頭に二、三の城の者と思われる忍がうろついています」
「ふうん」

少し考えるように顎に手を掛けた私に、勘右衛門がするりと腕を絡ませてきた。甘えるようにすり寄ってきたかと思えば、勘右衛門は「ねえ、先輩」と笑う。

「全部潰して構わないでしょう?」
「…何その危険思想」
「だってどうせ追い返すんでしょう」

それなら潰したところで問題ないではないかと勘右衛門は言う。

「大体、三郎も兵助もそのつもりですよ。今は雷蔵とハチが抑えてますけど、あの二人だっていい加減苛々してるんです」
「相手は不満発散要員じゃないよ」
「学園の周囲をうろついている時点で、運命は似たようなもんじゃないですか」

違うと思う。
そう言いかけて、私は諦めて息を吐いた。
実際、五年生たちが苛々しているのは知っているし、学園に付け入る隙を与えない為には一度潰しておいた方がいい。少数の斥候なら、尚のこと。
恨むなら学園への斥候となった己の不運を恨んでもらおう。

「潰していいけど完全にやるのは駄目だよ」
「九割ならいいですか?」
「六割」
「八割では?」
「…七割にしておいて。あと、忘れてないと思うけど目的は聞き出してよ」

勘右衛門は渋々といった体ながらも頷いた。

「わかりました。それより先輩の方は大丈夫ですか?」
「何が?」
「七松先輩とお二人で」

ちろりと勘右衛門が小平太へ視線を投げる。
木の幹に背を預け、私たちの様子を眺めていた小平太の眉がぴくりと動いた。

「どういう意味だ、尾浜」

目を眇める小平太に、勘右衛門は「そのままですよ」と軽く答えた。

「七松先輩の腕は少々鈍っているご様子ですので、朔先輩の足を引っ張るんじゃないのかと」
「…お前ら揃いも揃って…」

小平太が低く唸るが勘右衛門は平然と受け流した。
ちなみに小平太が今の台詞を言われるのはこれで五回目で、勘右衛門で丁度一巡りしたことになる。藍色の後輩たちはそれぞれ性格からか言い方に違いこそあれ、内容は同じようなもので、どれも嫌味でしかないのは間違いなかった。

「あーもうやめなさいって、二人とも。喧嘩するなら後で私のいないところでやって」

五年生たちの気持ちもわかるが、五回も同じ場面に立ち会わされる私のことも少しでいいから考えてくれ。せめて一回か二回で纏めて済ませる方向にしてくれないだろうか。

「止めはしないんですね」

意外そうに目を丸くする勘右衛門に、私は肩を竦めた。

「それくらいのことは君たちの権利だと思うからね」

今回の事では私と同じかそれ以上に実害を被っている五年生たちに、いくら相手が朋輩たちとはいえそう容易く許してやってくれとも言えない。

「…先輩ってやっぱり、心の広さが菩薩の域ですね」

勘右衛門はしみじみとわけのわからないことを独り言ちて私に絡ませていた腕を解いた。

「七松先輩たちはもっと朔先輩に感謝した方がいいですよ、色々と」
「お前たちに言われなくてもそれくらいわかってる」

憮然とした顔の小平太と疑問符を浮かべる私をよそに、勘右衛門は一人納得したように頷いている。

「では俺は戻ります」
「ああ、頼んだよ」

ひらひら手を振る私に背を向け、勘右衛門がその姿を消した。

「さて」

視線を闇へと戻す。
蠢く気配に、私は唇をゆるりと吊り上げた。

「勘右衛門たちにはああ言ったけど」

頭巾を口元へ引き上げながら、私はちらと小平太を見る。

「まあ無理なくぼちぼちやっておくれよね」

鈍った腕で焦って怪我でもされるよりは、そっちの方が余程いい。

「言ってろ」

小平太は苦無を構え、獣のように悠然と笑った。

「なるほど」

心配は無用とそう言うことか。

「どれだけ勘が戻ってるのか、期待してるよ」

場違いなのはわかっている。それでもどこか踊る心を押さえきれない私はおかしいだろうか。
肩を並べることができる。それが嬉しくて堪らない私はおかしいだろうか。

「よし!行くぞ!!」
「あいよー」

私たちは一度だけ目を見交わして、その身を闇に躍らせた。


あの日々を覚えてる
(20130717)    

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