いらない子。

「朔」と私を呼ぶ声が聞こえた。

聞こえるはずのない、声。だけどそれは正しく、私の手の中から奪われたはずの声だった。
丸い目が、私を見つめていた。その後ろに血相を変えた伊作たちの姿が見えた。それは天女様を思ってのこと。彼女を救わねばと焦る為のもの。わかっている。
だけど、今、彼らは私を見ていた。
それだけで、嬉しかったんだよ。ねえ、小平太。
だから私は、君たちを取り戻したいんだ。

「ッ!朔!止めろ!」

制止の声を振り切って、私は敵へと刃を向けた。


***


沸いて出る曲者連中に心の中で舌打ちをし、方々から飛んでくる手離剣を交わす。視線の先には捕らわれの天女様。見失ってその隙に学園から連れ出されたのではたまったものではない。いくらなんでも外へまで彼女を追っていくなどと御免だ。
小平太たちはどうしただろう?一体どこに潜んでいたのか現れた黒装束たちを相手に各々散開してしまった。矢羽音を飛ばせば返ってくるだろうか?
……まあ何とか対処しているだろう。いくら鍛錬を怠っていたからと言ってもこの程度の輩にあっさり敗れるような実力ではないし。

それより問題はこっちだな。ひっそり零したため息は、曲者連中よりもよほど私を憎憎しげに睨む天女様に向けて。
よほど三郎が追いかけてこないことにご立腹らしい。神経が図太いのか、それとも単なる別の何かか。事態を欠片も把握していないらしい天女様は、このまま連れ去られる事がどういうことか理解していないようだった。
良くて城主の妾扱いかな…。よほどの阿呆殿なら身元不確かな天女様なんて不審人物でも側室くらいにまでなら召し上げてくれるかもしれないけれど。

『それが誰にとっても一番幸せな結末なんじゃないかい?』

不意に父様の声が蘇る。
その夜忍んで現れた父様がもたらした情報は、曰く『某国の好色な某城主が天女なる不可思議な存在にいたく興味を示している』というものだった。

『……漏らしたんですか、天女様のこと』

思わずじとりとした目を向けた私に、父様はしれっとこう言った。

『学園には手出ししていないよ?』
『…………』

――天女に関する事象は学園の問題であり、学園内部で片付ける。だから手出し無用。そう言ったのは私だ。

『私がしたのは、とある場所に天女と呼ばれ傅かれる乙女が存在するって噂をちょっと呟いただけ。なあ尊奈門?』
『は、はい……』

屁 理 屈 だ !!

心なし、尊くんの目が泳いでいる。いや尊くん、自分でも絶対詭弁だよこれとか思ってるでしょ!せめてポーカーフェイスを保ってよプロ忍なんだから。

『しかしまあ、易々と学園に侵入された揚句、はた迷惑とは言え一応百歩譲って掌中の珠を奪われたとあっちゃこの学園の沽券には関わるかもしれないがね。あの子はちやほやと姫のような暮らしがしたい。しかし学園には不必要。となればどこぞにくれてやるのが平和的解決じゃないかい』
『それを小平太たちが受け入れると思いますか?』

あの盲目連中が黙っているわけが無い。

『別に流す噂を変えてもいいよ?』
『は?』
『天女の生き血を啜れば不老不死になるとか、そっち系にして、いっそ外部に片付けさせるとか』
『……お気持ちだけで結構です。私頑張るんでほんとに!』

溜息を吐く私の頭をよしよしと尊くんが撫でる。

『組頭もお前のことを思ってあれこれやっておられるんだぞ?』
『いや…うん、まあその気持ちは嬉しいんだけどさ』

何分こっちにも段取りとか算段というものがあるわけで……。
…………。

『父様』
『ん?なあに』
『その噂は、もう蔓延しているものですか?』
『んー?尊奈門』
『はい。さすがにそろそろ城主までは伝わっている頃かと』
『まあたいした忍を抱えちゃいないからそんなもんだろう』
『たいした忍ではないですか?』
『そうだねえ。侮るわけではなく事実、うちの連中一人で十人分て感じかな?』
『朔?どうした?』

考え込む私に、尊くんが首を傾げる。

『せっかくのお気持ちなので、使わせていただこうかと思って』
『使う?お前の策に使えそうかい』
『ええ。天女様のお望みをひとつ叶えて差し上げる為に』

にこりと笑ってそう言った私に、父様もまた満足げに笑った。

『それでこそ、私の娘だよ』

そんな褒め言葉を思い出しつつ、私は懐を探った。追ってくる男たちが煩わしい。父様曰く、十人でタソガレドキ忍者一人分と言っていた実力はあながち間違いではないらしいが、数がいれば手間取る。
触れたそれを引っ張り出し点火して投げつけた。
立ち込めるのは炎でも爆煙でもない。白いその煙のえげつなさは、折紙付き。保健委員会特製もっぱんである。

のた打ち回る仲間を置いて、天女様を抱えた男はそれでも走る。いい加減諦めればいいものを。そうでなくとも、あの変態にいつ追いつかれるやもしれないというのに。
しかし地の利は私にある。追い詰められていると気付くことなく、己の意思で選んだ道を逃げていると男は思っている。私の目論見どおり、男はついに袋小路にはまり込んだ。学園は広いのだ。そのすべてを把握するなどよほどの腕の立つ忍でも難しい。

「さて、いい加減天女様をお返し願いましょうか?」
「だ、黙れ!!」

いかにも下っ端なその忍が、唾を飛ばして叫ぶ。

「小僧、いい気になるなよ!」

典型的な小物悪役の台詞にそがれそうになるやる気を奮い立たせようとした私の耳を、金切り声が突き刺した。

「またアンタなの!?三郎はどうしたのよ!」
「……私で申し訳ないですが、この場合は妥協すべきでは?」

今の三郎では天女奪回どころかそれとなく見捨てそうな空気なんだけど。
私の前で猫を被るのを止めた天女様は、本性をさらけ出して喚き続ける。

「アンタなんてモブでしょ!?三郎とわたしの間を引き裂いていいと思ってるの?」

いい加減置かれている状況を把握したらどうなんだ。怯えているなりすればまだ可愛げもあるだろうに。
虚勢ではない。けれど私の知る女性陣たちが秘める強さともまるで異なる。世界を把握していない、その姿は子供のよう。そもそも彼女は理解しようとしたことがあるのだろうか。この時代を。

「アンタなんかねえ、アンタなんかこの世界にいらないのよ!!」

天女が叫んだその時、ひゅっと空を切る音が聞こえた。
天女様を抱えたまま、男は寸ででそれを避けた。突き刺さったそれは、ひょう刀。

「……何で来たの、お前」

私の真横に降り立った後輩は、私を見て級友の顔でにっこり微笑んだ。

「ねえ先輩。あの人やっぱりここで片付けましょう?」
「駄目だよ」
「いいじゃないですか。私はいりません不必要です。大丈夫です今度はちゃんと狙いますから。手元が狂うことだってあるでしょう?先輩方にはそう言えばいい」
「だから駄目だよ。三郎」

溜息混じりに呼んだ名は。後輩をなだめるためのもの。決して彼女を喜ばせる為ではなかったというのに。

「三郎!やっぱり来てくれたのね!」

きらきらと瞳を輝かせて三郎を呼ぶ。
瞬間、懐へ手を突っ込んだ三郎の腕を、それ以上の速さで掴む破目になった。

「だから駄目だって!」
「だって先輩!」

三郎が叫んだ。
子供のように私しがみつき、嫌々と駄々をこねるように首を振る。

「だって先輩。先輩がこの世界にいらないなんて、そんなの私は認めない!」

あの女こそが不必要な異分子なのに!

「……三郎。でも駄目だよ」

諭すようにその頭を撫でた私を、天女様は鬼の形相で睨みつけていた。
ああ面倒臭い。

「……三郎が駄目なら、僕なら構いませんか?」
「え?」

声に反対方向を向けば、三郎と同じ顔が同じ笑顔で微笑んでいた。

「……雷蔵?」
「ねえ先輩。僕ならいいでしょう?だってあのひとは先輩に対する暴言を吐いてその上三郎を泣かせたんだから」
「落ち着きなさい、雷蔵」
「僕は落ち着いてますよ?」

どこがだよ。その笑顔が今は怖いよ。

「それに僕がやらないなら、他の奴らがやるだけかもしれませんよ?」
「え?」

まさかと振り返る。そして頭を抱えたくなった。敵は懐の内にいた…って違うか。何にせよ、無表情で立つ残りの三人の姿から、五年の意見は見事に統一されていることが容易に窺い知ることができる。

「重ねて言うけど、あのひとを取り返すことが目的なんだからね!?」

何で私がこんなことを言わねばならないのか。ちょっと泣きたくなりながら、釘を刺せば、五年生たちは苦いものを飲み込んだように顔を顰め、不承不承頷いた。

「三郎!わたしここにいるわ!」

頼むからもうこれ以上煽ってくれるな。痛む頭でそう思った私は、伊作に負けず劣らぬ不運なのではないだろうか。

「ここにいたんですか」

舌なめずりでもしそうな猫撫で声。ハッと顔を上げれば変態がひとり。

「…随分早いお着きで」
「ふふふ。早く遊びたくてねえ」

嬉しくない。顔を顰めた私に、男は首を傾げた。

「あなたはそうではないのですか?」
「そんなわけあるか!」

あってたまるか。
私の反論に男は鼻白んだような顔をした。

「そうですか。ではあなたが遊びたくなるようにしないといけませんねえ?」
「……は?」
「そうですねえ。あなたが気にしていた『お友達』と先に遊んであげましょうかね」
「……なに」

私が気にしていた『お友達』?それはまさか。

「それが嫌なら、追いかけて来なさい」

ふふふ、と妙に高い笑い声を残し、曲者の姿が掻き消える。

「ま、待て!」

ハチが男を追いかけようとする。それを止め、一度天女様へと振り返った。
天女様を捕らえている男は、正直それほどの実力者ではない。五年五人も本来は必要ない程度の。しかしあの変態は、今回の曲者たちの中では実力が群を抜いている。いっそ異質な程。

「……この場を君たちに任せてもいいかな」
「先輩!?」

アイツを追わせるのも、この場を任せるのも、どちらも気が進まない。それなら身の危険が少ない方を私は選ぶ。五年生の実力を信じていないわけではない。ただ、これは私のわがままだった。

「朔先輩……」

じっと見つめる兵助に笑って頷き、「大丈夫だよ」と呟いた。

「大丈夫。あの変態を片付けて、早々に小平太たちをこっちに向かわせる。君たちが彼女を助けなくてもいいように」

私などいらないと、叫んだ天女様。それがまるで世界の意思であるかのように。
その言葉が突き刺さった場所に気付かない振りをして、私は地面を蹴った。
ああ早く早く、行かなければ。小平太たちのところへ。


天の神様の言う通り!
(20120630)

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