君は誰?と訊かれたら

目の前に広げた紙を眺め、思わず深々と溜息を零す。
溜息を吐くと幸せが逃げるなんて言ったひとがいたっけ、とふと思ったけれど、それでも溜息の一つ二つ吐かねばやってられない。頭が痛い。
幼さの残る字で書き記された文章を目で追う。まあ、追わずとも内容は始めの数行で予測というか把握できたのだけれど。

「せんぱーい!お茶ー……ってどうしたんですか」

すぱーん!と景気よく開けられた障子は、ひとの集中力を叩き切ることを目的としているとしか思えず、私は黒塗りの盆を片手にそこに立つ藍色の男に呆れたような目線を向けた。

「三郎……」

お前ねえ、障子はもう少し静かに開けなさい。
一年生が授業で不在でよかった。こんな姿、教育上よろしくない。
先ほどとは違う意味でこぼれた溜息を気にするでもなく、男――鉢屋三郎はさっさと私の横へ腰を下ろし、私が文机に広げたままであった紙を覗き込んだ。

「溜息なんて吐いちゃってまあ。何を見ているんですか?」
「溜息の理由の一端は間違いなくお前だよ」

級友の顔を借りた後輩は、悪びれるでもなく「光栄ですね」と笑った。

「何が」
「だって先輩、愛の反対が何かご存知ですか」
「は?愛?」

脈絡もない問いに首を傾げると、三郎はますます気を良くしたように笑みを深める。

「愛の反対は無関心ですよ」
「あー…。そんなことも言うねえ」
「先輩は私の行動で溜息を吐いたのでしょう?それは先輩が私を認識しているという証拠じゃないですか」
「いやまあそりゃそうだけど。何でそう壮大な話にするのさ、お前は」
「えー?愛ゆえですよ、先輩!」

そう言って、三郎はぎゅうと音がしそうなほど勢いよく抱きついてくる。

「あーはいはい。一年は授業だよね。勘右衛門は何だっけ、学園長先生のお使い?早く来ないかなー」

そして三郎を止めてくれ。

「……先輩、最近私に対して冷たくないですか」

私と先輩の仲なのに!とじとりと上目遣いで恨みがましい目を向けられるが、図体のでかい男がやっても可愛らしくもなんともない。むしろ図体がでかい分、抱きつかれると非常に暑苦しい。

「お前は本当にすくすく育っちゃってまあ」

一年の頃など可愛かったのに、三年四年と年を重ねる毎に後輩たちはあっという間に私の背など追い越してしまった。
私はと言えば、五年の頭までは何とか伸びていた背もすっかり打ち止めで、今では六年の中では最も低い。他の面々はまだまだ成長期であることを考えると、これから先水をあけられるのは確実だ。

「先輩もまだ成長期でしょ?」
「今はお前の言葉が虚しい慰めにしか聞こえないよ」
「虚しいかどうかはともかく、慰めではありますが」
「そこもうちょっと取り繕って……ってのん気に遊んでる場合じゃないんだ。仕事しなきゃ」

何のために放課後に学級委員長委員会室にいるのか目的を忘れる所だった。

「先輩は真面目ですよね」
「普通だよ、普通」

肩を竦めながら、文机の上に放り出したままの紙切れを手に取る。

「ああ、それ。結局何なんですか」
「読めばわかるよ」
「いいんですか?それ先輩個人宛じゃないんですか」
「今更だろう?大体隠してもどうせ見るくせに」
「ははッ。まあそうですが」

三郎の目の前に翳してやれば、我が学級委員長委員会の誇る天才はやはり始めの数行で内容を掴んだらしい。

「……先輩、いつから問題処理係になったんですか」
「そんな記憶はないんだけども」


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