裏方たちの舞台裏・弐

上級生というものは何かにつけて忙しい。それはくのタマ忍たま問わずであるが、忍たま上級生がほぼ使い物にならない現状であれば、くのタマ上級生となれば尚のこと。
何故自分があれらの尻拭いをしてやらねばならぬのかと思わなくもないが、文句を言ったところで始まらない。

学園長より言い付かった『お使い』を終え、日も暮れてから自室へ戻った舞鶴カサネは、明りの灯っていない室内に首を傾げた。
内に人の気配はある。すらりと音もなく襖を開けば暗闇の中こちらに背を向けるように座る同室者がいた。

「ただいま」
「あら、おかえりなさい」

カサネの声に気付いたように振り返った四月一日雛菊は、「もうそんな時刻ですのね」と今まさに気付いたといった様子だった。

「どうしたの?お菊がそんなにぼんやりしてるなんて」

「珍しいわね?」とからかい口調でカサネは油皿に慣れた手つきで火を入れた。じわりと広がる明りに、雛菊は目を細め、「そうかしら?」と呟く。
そんな雛菊に苦笑を返し、カサネは何気ない仕草で柱を撫でた。

「で?一体どんなお客が来たの?貴女の心を奪うような」
「ネズミの間違いでしょう?いいえ、そう言ってはネズミに失礼ですわ」

柱に付いた、真新しい傷跡。確かにそんな無粋なものを自分たちの部屋に残していくような相手は、ネズミで十分なのかもしれないと雛菊に同調しながら、カサネは思い出したように手に提げていた竹筒を差し出した。

「甘酒。飲むでしょう?」
「……ええ。いただきますわ」

甘酒を啜る音が、二人きりの室内に響く。

「朔も」

呼んであげれば良かったわね、と続けようとしたカサネだったが、自分が口にした友人の名に、雛菊の肩が微かに揺れたことを見逃しはしなかった。

「お菊?」

少し遠い場所を見つめるような雛菊の横顔に、カサネが首を傾げる。一体自分のいない間に何があったというのか。おそらく『ネズミ』絡みで間違いはないのだろうけれど。
いまひとつ把握しきれないカサネの耳に届いたのは、物憂げな声だった。

「つまらないわ……」

柳眉を曇らせて溜息を吐く様は儚げで可憐な美少女そのものだったが、このミスくのいち教室の性格を熟知している舞鶴カサネは顔を引き攣らせた。
伊達に彼女と並んでくのいち教室の双璧などという仰々しい呼ばれ方をしているわけではない。

雛菊が「つまらない」「退屈だ」などと言い出すときには大抵何かしらの問題行動を引き起こしてくれるのだ。四月一日雛菊に暇を与えてはならない。
六年同室で過ごしてきただけに、さすがに慣れているとはいえ、大概にして巻き込まれるカサネとしては面倒ごとは極力控えめに終わるように先手を打ちたいところである。
一体今回は何を思いついて何をしでかすのやら。
諦め半分で何を口にするかと待ち構えるカサネを知ってか知らずか、雛菊はちらりとカサネを見遣った。

「ねえカサネ」
「なあに、お菊」
「つまらないと思いません?あの女」
「……あの女?」

即座にその指し示す相手が浮かばず眉根を寄せる。そんなカサネに、雛菊もまた眉を潜める。

「ええ、あの天女様なぞと呼ばれる女」
「…ああ、彼女」

確かにつまらない。何ができるでもない、ただの娘。蝶よ花よともてはやされる以外には。そのご自慢の容姿ひとつとってみても、カサネの目には雛菊の方が余程可憐に映る。

「彼女がまた、何かやらかしたの?」

ちらりと柱に視線を投げつつ、ではこれは忍たま連中の殴りこみの跡か、と呆れ混じりに溜息を吐く。
一体今度は何の言いがかりをつけてきたのやら。ここしばらく、くのいち教室は天女様には関わっていなかったと思うけれど。
やれやれ頭の痛いこと。

「そうですわね。頭も痛みますわ。朔を振り回してばかり」

忍たま六年最後の一人として今も走り回っているのだろう友人の顔が浮かぶ。彼女たちの親愛なる朋輩。いっそくのいち教室にくればいいのに、と思ったことは正直何度もある。

どうやら雛菊は暇なのではなく、ひどく機嫌を損ねているらしい。ここに来てカサネはその事実に気付いた。一連の天女騒動で最も被害を被っているのは誰かと尋ねられれば、挙がる名前は数多いだろう。くノ一教室だけで一体何人の名が挙がるやら。けれど現在進行形で矢面に立っているのは恐らく。

「朔に、何か言ったの?」
「……七松小平太」
「え?」

ぱちり、とカサネは大きな瞳を瞬かせた。唐突に飛び出した忍たま六年の名前に首を傾げる。

「七松?」
「ええ、ネズミにしては、立派な名前でしょう?腹が立つほどに」
「……七松が、何を?」

ふふ、と雛菊が笑う。背筋が粟立つような微笑。けれど見慣れたカサネは気に止めることなく先を促した。

「わたくしにこう訊きましたのよ?」

『朔は、どこにいた?』

「どこ?」

訝しげなカサネに、雛菊は続けた。

「ここ数ヶ月、朔はどこで何をしていたと、それをわたくしに訊きに来ましたのよ?あれは」
「七松が?」

それが意味するところは……。
カサネは眉を寄せた。雛菊の笑みに苦いものが混じる。

「今更、それをわたくしに訊きに来るなんてまったく的外れ」
「……教えてあげたの?」
「いいえ?わたくしがそんなに優しいと思いますか?あれにそこまで親切にしてやる義理もないでしょう?」

わたくしの可愛い後輩たちや、友人にろくなことをしない天女。そんな女に肩入れする者に。

「……でも、教えてあげたんでしょう?」

あやすようなカサネの物言いに、雛菊はぷいと顔を逸らした。

「……教えたのは、わたくしの知りうることだけですわ。それがあれの知りたかったことでなかったとしても知ったこっちゃありませんわ」

唐突に現れたかと思えば、いきなり切り出された一言。

『朔は、どこにいた?』

それを自分たちなら知っていると思っているのか。いや違う、と雛菊は気付いた。あれは、あの縋るような色は、自分たちと一緒にいて欲しかったという願望。
そんな甘い現実が転がっているわけがないことを、雛菊はただ突きつけただけ。
それが、ひとり戦う友人の為になることなのか正直よくわからない。七松小平太の真意は知れない。
けれど。

「お菊は優しいわよ?」
「……そんなことを言うのは、あなたとあの子くらいですわ」

俯いてぼそぼそと反論する雛菊に、カサネは柔らかな笑みを浮かべた。
唇を尖らせて何か言いさしかけた雛菊がふと、開かれた障子の向こう、空を仰ぎ見た。欠けた月がぼんやりと浮かぶ。
その視線を追って顔を上げたカサネもまた、同じものを見た。

「これから、どうなるのかしらね?」
「さあ、どうでしょう?」

首を傾げた二人の頬を、さやさやと吹く風が撫でた。


***


ジジ、と音を立て火皿の油が燃える。小さな灯りが揺れる中、車座になった面々は一様に小難しい顔をして膝を付き合わせていた。
庵に集った黒装束を順繰りに眺め、上座に座った主は小さく笑った。

「相手を考えれば、まずまずの出来、というところかの」

口に上る話題は先だっての夜襲の件である。

「学園長先生」

窘めるような声を上げたのは山田伝蔵である。

「笑い事ではありませんぞ」

曲者の侵入を許し、人質まで捕られている。それが学園側に価値あるものかどうか今はさて置き、だ。

「朔が何とかしたじゃろ?」

飄々と言ってのける老人に、一同は揃って溜息を吐いた。

「それはそうですが…」
「あれも紛いなりにも六年。あの程度の相手にならば遅れはとらんよ」

沈黙は同意。そう解釈して、学園長は満足げに頷いた。

「報告書によれば、負傷者は出ておらん。今回の夜襲で出来た破損箇所はすでに用具委員が修補に回った。とりあえずはそんなところかの」

手元に広げた料紙に目を落とし何気ない仕草で墨跡を指で辿る。

「さて、問題のあれはどうしておる?」

呟きのように落とされた問いに、やはり教師陣を代表するように山田が答えた。

「数日間は自室に籠もって過ごしていたようですが……」

ここ最近は再び外出などもしている様子だという。

「ふむ。中々に太い神経をしているようじゃの」
「ただ…」
「うん?」
「取り巻く顔ぶれが少々変わっておるようです」
「ほう?」
「理由は不明ながら、七松と善法寺が距離を置いている様子で」
「ほう」

なるほどなるほど、と肩眉を上げたかと思えば数度頷く。まるで何かを確かめるようなその仕草に、首を傾げるものはいない。
学園長の真意を容易く読める者などそうそういない。

「動き始めたようじゃな」

どこか楽しげに、学園長が口にした一言。

「さて、誰の時間が最初に戻るかの」

謎賭けのような言葉が、揺らめく影の中に落ちて消えた。


彼らはかく語る
(20121012)

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