夢に惑う舞台の上で

時は少し遡る。

静寂を裂くように響いた悲鳴。
天女様の後を追い離れを出た私を、その光景は待ち構えていた。
思わず眉を潜めたのは、私の制止を意味のわからない理屈で振り払い飛び出した挙句この状況を自ら招いた愚かな天女様に対してか、耳障りな悲鳴そのものに対してか、はたまた彼女を腕に抱き、その首筋に獲物を構える曲者に対してか。

全部含めた今の状況に対して、と言うべきだろうな。
どこか他人事のように頭の片隅でそんなことを考えつつ、周囲の気配を窺う。天女様を拘束する男が一人、その背後に三人。予測に違わぬ現状。しかし――。

……これだけ、のはずはないだろうけど……。

学園内には複数の気配が散っていた。それがすべて集結したにしては少ない頭数。おそらく半数かそれに近い人数だろう。
四対一。そしてこちらは人質を取られている。ここが私たちの領域と言えど、不利なのはどちらであるのか。考えるまでも無い答えを相手は抱いているのだろう。証拠に、一歩詰めた距離如きでは相手は微動だにしなかった。
数、手札、そして何よりも。

この中では最も格上と思われる男――天女様を拘束している曲者がにやにやと嗤う気配がした。
学園に手出しする以上、ある程度の情報を相手は有している。その上で、最もプロに近いと言えど所詮は忍たま一人と侮っているのか。

「貴方お一人で、我らを相手になさいますか?」

くつくつと咽喉を鳴らし、曲者が嗤う。絡みつくように甘ったるい声。

「忍たま六年生とお見受け致しますが…さて…忍たまの実力で我らと渡り合えますか……」

わざわざ小首を傾げて見せる辺り、私の予想は外れていないらしかった。
相手方の神経を逆撫でし挑発を目的としているような口調。
しかしそれは、私にとってさほど意味あるものでもない。
侮るなら侮ればいい。それが運んでくるものは私にとって望ましいものだから。
唇を引き結んだまま、多弁な曲者と対峙する。互いに動かず、じりじりとした一種の緊迫感と静寂と、そんなものが場を支配する。長いようで短い時間、私たちは相手の動きを測りあっていた。

先に動いたのは、相手だった。

曲者は、くすり、と小さく笑みを零した。
かと思えば、曲者は、とん、と天女様の身体を脇に控える仲間へ押しやった。無造作で興味の欠片もないような扱いに眉を上げたその瞬間、風が動いた。

「――ッ!」

咄嗟に身体を引く。ひゅっと何かが空を切った。それが白刃であることを理解するとほぼ同時、私は飛びずさった。
つい一瞬前まで私が立っていたその場所に、苦内を掲げた男が残念そうな面持ちで立っていた。

「おや…意外と素早いですねえ」

表情同様、残念そうな声音がそんなことを呟く。

「ですが、私の勘も外れてはいないようで安心しましたよ」

ふふ、と楽しげに意味のわからない台詞を続けながら男は笑う。そうして、実に無造作にこちらへ足を踏み出した。
一歩二歩、構えるでもなく自然に歩み寄る。そこにあるのは、余裕。

「何…」
「天女様、でしたか?我が主はそのような奇異な存在を欲しておられましてね?我らも忍ですのでその意には従わねばなりません」
「…………」
「私としては、その様な出自不明の女より大川平次渦正の首の方が余程魅力的なのですが、残念ながらそうもいきません」

三歩、四歩。独特な拍子で男が近付く。

「要するに、我らの目的は、麗しい花を主に届ける――ただそれだけなのですよ?」

だからここで引けば、お前を見逃すことはやぶさかではない。暗にそう男はほのめかす。
返事の代わりに、頭巾越しにでもわかる程、私は露骨な溜息を吐いた。

「おや」

男はどこか楽しげな様子を崩すことなく、それでも肩を竦めて見せる。
話す価値も無い。交渉の余地も無い。それ程までに、天女とは貴重で稀有なる存在であるのだから。
……と私が思っているのだろう。相手にこのような解釈をされていること自体不愉快だったけれど、かと言ってはいどうぞと天女を渡すわけにも行かないのだ。
ちらりと天女様へ目を向ける。彼女はこちらの様子をジッと見つめていた。先ほどの悲鳴など無かったかのように沈黙を守り。
恐怖で口が利けない…という沈黙とはまた異なる。こちらの動きを眺めているだけの視線。まるで客席の観客のように。

「…残念ながら、花盗人を見逃すほどこの庭は優しくないので」
「なるほど。――では、仕方ありませんね?まあ私としては、そちらの方が良いのですけど」

五歩、六歩。私との距離はすぐそこにまで。
表情がわかる程近く寄って来た男は、顔を隠す頭巾をずらし、にこりと笑った。

「ああやはり――」

触れる距離ではなかった。けれど男は手を伸ばした。すい、とまるで私の頬に触れるように。
そうしてうっとりと、有り得ない台詞を零した。

「美しいですねえ」
「…………………は?」

たっぷり数秒の沈黙。緊迫していた空気が、ぶちりと切れるような間の抜けた声が私の口から飛び出した。
ぱちぱと目を瞬かせ、首を傾げる。次いできょろきょろを周囲を見回して、もう一度男を見た。今なんと?

「ははッ。美しいだけではなく、そうしていると愛らしいですね」
「う!?あ……!?」

何この人何!?新手の精神的攻撃なのか!?背筋を寒いものが撫でるような感覚と、鳥肌。
狙いのわからない言葉の羅列に戸惑うが為、遅れた反応は自覚していた。
風を切る音を遠くに聴いた。
ぐっと詰められた距離に、呼吸を忘れた。

「貴方の方が余程魅力的だ」

甘い甘い恍惚を滲ませる声。そこに宿るのは――。

「先輩に触るな!!」

刃を弾く鉄の音。押し殺した声が、殺気を撥ね退ける。私の視界を藍で塗りつぶすように滑り込んできた見慣れた姿。

「……三郎」

ほんの僅かに、それでも確かに呼吸を乱し肩で息をする後輩。それでも名を呼べばちらりとこちらへ振り向き、音の無い声が何かを確かめるように「朔先輩」と私を呼んだ。
三郎の苦内を避けるように飛びずさった男は、少し興醒めしたように顔を顰めた。

「逢瀬に邪魔者は付き物ですが、随分無粋なお子ですねえ」
「おッ…!?」

その「お」が「逢瀬」の「お」なのか「お子」の「お」なのか。多分両方だろうな。そんな場合でもないのだけれど、若干引きつった三郎の声に同情を寄せた。曲者の珍妙な言い回しに振り回される仲間意識というか、そんなものが私の中に芽生える。

「そもそもの前提として、あなたと逢瀬を重ねるような間柄でもないし、重ねたいとも思わないですけどね?」

私の抗議など何処吹く風。男は私や三郎ではなく、夜に沈んだままの東の空へ視線を向け、目を眇める。

「無粋なのはここの気風ですか?」
「何とでも言え」

押し殺した声で三郎が答えた意味は、すぐに目の前に現れた。男が跳躍する。寸前まで立っていた場所に手離剣が突き刺さる。

「先輩!三郎!」

八左ヱ門の声が追いかけて現れ、私を囲むように四つの影が降り落ちてきた。

「無事ですか!?」

慌てたように勘右衛門が私の顔を覗きこむ。

「……ああうん。大丈夫だよ」
「無事じゃないでしょう?あんな変態に絡まれて」

脇から三郎が入れた余計な訂正に、後輩たちが曲者へ向ける視線を一層険しくした。

「お前…」

ぎり、と歯噛みする八左が何か言おうと口を開く。それを遮るように、私たちも忘れていた甲高い声が、場にそぐわない明るさをもって響いた。

「来てくれたのね!!助けて!三郎!!」

必死に身を捩り、助けを求めてこちらへ手を伸ばす、その人。
この奇怪な舞台の上で、一瞬で場の視線を己へ向けて見せた一際滑稽なその姿こそ、この演目の主演女優であるのだと、私は改めて悟ったのだった。

恋しい夜明けはまだ遠い
(20120418)


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