番狂わせは不必要

食堂の裏手、丁度炊事場に隣接するようにその離れはある。
二間続きの小さな寝間があるのみだけれど、元々そこの住人は食堂のおばちゃんだけであったし、『天女様』という新たな客人が現れたと言っても女二人には丁度いいほどで決して手狭ではない。

そろりと天井板の隙間から覗き込めば、敷かれた布団に包まれて規則正しい寝息を立てる天女の姿があった。私が天井裏から滑り降りても目を覚ます様子もない。
夜とは穏やかなものであると信じて疑っていないのだろう、彼女は無防備な寝顔をさらけ出していた。
さて、どうしたものか。私は頭巾に指を掛けながら首を傾げた。少し考えて、結局ごく普通に彼女の細い肩に手を掛けた。

「天女様」

低く潜めた声で呼んで、その肩を揺らす。相当図太い神経の持ち主なのか何なのか、五回程こんな事を繰り返して彼女はようやっとその瞼を上げた。

「な、に…?」

天女様は煩いとでも言わんばかりに顔を顰め、のろのろと身体を起こす。

「天女様。お目が醒めましたか?」

囁くような私の声に、彼女の肩が大袈裟なまでに跳ね上がる。かと思えば、彼女は私に向かって掛布を投げつけてきた。別に痛くもないし気持ちもわからなくはないんだけどこの状況でやられると少しイラッとするなあ。
悲鳴を上げようと息を吸い込んだ口を塞ぎ、そっと距離を詰める。

「こんばんは、天女様」

頭巾を外し笑いかければ戸惑う気配を感じた。夜目が効く私とは異なり、闇に不慣れな目では相手の姿を捕らえきれないようで、天女様は『声』で侵入者が誰であるのか判断したらしかった。

「え…。朔、くん…?」

まだ寝惚けているのか少々舌ったらずな声が私を呼ぶ。

「ええ、そうですよ。こんばんは」
「こんばんはって…え?何?何でここにいるの?」
「お静かに」

シッと指先を天女様の口元に翳す。天女様は素直に口を噤みはしたけれど、その顔は胡乱気なものだ。一体何だと目線で問われ、私は笑みを作ったまま、端的に、単純に、答えを返した。

「学園内に曲者が現れました」
「くせもの…?」

天女様は私の口にした単語を繰り返した。少しの間があって、顔を上げる。不安に駆られ混乱するだろうか?そう思った私の予想は、清々しいまでに見事に裏切られた。

「曲者って…あ、もしかして雑渡さん?」

何故そこで父の名が飛び出すのか。曲者=タソガレドキという認識は如何なものか、とか何よりどうして声に期待が滲んでいるのか。どうなっているんだこの人の感覚は。思わず眉を寄せそうになったが堪え、私は緩く首を振る。

「いいえ。どこの忍か判明してはおりません」
「なあんだ。そうなの」

つまらない、とでも言い出しそうな緊張感に欠ける空気。今度こそ潜めた眉に、彼女が暗闇に不慣れでよかったと的外れな事を思った。事態を把握できていないのだろう。でなければ、こんなのん気な態度が取れるはずがない。

「いいですか天女様」
「なあに?」
「曲者の狙いは、貴女です」
「……え?」

ぱちり、大きな目を瞬かせ、天女様は小首を傾げた。まるで小動物のような動きを眺めていると、天女様は一言こう言った。

「ああ、やっぱり?」
「は?」

思わず胡乱気な声で訊ね返した私に、天女様は何故か得意げにこう言った。

「だってほら、わたしは天女でしょう?」
「……そうですね」
「天女なんて存在、狙われちゃうのが普通じゃないの?」

何なんだこの人は。本当に私と同郷なんだろうか?このズレは何だ?
呆気に取られるがそんな場合ではないと思い直す。

「とりあえず、いいですか?天女様。貴女はここにいて下さい。何にせよ、曲者がこちらを探り当てるのは時間の問題かと思われます。その対処は私と他の上級生で行います」

安心できるようにと心がけて作った声音で、言い聞かせるようにゆっくりと告げる。しかし私のそんな気遣いなど無意味と言わんばかりに、天女様はパッと顔を輝かせた。

「上級生?それって五年生も?」

五年生もいたらなんだというのだ。疑問を抱く間もなく、天女様はすくりと立ち上がると素早く戸口に足を向けた。

「な…待ってください!」

肩を掴んで引き止める。貴女は私の説明を聞いていなかったのか?そのまま部屋の中に引き戻そうとする私の腕を、天女様は乱暴に振り払い睨み付けた。

「ねえ朔くん、邪魔しないでくれない?」
「……は?」

邪魔?言葉を失う私に、天女様は腹立たしそうに言い募った。

「コレってフラグなんでしょう?わたしのピンチをあの人が助けてくれるの。それでわたしとあの人はやっと近付く事ができるのよ?それを何?アンタみたいなモブが邪魔していいと思ってるの?ねえ!?」
「何を…言って…」

天女様はなお、喚き続ける。

「ずうっと思ってたのよね。アンタ何様?部屋の事だってそう。わたしにさっさと譲ってくれてればわたしがこんな目に合うこともなかったんじゃないの?大体アンタ『六年最弱』なんでしょう?それが助ける?偉そうに。ばっかじゃないの?」
「…………」

一体この人は何を言っているのだろう?今度こそ返す言葉を見失った私に、天女様は勝ち誇った目を向ける。

「……それが貴女の本音ですか?」

いや、本性というべきか。問えば、天女は鼻で笑い「だとしたら何なの?」と問い返した。

「小平太たちに言いつける?そんなことして何になるの?みんなそんなの信じないわよ?だって私がヒロインなんだもの」
「……馬鹿らしい」
「はあ?」
「馬鹿らしいなあと、思ったんですよ」

そんな貴女に現を抜かす小平太たちも、振り回されている私たちも、踊らされている曲者もみんなみんな。

「馬鹿みたいだと思いませんか?」
「なにそれ…意味わかんないんですけど?」

そう吐き捨てると、彼女は今度こそ私の制止も聞かず外へと飛び出した。開け放った戸口の向こう、広がる闇に確かに感じた気配があった。
ああ億劫だ。すべて片付ける為とは言え、自分で立てた策だとは言え、あの人を助けなければならないことが億劫で仕方ない。
夜の静寂を裂くように響いた悲鳴を塗りつぶしたくて、重い溜息を吐いた。
それが狂言だろうと、真実恐怖を感じた叫びだろうと、最早どちらでも構いやしない。


興味などないのです
(20120221)

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