そうして僕らは気付くだろう
ふと目を覚ましたのは何故だっただろう。 後で考えてみても、はっきりとはわからない。 ただ、何故だか胸騒ぎがした。何度となく寝返りを打てどどうにも落ち着かなくて、身体を起こし私は夜具の中からそっと抜け出した。 明日は唯歌さんと街へ出掛ける。心が躍るならまだわかる。だけれどコレは何だろう?どうしてこうも胸の奥がざわめくのだろう? この感覚を知っている気がした。けれどその名が思い出せない。うっすらと靄がかかったような心持ちは、私を苛立たせるだけだった。 落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない。 ついたての向こうからは長次の寝息が微かに聞こえる。そっと伺えば、こちらに背を向けて眠る友人の姿があった。いっそ起こしてしまおうか。長次ならこの胸騒ぎの理由を知っているだろうか。 いや、それともやっぱり困らせるだけだろうか? 私らしくもなく零したため息だけが夜の静寂に溶けて消えた。 ああ、落ち着かない。ジッとしていることも苦痛で、私は廊下へと出ることにした。ひやりと冷たい床板を踏み、ひゅうと吹いた風に誘われるように何気なく向けた視線の先で、雲の切れ間から月が顔を覗かせていた。 「……そうだ。朔だ」 朔の所へ行こう。不意に浮かんだそれはとても名案に思えた。朔ならきっとこの気持ちの正体を教えてくれる。そうでなくても朔と一緒にいれば大丈夫だ。 理由なんてないけれど、朔はきっと困ったように笑うだろうけれど、それでも煩わしがったり怒ったりなんてしないだろう。 そう思って踏み出しかけた矢先、聞こえた音が私の足を止めた。 ばたばたと慌しい足音がする。かと思えば、寝巻きに忍刀という奇妙な出で立ちで、少し息を切らせた伊作が駆け込んできた。 「伊作?」 どうかしたのかと声を掛けた私に気付くと、伊作は血相を変えて駆け寄ってきた。 「小平太!良かった、起きてたんだね。大変なんだ!!」 「大変?何が?」 見えない話に首を傾げて問えば、伊作はじれったそうに叫んだ。 「唯歌さんが、曲者に狙われてるんだよ!」 *** 唯歌さん、唯歌さん、唯歌さん。 私たちが守るべき、天女様。 その彼女が、曲者に狙われているなんて。 ああ早く側に行かなければ、側で守ってやらなくては。 長屋から彼女の元へ、食堂へ。そうか、胸騒ぎの正体はこれだったのか。どうして私は気付かなかったんだろう。やすやすとその侵入を許してしまったのだろう。後ろを振り返る事なく、私はただ走った。 ……あれ? 長屋から食堂まで。それはこれ程遠かっただろうか?気持ちばかりが急いているせいなのか、何故か通いなれた筈のその道程がどうにも長く感じてしまう。苛立つ気持ちを歯噛みして飲み下し、私がようやっと食堂へ辿りついたまさにその時、絹を裂くような悲鳴が上がった。 「唯歌さん!」 食堂の裏手へ回り込んだ私の視界に飛び込んできた光景。 曲者に捕らわれた唯歌さん。ああ可哀想に、あんなに青ざめている。曲者はさすがに私に気付いたらしいちらりとこちらに視線を投げたけれど、それはすぐに逸らされた。まるで私という存在など歯牙にもかけぬと言った扱いに眉を潜めて腰の苦内へ手を伸ばす。そしてそれとなく曲者の視線を辿った。曲者がひたと見据える先、そこには藍色の制服を纏った後輩たち。そして私と同じ松葉色。 「……朔」 矢羽音を飛ばす事も忘れて思わず呼んだ声に、朔はこちらを見て少し驚いたように目を丸くした。 けれど朔の視線は、すぐに曲者と唯歌さんへと戻される。自分を庇うように立つ後輩――おそらく鉢屋だろう――を自分の背後へと押しやる。鉢屋が何事か訴えているが、聞いているのかいないのか、朔は対峙する敵をひたりと見据え、そうして。 「ッ!朔!止めろ!」 何をしようとしているのか気付き、制止をかける。しかしそれより僅かに早く、朔が前へと躍り出た。 「小平太!」 後を追ってきた文次郎たちの声が聞こえた。それをかき消す事などできないはずの鉄のぶつかり合う音が、ひどく強く響いた。 「朔…!?何をしているんだあの馬鹿は!」 仙蔵が顔色を変える。 「唯歌さんを捕られているというのに仕掛けるなどと…!」 「何か…策が」 「あるわけねェだろ!」 長次の言葉を文次郎が即座に否定する。仙蔵が苦々しく吐き捨てる。 「策があるならあれが接近戦に持ち込むはずがない」 そうだ。朔は体術を不得手としている。だから私たちの中で『最弱』なんだ。ただでさえ不利なこの状況では、仙蔵たちが言うように、戦法として誤りだ。 「朔!」 「待て小平太!」 「何だ!?」 ぐいと腕を引かれ、踏み止まらせられる。振り返れば険しい顔をした留三郎と伊作がいた。留三郎を睨めば「落ち着け!」と怒鳴られた。 「お前まで突っ込んで行ってどうする!敵の手に唯歌さんがいるんだぞ!?」 「そうだ、まず唯歌さんを救う手立てが必要だ」 「でも!」 刃が二度三度とぶつかり合う音がする。 「朔!」 鈍い音が一際高く鳴ったと思えば、ひゅっと空を斬った白刃を紙一重で避けて朔が後ろへと飛んだ。間を詰めようとする敵との間に、五年生たちが滑り込む。 「ッ!アイツらだけの任せておけないだろ!」 「だから待てと言っている!」 押し問答などしている場合じゃないんだ。早く行かなければ、助けなければ、だって…! だってきっと不安に思っている。待っている。『あの子』が危ないんだ。 風が吹く。びゅうびゅうと頬を叩くように吹き付ける風に、雲が流される。差し込んだ月光に誘われるように、ひとつふたつと影が増える。 張り詰めていく空気と射すような視線。そこに宿るものを知っている。 「……なあ仙蔵。これは待っていられる状況じゃないだろう?」 ぐるりと取り囲むように現れたものに、私は小さく嗤った。 その先にて待つもの (20120315) [目次] [しおりを挟む] ×
|