闇に踊れ

駆け抜ける風に目を細め、屋根から投げ出した足をぷらぷら揺らす。
湿った土の匂いがする。
今日も朝から雨が降っていた。それは日暮れを待たずに止んだけれど、厚い雲は今も空に立ち込めていて、その切れ間から時折申し訳程度に月が顔を覗かせていた。
墨色に染まった世界は、馴染みある世界。私たちの属する場所。

「これぞまさに、忍者のゴールデンタイムだねえ」

誰に向けたでもない呟きが、風に紛れ消えていく。風の音を除けば、静かな夜だ。鍛錬に明け暮れる人間の消えた夜の学園は、沈黙を守っている。
しかしそこにあって隠れ切れていない闇に蠢く気配を確かに感じ、私の唇が弧を描く。
端役の皆さんが揃い始めている、というところかな。

「朔先輩」
「おや、結構早かったね」

さすがは我が後輩たち。優秀優秀。
不意に現れた五つの気配に、振り返ることなく私は短く尋ねた。

「どうだった?」

三郎の声が、五人を代表するように応える。

「はい。先輩の読み通り、学園周辺に数箇所に複数名潜伏している様子です」
「そう。学園内へは?」
「小松田さんに追われた形跡は見られませんね」
「はは。それはそれは」

内部へは未だ侵入していないか、はたまたあの小松田さんの目をかわすほどの手練れか。

「さて、どちらかな」

どちらにせよ、私のすべきことは変わりもしないんだけどね。

「さて」

よっこらせ、と立ち上がり、袴についた埃を軽く払う。
私の一挙一動を見つめる後輩の視線を感じながら、私は箱庭を見下ろした。

「敵の目的は、やはり学園長の暗殺でしょうか」
「ん?」

頭巾で顔を隠し各々獲物を握る五年生たちは、殺気こそ纏っていないがそこには張り詰めた緊張感が漂っていた。

「学園長先生は大丈夫でしょうか?」

気遣わしげな雷蔵の声に、肩を竦めて見せる。

「…あの方は大丈夫だよ。さすがに先生方がこの変事に気付かないはずはないだろうし、気付かれたなら護衛に立たれるよ。私たちが心配しなくても守りは十分」

先生方は天女に対しては静観を決め込んでいたとしても、それ以外のことを放置するつもりはないだろう。
それにそもそも、今回のこれは。

「敵の狙いは学園長ではないかもね」
「…どういうことですか」
「学園長を狙うには、気配が散りすぎている」
「気配が?」

見えないものを見ようとするように、大きな目を眇めて闇を見つめる兵助が、小さく頷いた。

「……確かに、学園長を狙うならまず庵周辺を目指し集まるものですよね」

折角の夜討だ。寝込みを襲わない手はない。しかし敵は数箇所に分かれて潜んでいる。それぞれが手薄な場所から忍び入り、庵を目指すというのなら話はわかるような気もするが、少数精鋭を一箇所から送り込む方がこの場合は効率的だ。気配が散れば、それだけ気付かれやすくなる。学園が擁する先生方は決して無能ではない。そして、私たち上級生たちとて、それは同じ。学園を少しでも知る者であるなら避けるであろう方法だ。まさか色に惑い六年が使い物にならない、などという醜聞が広まっているとも考えがたい。
つまり、今回複数個所から潜入しようとしている彼らには、学園長以外の目的があるのだろう。

「学園長以外の目的、ですか」
「そう言うこと」
「煙硝蔵や武器庫、ではないですよねえ」

面倒臭そうに呟く勘右衛門は、どうせ狙うならそちらにしてくれれば良かったのに、と続ける。

「その方が守りがいもあるし、下級生たちの安全も確保しやすいもんなあ」

同意を示す八左ヱ門の言う通りではあるが、残念ながら今回は別口のようだ。
学園長でも、火薬でも、武器でもなく、今この学園において危険を冒してでも狙う価値があるもの。それはつまり。

「また天女様ですか」

三郎が鼻を鳴らす。

「まったくあの女、どこまで手間をかけさせてくれるんですかね」
「さてねえ。曲者の方々は一体どんな噂話を真に受けたんだろうね」
「噂なんて尾ひれ背びれがついて当たり前ですよ、先輩」
「まあね」

……と、悠長に雑談しているバヤイでもない、か。

「勘右衛門」
「はい」
「お前はくノ一教室に事の次第を報告。四月一日雛菊か、舞鶴カサネに取り次いで貰えば何かしらの返答は貰えるだろう」
「助力を仰ぎますか?」
「戦力としての助力は願うな。求めるなら、救護要員としてだよ」

これは、最初から総力を挙げて迎える敵ではない。侮るつもりはないけれど、私たちにすら早々に気配を悟られる相手である。残念ながら程度は知れている。

「その後、東を守れ。三郎と八左ヱ門は南を。雷蔵と兵助は下級生の安否を確認。北は庵とまとめて先生方にお任せしよう」
「先輩はどうされますか」
「私は西を――天女様をお守りしてくるよ」

最後の一言に五年生たちが一様に顔を顰めた。素直な反応に苦笑するしかない。

「いいんじゃないですか?消してくれるならそこは消してもらっても。噂の元凶さんも、それを期待してのこれでしょう」

確かにそうかもしれないが。

「まだ駄目だよ、三郎」
「俺も三郎に賛成ですね」

寸鉄を手のひらでくるくる回しながら、兵助が拗ねたような声で同意する。

「面倒じゃないですか。一気に全部片付いてすっきりさっぱりですよ?」
「そう言わない。せっかくの機会だからね、今回は天女様と愉快な仲間たちに現実ってものを少し見て頂く程度で我慢しておこう」

そう、この程度の相手で済んでいるうちに。
ここがどんな時代であるのか、我々が何であるのか。知ろうともしない天女様と、忘れ果てているであろう我が友人たちに。
私から、この悪趣味な茶番劇を贈ろう。

「……まあそうは言っても、優先すべきは下級生の安全だ。わかっているだろうけど、それが最低限、守るべきもの。何かあれば矢羽音を飛ばしなさい」
「は」
「じゃあ、皆気をつけるんだよ。――散開!」

合図ひとつ、五つの気配がサッと散る。闇に溶けたことを確認し、私もまた、向かうべき方角へと目を遣った。
墜ちた天女様のおわします、その場所を。
予算会議が見たかったんでしょう?良かったですね、天女様。より実戦に近いものを見せて差し上げますよ。

「これが一つ目のお返しですよ」

我らの世界の欠片を、貴女に。


すべては貴女のお望みのまま
(20120114)


[ 41/86 ]

[] []
[目次]
[しおりを挟む]

×