お伽話を騙る人。

「謝る相手が、違うのではないか?」

ひやりとした声が落ちてきて、私は視線を上げた。声によく似た色を宿した瞳が私を見下ろしていた。
学園一冷静な男。そう呼ばれて久しい仙蔵は、誰もが多少なりとも動揺している中にあっても、彼なりの本筋を見失ってはいなかった。
あくまで『仙蔵なりの』であったことに腹立たしくもげんなりしたが、幾分冷静さを取り戻していた私は真っ直ぐその目を受け止めた。

「違う、とは?」
「お前が謝る相手だ」
「私が謝る相手?」

そ知らぬ顔で首を傾げてみせる。仙蔵は若干苛立ったように私を睨んだ。

「お前が謝るべきは伊作か?違うだろう?お前が傷つけたのは唯歌さんだろう?」
「……訊くけれど、仙蔵。今この場で、お前は何を見た?彼女が伊作に不必要な一言を零したことが切欠だ。私はそれを知りたかった」

伊作の友人として。想像は容易くついたけれど、それは私の想像でしかない。だから、彼女の口から確かめねばと思った。そんな私の行動が、伊作を余計に傷付けた。
だから私の口から零れたのは、後悔混じりの謝罪だった。

「いいよ、朔。朔のせいじゃないんだから」

厳しい口調の仙蔵に驚いたように振り返った伊作が、少しだけ笑って首を振る。ぎこちないながらも笑っている姿に、ホッとした。ああそうだっけ、この友人はずっと不運だった。だからこそ、誰より人に優しいし、そして強かったっけ。
ひとのことは言えないと思う。離れていたほんの少しの間、私だって忘れていることがあるのだと気付かされる。だけど、だからこそ、そんな伊作へ投げつけた天女の一言の重さが際立って思えた。

伊作が何を思って彼女へ向けて言葉を紡いだのか。強いから、傷付かないわけじゃない。慣れているから平気なわけじゃない。伊作をよく知る者なら、考えなくとも察する事ができる。はずだった。

「……伊作と唯歌さんの間に何かあったということはわかった。だがそれは済んだ事だ」
「は?」
「伊作は彼女へ謝罪した。だがお前はそうではないだろう」

仙蔵を筆頭に伊作以外の五対の瞳が私を見る。それが何を思っているのか窺い知る事はできなかった。
当然の流れと言えば、そうだった。天女こそが至高。そう考えている今の彼らなら。思い至らなかった私が悪いのだ。幻滅するほどのことでもない。自分にそっと言い聞かせるけれど、それで納得できるほど私は大人ではない。苛立ちをどうにか噛み下しちらりと天女様へ目を向ける。困惑気味に事の成り行きを見守る四年の中に隠れるようにしながらも、こちらを窺うその目は悲壮感漂う表情を裏切って期待と好奇に輝いていた。

相変わらず、正直すぎる目だった。私が大人しく彼女に頭を下げるのか、はたまた六年連中と一戦やらかすのか、どちらに転んでもきっと彼女のお気に召す展開なのだろう。
どちらもごめんだ。だけれどここで一戦やらかすのは、生憎私の意にはそぐわない。彼女を傷付けた、だから謝れと言う仙蔵は、私が彼女に頭を下げればとりあえずそれで引くだろうし、他の連中もそれ以上何彼言ってくることもないだろう。
気付かれる事の無いように零した溜息、そのまま軽く息を吸って、私はとりあえず取るべき行動を決めた。

そして潤んだ瞳でこちらを見つめる天女様へ向き直り、言うべき台詞をなぞろうとした。が。

「前々から思っていたのだ。お前は彼女への気遣いが足りないと」

息を吐き出すついでに一緒に言ってしまおうとした謝罪が、咽喉を通って胸の底まで落ちてくる。肩越しに振り返ると、腕を組みやれやれとこちらを見る仙蔵がいた。

「唯歌さんのお側で守ることもせず、揚句今回のことだ。これで少しは学んだだろう?」
「…学ぶ?」

誰が、何を。

「まあ仙蔵、そう言ってやるなよ」

やんわりととりなしてくれようとしているらしい留三郎だが、仙蔵の言葉を否定はしていない。
文次郎は肩を竦めて見せた。仕方ない、とでも言うように。他の三人は何も言わずただ私たちを眺めていた。

「お前が甘やかすからいけないんだろう」

仙蔵が鼻を鳴らす。

「今、彼女に頼るべきものはないんだぞ。それを……」

その一言が、私の中で何かを弾けさせた。

「……それが、どうした」
「朔?」
「それがどうしたのかと、私は訊いているんだよ」
「どういうことだ」
「どういうこと?説明しないとわからないのかい?私の言葉の意味が」

終わるはずだった。私が心にもない謝罪をさらりと口にして、天女と愉快なご一行は溜飲を下げて、とりあえずこの場はそれで終い。そのはずだった。そうでなければならない。今後の為にも、何より庇ってくれた、伊作の為にも。そのはずだったのに、弾け飛んだ何かを仕舞いこむことが、私には決して容易くはなかった。

「身寄りのない者も頼る者がいない者も、この学園内に何人いると思う?彼女だけじゃない。彼女だけが特別なわけがない」

さすがに仙蔵が押し黙る。それすら考えが及ばないほど溺れきってしまっているというわけではないようだったが、それでも「しかし…」と言い募ろうとする。
私は先を封じた。

「頼るものがいない?だから守って差し上げないと?そうかもしれないね」
「わかっているなら…」
「彼女を守ることが悪いわけじゃない。私が言っているのは、そうやって守って守って与えるばかりで、それが彼女の為になるのかということだよ」

本当に言いたかったこととは少し違う。だけどあえて私はまるで彼女を思うかのように言って見せた。

「どういう意味だ」

文次郎が眉を潜める。

「ここは平穏な場所じゃない。それでもここにいる子は皆、忍になる為にここにいる」

何を当たり前のことを、と忍であることを忘れた面々が怪訝な顔をする。
皆身を守る術を、生きる術を学んでいる。くのいちの行儀作法であってすら、あれは女の生きる武器だ。皆何かしら、己の為に前を見ている。だからこそ。

「守らなければいけない。それは彼女が何もしなくてもよいという理由にはなり得ない」

知らないことをそのままにして、ただ甘いものだけを見ていていい理由になるわけがない。
隠そうとした本音がちらりちらりと顔を出し始める。まずいと思った。もういいと思った。
知らない彼女の一言で傷付いた、もうひとつの顔が脳裏を過ぎっていた。
どうして、と泣いた、小さな体で助けを求め叫ぶように涙を流した幼い後輩。

「長次」
「…何だ…」
「彼女はきり丸に言ったんだよ?」

――今まで、辛い思いをしていたのよね?でももういいのよ、我慢しなくても。

「ねえ教えてよ」

止まらない。止めないと、そう思うのに、私の口は意図と外れて勝手に言葉を紡ぎ出す。

「あの人は一体何を知っているんだい。どんなことを知っていて、その上でそんなことを言うのさ?一体彼女に何の権利があるというのさ?」

『辛い思い』なんて軽々しい言葉で不用意にきり丸を傷つけた。さも訳知り顔で。
私は知らない。

彼女の言う『ヘイセイ』の世で、彼女がどんな暮らしをしてきたのかなんて知らない。だけど私は今の彼女を知っている。この乱世にあって箱庭の中に落ちてきたただそれだけで、無遠慮に踏み込みぬくぬくと守られ好き勝手に過ごしてきた。そんな人間が、他者の辛さを勝手に量り容易く口にできるはずがない。

優しさだとか思いやりだとか、そんなものは押し付けるべきものではない。本当にやさしいひとは、そんな事しないでしょう?だってここは違うのだ。『ヘイセイ』と。何もかも。人も、価値観も、命の在り様も。

「ねえ、教えてよ!」

思わず叫んだ私の問いに、答えは返らない。あれだけ謝罪をと、彼女を庇っていた仙蔵たちですら、何も言わず私を見つめていた。呆気に取られているのか、軽く目を見開き立ち尽くしている。答えなど出そうにない、奇妙な空気が満ちる。先に耐えられなくなったのは情けないことに私で、私は軽く天女を見遣り、流れのひとつのように形ばかり頭を下げ「すみませんでした」と口の中で呟いた。そしてその場から逃げ出したのだった。


きれいなだけで、あまいだけ
(20120930)

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