進めや進め
「はいはーい、いい雰囲気のところごめんねー」 ある種の緊張感に支配されていた室内に、その張りつめた糸を叩き切るかの如く気の抜ける声が響いた。 気が抜けるっていうか、脱力するというか。 「……父様、空気を読みましょうよ空気を」 どんな盛り上がりも、差された水によって一気に醒める。 私の苦情をさらりと流して、父様は「ははははは」とわざとらしく笑った。 「空気を読むっていうか完全に空気扱いだったよね私。泣いてもいいレベルで空気だったよね」 声は笑っているが目は笑っていない。実際問題本人の言う通りなので、割って入ってきた闖入者に私と伊作は押し黙った。 「いや何かすごく盛り上がってるから、これ以上傍観してると別のフラグが立っちゃう気がしてさー。これ以上方向性を見失うと修正が厄介なことになるでしょー」 意味が分からない。 「何ですか別のフラグって」 「ただでさえ傾向何それおいしいの?な感じなのに、ここにきて伊作君が掻っ攫っていくとかまずいんじゃないかなー。私としては鉢屋君とか七松君寄りっていうこと自体なかったことになっても全然いいんだけど。ていうか相手なんていなくていいと思ってるけど」 意味が分からない。 「……って原作で言うところの枠線の裏側の人が言ってるよ」 「本気で意味が分かりません。でも最後の方が何か父様の本音っぽいのはわかりました」 どさくさに紛れて突っ込んできたんじゃないかこの人。 「流して問題ないから聞き流しなさい」 自分で言っておきながらしれっと話を打ち切り、父様はさてと腰を上げた。 「とりあえずまあ、これで保健委員長が戻ってきたってことかな。おめでとう朔。今日から一つ仕事が減ったわけだ」 父様はそう言って、私の頭にぽんと手を置いた。 「伊作君」 「は、はい」 「そう言うわけだから。一人で変なフラグ立てないように」 「へ?」 「だからそれはもういいですってば!」 「冗談だよ」 冗談と本気の境目があやふやな人に言われても。 困惑気味の伊作を置き去りにしたまま、父様は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「それじゃあ私はそろそろ帰るかな」 「そうして下さい。陣内さんたちが待ってますよ」 「おや、ちょっとは寂しそうにしてくれてもいいんじゃないかい」 「…最近は割とよく会ってるじゃないですか」 大体私をいくつだと思っているんだこの人は。 呆れ交じりに見上げたけれど、父様の目が思いの外真剣な色をしていて、私は首を傾げた。 「父様?」 どうかしましたか? そう尋ねるより先に、その色は綺麗に消えてしまったけれど。 「朔」 「はい?」 「もしもの時は帰っておいで」 「は?」 言葉の意味を問い返すより先に、ひらひらと手を振りながら父様の姿が視界からすっと消える。 「冗談だよ、冗談」 笑い声と共に言い残して、父様の気配も消える。 「朔…」 伊作が気づかわしげに声をかけてくる。 「冗談が過ぎるよねえ」 まったく、あの人は。 追いかけても追いかけても届かないあの背に近付くために、一人前の忍者になる。なってみせる。 だから私は帰らないし、私の大切なこの箱庭を放棄するつもりも毛頭ない。 それを知るくせに、父様は言う。 それは私の身を何より案じてくれているからだと知っている。 「だからってそれに甘えるわけにもいかないんだよね」 口の中で小さく呟き、私は苦く笑った。 「もしも」何かが起きるなんて考えたくはないけれど、動く上で最初からその可能性を排除することはできない。 「ほんと、めんどくさい」 ちらりと見上げた空は茜に染まり始めていた。 急がばまわれ、舞い踊れ (20130716) [目次] [しおりを挟む] ×
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