横槍?いいや、我らも役者
己を着飾り、ひらひらと浮かれて飛び回るその姿は、蝶々に似ている。 けれど。 見るものを魅了する美しい羽。そこに隠されるのは、猛毒。そんな蝶々など毒蛾に過ぎない。 「組頭?どうされたんですか」 不思議そうな、というには少々可愛げに欠ける声に呼び戻されるようにして、思考の海に沈んでいた意識をこちら側へ向ける。 首を傾げる部下が、自分を見ていた。 「……尊奈門か」 「はあ、そうですが」 何だか間の抜けた返答に小さく笑えば「何なんですか」と唇を尖らせる。幼さの残る反応にもう一度笑うと、今度は「もういいです」と諦めたような声が返った。 「で、どうされたんですか?」 「どう、とは?」 「何事か考えておられたのでは?」 「……ああ」 それか、と小さく呟く。 「天女について、考えていた」 「は?天女?天女ってあれですか?羽衣を無くして天へ帰れなくなって人間と契ったとか、そんな話の……」 「そういえば、そんな話だったな」 お伽話の天女様は。 「組頭?」 「私が考えていたのはこの世の天女のことだよ」 「この世?」 それは何かの比喩か暗喩かと尊奈門が眉を寄せる。素直な反応はからかう分には面白いが今はそんな気分でもなく、私はつい先日訪れた忍術学園で見つけた天女の存在を教えてやった。 別に隠していたわけではない。ただ話す機会がなかった。それだけだ。 「それが天女、ですか?」 胡乱気な顔をする尊奈門に、差し出された茶を受け取りつつ「そうだよ、天女だってさ」と繰り返す。 「何ですか、それは」 やはり何かのたとえ話ですか?と尊奈門は探るような視線を向ける。まあそれが普通の反応だろう。私だとて、あの澱んだ空気と妙な違和感を直接感じなければそう信じようとはしなかったと思う。 「たとえ話、だったらまだ話は簡単だったのかもしれないがな」 「どういうことですか?」 土産話というには、どこか現実離れしていて気持ちの悪い話だが、私はつい先日朔から聞いた話を始めから語ってみせた。 「……えーと……。それ本当なんですよね?」 尊奈門は確かめるように念を押す。 「本当も何も、作り話にしちゃ安すぎるだろう?」 「そうですけど」 でも人が空から降ってくるなんて有り得るんですか? 「さてね。私は聞いたこともないが」 それこそお伽話でもない限りは。 そう言うと、尊奈門は「ですよねえ」と溜息を吐いた。 「でもそれが現実だっていうんでしょう?」 「そうだねえ。現実みたいだね」 半月前に忍たまたちの目の前に落ちてきたという天女様。 気付けば六年生を筆頭に心奪われた忍たまたちの数は少なくないと聞く。 「どこぞのくノ一ということは考えられないのですか?」 「いいや。あの子がくノ一なんだったらこの世の中大抵の人間はくノ一として務めを果たせられるさ」 そもそもあの柔らかな手は武器など握った事もあるまい。 「あれ、組頭」 「ん?」 「その天女様とやらに会われたんですか?」 「ああ、会ったよ」 初対面ではそうとは知らずに、ではあったが。確かに彼女が天女様であるというのなら、彼らの警戒心もわからなくはない。天から舞い降りた天女様。美しく愛らしく清らかな天女様。その存在を掌中の珠の如く思っているのならば。まあそれを露にすることが賢明かどうかはまた別の話だけれど。 「どんなひとでしたか?」 天女なんて存在に対して懐疑的だったくせに、興味津々と言った体で尊奈門が訊ねてくる。 「んー。白いかなあ、表面は」 「白い?」 「甘い、ともいう」 「白くて甘いんですか?何だか団子みたいですね」 尊奈門の感想に吹き出すと、「だってそうじゃないですか」と半眼でじとりと睨まれる。 「仮にも私は君の上司なんだがね?」 「知っています。何言ってるんですか今更」 「反抗期?」 「違います」 やり取りの既視感に思わず苦笑する。 「やっぱり君たちは兄妹だよ」 「は?」 「いや、こちらの話だ。そうだな、表は白くて甘くて、まあ客観的に見れば整っているかな」 「ちなみに、主観的な御意見は?」 「そりゃ、ウチの子の方が万倍可愛いさ」 「言うと思いましたけど」 「ん?何だい。朔が余所の子に劣るとでも?」 「劣るわけないじゃないですか。だって朔ですよ」 何を当たり前のことを言っているんですかと溜息をつく尊奈門に言いたい。常日頃私のことを親馬鹿だのなんだのと散々な言いようだがお前だって十分な兄馬鹿だと。 「組頭?」 尊奈門は「何なんですか」と怪訝な顔をしたものの「まあ、それはいいですけど」と話を戻しにかかった。 「表面的には、とはどういう意味ですか?」 「意味?そのまんまだけど」 無邪気さの裏側に潜んでいた女の部分を思い出す。 それが悪いというわけではない。けれど紛いなりにも天女を名乗るというのなら、それは不要な部分なのではなかろうか。 純真無垢故に他者を傷つけるということと、純真無垢を装い他者を傷つけるということは、結果が同じであっても意味は異なってくる。 彼女の場合は後者だろう。 表の白さを強調すればするほどに、ちらちら覗くものが余計に際立っている。賢い、とはお世辞にも言えない。当人に自覚がないのなら笑える話だが、それにしたってあれにうかうか引っかかる忍たまたちの青さときたら。 日がな一日傅いて鍛錬を怠ればどうなるか。特に六年生ならば身に染みて実感するだろうにそれもない。鍛えることは容易でなくとも、綻び崩れるのは容易いものだ。天女と同じ臭いを纏う彼らからは、忍として培ってきたものが少しずつ零れ落ちている。火薬、鉄、毒に薬。知識、体力。それを手に入れる為に費やした時間と努力を自ら投げ打っていることに気付いているのだろうか。 忍として生きる為に学んでいるはずが、あれでは使い物になるのかどうかも怪しいものだ。 「もう少し、見込みがあるかと思っていたんだがねえ」 私の目も曇ったもんだ。 笑ってそう言えば、尊奈門は至極真面目な顔でこう言った。 「朔は大丈夫ですか?」 「ああ、あの子は大丈夫だ」 あの娘に惑わされる程、愚かでもない。 あの娘も女に興味はないのか朔にまで擦り寄っては来ないらしい。 しかし。 「寂しい」と呟いた声を思い出す。 あの日、一人屋根に蹲り、寂しいと言った声。 朔にそう言わせたのは、あの子の友人たちだ。けれどその裏には疑いようも無く天女の存在がある。 白くて甘くて、これっぽっちも世界を理解していない、あの娘の。 浮かれるのは自由だけれど、それで可愛いあの子の顔を曇らされたんじゃたまったものじゃない。 「さて……。どうしたもんかね」 呟いた私に、尊奈門が驚いたように軽く眉を上げた。 「何その反応」 「いえ、その……。今の話の流れだと組頭が動かれるものだと思ったのですが」 「私もねえ、そのつもりだったんだが。釘を刺されているからね」 「釘?朔にですか?」 「ご明察」 ――父様。天女様に関する諸々は、学園の問題です。 まるで自身に言い聞かせるように、ゆっくりと噛み締めるように言葉を継いだ娘の姿を思い出す。 ――ですからこれは、我々が片付けるべきものなんです。 手出し無用とあの子はそう言った。 「では組頭は、この件に関しては何もされないと?」 「いいや?」 朔は天女に関する諸事は学園の問題だと言った。だから手を出すな、と。 しかしあの子は、学園に手を出すな、とは言っていない。 つまり、だ。 「多少横から波風を立ててやっても、それは『天女に』干渉したということにはならないだろう?」 「組頭……言葉遊びじゃないんですから」 項垂れながらも「それでは私は何をしましょうか」と言う辺り、お前もやる気じゃないか。 苦笑しつつ、私は腰を上げた。 「どちらに?」 「ん?朔のところ」 「朔の?」 「とりあえず、もう一度現状視察させて貰って来るよ」 背を向ければ止められる事もなく、「お気をつけて」と声だけが追ってきた。 ひらひら手を振り応えながら、私は闇を蹴る。 目指す箱庭で、あの子は何を思っているだろう。 「朔」 愛しい子の名前を呟くように口にした。 続く言葉は胸の内でひっそり隠したけれど。 傍観など、できるはずがない (残念ながら、私には君が大切なんだよ) (20111019) [目次] [しおりを挟む] ×
|