風の吹く日

やらかしちゃったかなあ……。

はあ、と溜息混じりにとぼとぼ歩く。あそこまで頭に血が上るとは思っていなかった。仕方ないとは言え、修行が足りないというか何というか。結局、私が無駄に暴走しただけではなかろうか…。
伊作は天女と距離を置くと言った。それは、結果としては予想外の喜ぶべき出来事かもしれないが、過程を思えば喜ぶには至らず、私の気分を塞ぐばかり。

ああ、そうだ。学園長先生のところへ行かなければ。元々は報告書を提出しに行く途中だったのだ。
本来の目的を思い出し、勢いで突っ込んだ懐の報告書を取り出した。少し皺になった料紙を伸ばしていると、ふと自分の腕が目に留まった。

「……あれ」

覗くのは白い包帯。そこに少し血が滲んでいた。先日の夜襲の折、あの変態の獲物が掠った場所だった。大した傷でもなかったが、一体何時開いていたのだろう?
まあ止血しているみたいだし、大丈夫か。
そう自分で結論付けて、庵の方向へ足を向ける。そんな私を追うようにして、背中に声が掛かった。

「朔先輩!」

肩越しに振り返ると、勘右衛門が駆け寄ってくる姿が目に映る。その様子に、また何か厄介ごとが持ち上がったのかと一瞬身構えたが、それを隠して平静を装う。

「ん?何どうかした?」
「どうかした、じゃありませんよ!天女と一戦やらかしたって本当ですか!?」

……うわ、耳聡い。

「一応確認するけどさ、それどこから仕入れた情報?」
「四年連中がぶつぶつ零していましたが」
「あー……」

そうだっけ、あの子らもいたんだよなあ…。うっかりしてた。
思わず明後日の方向へ目を向ける私だったが、勘右衛門が追求を諦めてくれる、なんて都合のいい展開は用意されていない。

「何でそうなったのかは聞きません」
「あ、そう?」

そりゃありがたい。そこから説明するのも色々面倒だし不愉快だし。

「ですが、これで真っ向対立の図式は完成したわけですね?」
「へ?」

勘右衛門ががしりと私の肩を掴んだ。え。何?

「俺たちが堂々と正面切って向かって行ってもいいわけですね!?」

爛々と輝く瞳に嫌な予感がする。

「いや待て勘右衛門?」
「これで三郎の溜まりに溜まった鬱憤も晴らせるし、俺たちの面倒ごとも一挙解決ですね」
「……うんだから待とうか?いい笑顔で嬉しそうな所悪いけど、人の話は一応聞こうか?」

放っておくと物騒なことまで飛び出しかねないその口を、手のひらでぽすりと塞ぐ。勘右衛門は大きな目を少し見開き、それでも大人しく一旦口を噤んだ。

「色々面倒だし長くなるからここでは過程を省いて結論だけ言うけど……」

そんな図式は完成していません、と続けようとした矢先、またしても「先輩先輩!!」と私を呼ぶ声。
今度は何だ。誰だ。
振り返ろうとした私の動きを封じるように、何かが腰の辺りに勢いよくぶつかってきた。

「う…」

思わず呻いた私だが、相手はそんなことはお構い無しに一気に捲し立てた。

「先輩!あの女に喧嘩を吹っかけられたとは本当ですか!?」
「……兵助、落ち着け」

つか何なのい組。こんな所で成績のよさとか活用しなくてもいいよ……。頼もしいと言えばそうだが、どうもこうも、如何せん今の私にはあまり気力がなかった。この後輩たちの暴走を宥めるという点で。

「落ち着いて」

ぺしり、と軽くその額を叩いた。放っておけば勘右衛門以上に危険な単語をぽんぽん発しそうな勢いだった兵助だが、ひとまずそれで大人しく口を閉じた。

「落ち着いた?」

前門の虎、後門の狼、ならぬ前方の勘右衛門、後方の兵助――と言うのはさすがにひどいかなーとぼんやり考えつつ、ぎゅうとしがみ付いてきた兵助の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
少しだけ呼吸を整える様子を見せたが、兵助は意外とあっさり私から離れ勘右衛門の隣に並んだ。

「はっきり結論で言うよ?私と天女様の対立図式は別に完成はしていない」

水面下であのひとがどう思っているのかは別として、そこまで明確な確執にも契機にもこれはならないだろう。

「確かに詰め寄りはしたし、頭に血が上って言わんでもいいことまで少し口走った自覚はあるけどね…」

やれやれと溜息混じりに零せば、二人の後輩はそれぞれ顔を顰めた。

「そんな顔しないの。一応謝ってはおいたから、多分仙蔵たちはそれで終わらせるだろう」

あの様子なら、この件をそれ程重く捉えはしまい。そう軽く締め括った私は、後輩二人の背中をぽんと叩いた。

「大丈夫だよ」

私は大丈夫。
こんな些細な不測の事態で狂うような策を立てたわけじゃないから安心してよ、と笑う。
君たちを巻き込む以上、必ず成果は上げてみせるから。
そんな私に、勘右衛門は「違います」と首を振った。

「ん?」
「違います。先輩の事は信じています。だから俺たちは、あなたに着いて行く」
「嬉しい事を言ってくれるねえ」
「俺たちはただ…」

勘右衛門が口ごもった。その先を継ぐように、兵助が耐えかねるといったように小さく呻いた。

「先輩が、あの女に謝る必要なんてないのに…!」
「…………」

大丈夫だよ、と言うことは容易い。事実、私は大丈夫だ。口先だけの中身の伴わない言葉なんて、いくら吐いても私はちっとも痛まない。だってそれは、意味もないも同様のこと。
痛む言葉があるとするなら、それは彼女への謝罪ではなく、もっと別のこと。
だけどそれは今告げるには少し違う気がして。

「ありがとうね」

そっちの方が、いくらか相応しい気がした。
ぶすくれたままだけれど、二人からは殺気立った気配が消える。単に拗ねているといった方が近い雰囲気に私も口元を緩めた。
その後、作兵衛が呼びに来た勘右衛門と、三郎の様子を見に行くという兵助と別れ私は学園長先生の元へと向かった。
ふと、視線を感じた気がしたけれど、気のせいだろうと結論付けて。


誰もが知らないこともある
(20121004)

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