舞台に踊るは愚か者?

「お断りします」
「……え」

にこりと笑ってきっぱり即答すれば、天女様の笑顔が不自然に歪んだ。
さすがに相手が私とは言え、まさか断られるとは思っていなかったのだろう。彼女は慌ててその後ろで事の成り行きを見守っていた六年連中に助けを求めるように振り返った。

「朔……」

頭痛を堪える、と言った表現がまさにぴったりな表情で進み出たのは仙蔵で、天女様の傍らで慰めるように肩を抱く伊作が非難めいた視線を向けてくる。後ろに控えたままの四人が沈黙を守っているのが何だか嫌だけれど、こちらもほいほい「そうですか」と頷けるものではない。

「お前、自分の言っていることがわかっているのか?」
「わかってるさ。というか私はそのままお前に返すよ」
「……何?」

ぴくり、と仙蔵の柳眉が跳ねた。「朔」と窘めるような伊作の声にも心は動かない。

「だってそうだろう?いきなり理由も言わず私の部屋を明け渡せと言われてもねえ」

はいどうぞ、となると思ったの?
いきなり人の部屋に押しかけてきて何かと思えば、普通に考えてそれはないだろう。明け方まで忍務について帰ってきてみれば早々に叩き起こされてこの有様である。睡眠を愛する私に対してケンカを売っているのだろうかコイツらは。敵に回したくない云々は別にして、少し残っている疲労感だとか最近の諸々だとかでささくれ立った神経は見事に逆撫でされて、自然いつになく好戦的な態度になる。まずいなあと思わなくもないけれど、こればかりは仕方ない。
呆れたと言わんばかりの私の視線に苛立ったように、仙蔵を押しのけ文次郎が前に出る。

「なら何か?お前は唯歌さんが危険な目に合ってもいいとそう言うのか?」

ああもう面倒臭い。

「危険な目って何?天女様は誰かに狙われてるのかい?訊くけど文次郎。今の部屋で何が悪い?食堂が学園でも奥まった位置にあるのは知ってるだろう?そもそも学園内で狙われるなんて滅多な事ではならないだろうし、あんな場所で危険な目に合うことはまずないだろう?」
「唯歌さんはひとり離れた場所にいることが心細いと言ってんだ」
「それでなんで私の部屋を差し上げるという話になるんだい?」
「ここは俺たちの部屋にも近い。何かあればすぐに駆けつけられる」
「天女様は女性だろう?私と違い、忍たまと同様の暮らしをしろと言われているでもなし、風呂とか日常面を考えればくノ一教室に頼むのが妥当だと思うけど?」
「あんな唯歌さんに敵意を向ける連中に預けられるか!」
「……敵意?」

私が眉を上げると、仙蔵は鼻を鳴らして「どうせ」と口を開いた。

「どうせ大方くだらん嫉妬だろうさ。女とは自分より秀でた相手を嫉む生き物だ」

随分女とは何ぞやと知ったような口を利く。ではお前は、その天女様が彼女らに好かれるような行動をしていたと思うのか。

「……へえ?」

雛菊やカサネを始めとするくのたま六年からは敵とすらみなされていないけれど?とは勿論言わない。
口の端だけで笑えば、それに煽られるようにして文次郎が私の襟元を掴んだ。

「見知らぬ地で頼るべき人間もいなくて、唯歌さんがどれだけ心細い思いをしているのかお前にわかるってのか!?」
「……残念な事に、私は天女様じゃないんだよ」

空から落ちたこともなければ、ちやほやちやほや蝶よ華よと傅かれたことなど、私には経験のないことだ。

「も、文次郎。いいよ、唯歌の為にそんなことしないで!わがままを言ったのはわたしなの。朔くんは悪くないよ?」
「……唯歌さん……」

気遣うように伊作がその背中を撫でる。文次郎は私の襟元を掴んだまま、彼女の姿を見つめていた。
どうしよう、いい加減この手の茶番に飽きて笑うのも疲れてきたし呆れる気分でもないんだけど。

「……だってさ」

彼女もそう言ってるし、離してよ。

「――ッ!朔、テメェ唯歌さんの気持ちも知らねェで!」

未だ私の襟を掴んだままの文次郎の手に、自分のそれを重ねる。やんわりと引き剥がすように軽く力を入れながら、すぐ側で私を睨みつける文次郎に一瞥を返した。

「私からも訊いていいかい?彼女に部屋を譲って、私はどこに行けばいいのかな。というか、この件を学園長先生は了承なさっているのかい?」
「そ、れは……」

畳み掛けるようにそう言えば文次郎は急に勢いをなくした。そもそも長屋の部屋割りは入学時に学園が決める。そしてそのまま六年を過ごすのだ。生徒同士で勝手にどうこうしてもいいものではない。

「第一、六年長屋から食堂はまあまあ遠い。天女様には不便だろう?」

私が口にした建前らしき一言に、六人は揃って不思議そうな顔をした。え、何。お前らまさか忘れてるの?いやまさか…。

「朔くん、心配してくれてたの?食堂が遠くてもわたしは大丈夫よ?」

感激していますと言わんばかりの口調だが、潤んだ瞳は確実に勝機を見出したと思っている。

「そうだよ、朔。僕たちもちゃんと唯歌さんを食事に間に合うように連れて行くし」

いやそうじゃないだろう。食事じゃなくて準備に間に合わないと意味がないだろう。と突っ込みかけて止めた。無駄な労力を割かねばならない予感しかしなかった。

「それでも駄目なのかい?」
「……それでも」

それでも、が理由になっていないことにも気付かない友人に対して出かけた溜息を飲み込んだ。
それまで静観していた小平太が、すっと前に出てきたのだ。

「朔」

小平太は静かに私の名を呼んだ。珍しい。これはまた随分と。

「何だい小平太」

小さく笑ってその顔を見上げる。声と同じく真面目な顔をしていた。

「唯歌さんが困っているんだぞ?」
「そうらしいね」

随分苛立っているなあ。

「でも私も部屋を出されると困るんだけど」
「私はお前を見損なったぞ。お前はもっと優しかったはずだろう。困っている人がいたら助けてやるようなやつだっただろう?」
「…………そう?買いかぶりすぎじゃないかい」

私は上手く笑っているだろうか。この声は揺れてはいないだろうか。
見損なったと、落胆したのだと響く声が予想以上に胸に突き刺さる。
これからしようとしていることを考えれば、下手をすれば本当にこの声の主から今以上の言葉を向けられるかもしれないというのにこんなことで怯んでどうする。

「もう一度聞く。唯歌さんに部屋を譲ってやれないか?」
「……断るよ。私ももう一度言う。そういうのは私じゃなくて学園長先生に相談しておくれ。その上で譲れというのなら私は従うよ」
「わかった。行こう唯歌さん。朔に言っても無駄だからな」
「確かにその様だ。まったくその頑固さもいい加減にしろよ」

口々に言いたいことだけ言って天女様を促し立ち上がる友人たちの背を眺める。
まったく理に適っていない主張を易々と受け入れ疑問に思わない辺り重症だと今更でしかないことを考え今度こそ溜息を吐く。
早急に何とかしなくては、これ以上取り返しが付かなくなる前に。最近くせのように痛み始める頭を揉み解そうと、米神に指を遣る。そんな私の耳にバタバタと騒々しい足音が聞こえた。

「ん?」

何事?
そう思ったのは私だけではないようで、天女と愉快な仲間たちご一行も開けようとした障子の前で足を止めている。
つかの間、非常に不本意ながら心を一つに首を傾げていた私たちの前で、すぱーん!と勢い良く障子は開いた。

「あ」
「先輩!」

慌てたように飛び込んできた青紫の制服は、室内にいるのが私だけではないと気付いて立ち止まった。
この後輩が人の気配に気を配らずに飛び込んでくるのも珍しい。どうしたのさ、と声を掛けようとした私よりも先に、心なしか常日頃より更に弾んだ声が響いた。

「あ、あなた、もしかして雷蔵?それとも三郎?」
「…は?」

腕を掴まれた後輩は、怪訝な顔で自分の腕を掴んだ相手を見遣った。
それをどう捉えたのか、天女様はそのまま満面の笑顔を浮かべこう言った。

「こうして会うのって初めてだっけ?わたしは有村唯歌。天女様、なんて呼ばれてるけど気軽に唯歌って呼んでね」
「……ご丁寧にどうも」

軽く頭を下げてみせてはいるけれど、青紫の制服の周辺の温度だけが確実に数度下がった。
普段自分の本心を表に出すことが少ない後輩――鉢屋三郎にそれだけ露骨にひやりとした視線を向けられていながら、肝が据わっているのか神経が太いのか何なのか、天女様は怯む様子も見せず嬉々として笑顔を振りまいている。

「ねえ、ところであなたはどっちなの?」
「どちら、とは?」
「だからあ、三郎なの?雷蔵なの?」
「それは貴女にとって重要なことなんですか?」
「三郎」

これだけ露骨に拒否を示しているというのに、後輩に向ける級友たちの視線はどんどん厳しくなっていく。それが天女様に対する物言いへの嫌悪感ではなく、天女様がこの後輩へ向ける笑顔に対する妬みであるだなんて、別に気付きたくもなかったんだけどねえ。
これ以上二人で会話をさせていたら大なり小なり面倒なことになりかねない。たしなめるように名を呼べば、三郎はそれまでの天女様との会話などなかったかのように私に向き直った。

「どうしたんだい?何かあった?」
「はい、実は、ッ!?」

何か言いさした三郎は、しかし次の瞬間ぴしり、と音を立てて固まった。

「やっぱり!三郎だったのね!」

喜色満面といった様子で、天女様が三郎に抱きついたのだ。
どうやら天女様は空気の読めない御仁のようである。ああもう、と舌打したい衝動に駆られた私は多分悪くない。
あの鉢屋三郎を固まらせるなんてある意味では確かに高等技術だろうけれども。
貴女は今、誰と私の部屋に来たのかもう忘れたのか。
天女様のそのまた後ろに居並ぶ六年連中から発せられる空気は確実に重く薄暗くなっていく。
しかし当の天女様は上目使いに三郎の顔を見上げながらしきりに話しかけている。

「ねえ、三郎。せっかくこうして会えたんだもの。これから食堂へ行ってみんなで少しお話しましょう?」

「ね、いいでしょう?」とにっこり笑い、三郎の腕を引こうとする。けれど三郎は逆に人好きのしそうな微笑を浮かべ、するりと天女様から距離を取った。

「申し訳ありませんが、私は朔先輩に用がありますので」

あー…こりゃ結構苛々してるなあ。

「取り込み中悪いんだけど三郎。結局何があったの」
「はい。実は、生物委員会で飼育している毒虫が逃げ出しまして」
「毒虫が?それはまた」

大変だ、と私が言い終えるより先に、顔色を変えたのは六年連中だった。

「何だと!?毒虫が?」

今にも手でも出しそうな勢いで、留三郎が三郎へ掴み掛かる。

「どういうことだ、鉢屋!」
「どういうことも何も、言葉のままですが」

さすがに少しばかり面食らったように、三郎が軽く目を瞠る。

「逃げたってのは学園内でと言う事か?」
「そうです。恐らく学園内の植物園内に逃げ込んでいるとは思われますが…」

まだ捕獲できていません。
淡々と事実を説明する三郎に、留三郎は苛立ったように声を荒げた。

「どういう対応をしてんだ!唯歌さんがいるのに!」
「は?」

どういうことですか、と言わんばかりに三郎が目を瞬かせる。

「お前、それが唯歌さんを危険に晒すっていうのがわからないのか?」
「植物園内に近付かなければ大丈夫でしょう?第一、毒虫の捕獲には一年生も参加しています。彼女に対してもそこまで過保護になる必要はないのでは?」

呆れの混じる視線は、留三郎だけでなくその後ろで同じく厳しい顔をしている六年五人へとまっすぐに向かう。
三郎の声に微かに滲んでいたものがあった。けれどそれはきっと裏切られる。三郎の言葉に隠された意味に、きっと今のコイツらは気付かない。

「唯歌さんは、俺たちとは違う。そんなこと、誰でもわかることだろう!?」

ほら、ね?
「一年生」も参加している。
以前であれば、留三郎が食いついたのは間違いなくその部分だったろうに。
思わず目を伏せた私は、留三郎を制するように仙蔵が前に出たことに気付いていなかった。だから、その直後に聴こえた耳を疑う一言に反応が遅れた。

「大体生物委員会委員長代理は竹谷だろう?アレは一体何をしていたんだ」
「八左ヱ門は、悪くはありません。虫を飼育していた小屋の屋根板が先日の雨で傷んでいたんです。そこから逃げ出したんですよ」
「それは言い訳に過ぎんな。結局は、生物委員の職務怠慢だろう?」
「……ッ」

ぎゅうと、白くなるほど三郎が拳を握り締めた。それにすら、六年たちは気付いていない。しきりに「唯歌さん唯歌さん」と天女様を気遣う言葉だけを吐き出している。

「毒虫って、大丈夫なの?唯歌怖い」
「大丈夫だ、唯歌さん。私たちがついているからな!それにいざとなっても伊作が薬を作ってくれる」
「小平太…縁起でもないことを口にするな…」
「まったくだ。鉢屋」
「…何、ですか」
「竹谷に伝えろ。一刻も早く、逃げた虫を捕獲し処分しろと」

それが、生物委員会委員長代理としての義務だろう。

「……義務?」
「朔?何だ?」
「それが、あの子の――八左の義務?」
「そうだろう?何を言っているんだお前は」

胡乱な顔で、友人たちが私を見ていた。
唇から、笑い声が零れ落ちそうだった。
笑いたくて笑いたくて仕方がなかった。咽喉までせり上がってきた熱い固まりを飲み下して、それを堪えた。
義務?生物委員会委員長代理の?

「それを、お前たちが言うの?」

何もかも放り出したくせに、押し付けたくせに、それなのに。
こぼれた呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。

「朔?どうかしたの?」

伊作が気遣うような声と共に、そっと手を差し出した。指先が、私の頬を掠めた瞬間、気付けば私は身を引いていた。

「朔?」
「……何でもない。行こう、三郎。虫を捕まえないと」
「はい」
「あ、三郎!」

天女様が何か言いたげに三郎へ手を伸ばす。三郎は無言でそれを避け、私の後に続いた。
後に残った者たちが、どんな顔で私たちを見ていたのかだなんて、そんなことはどうでもよかった。私は天女様と六年生を残し、逃げるように自分の部屋を後にした。
ぎしぎしと、廊下を踏む足音だけが響いていた。

「……三郎」
「はい。何ですか?」
「ごめんね」
「……それは、先輩から聞くべき言葉じゃありませんよ」

悪いのは、謝罪すべきなのは別の人間だと、三郎はそう言う。

「違うんだよ」
「違う?」
「うん、あんな奴らなのに、私はこれからアイツらを取り返そうと思ってる」
「……」
「だからごめんね」

振り返れば、すぐ側に三郎はいる。そんな近くにいるというのに、それでも後輩の顔を見ることが怖かった。

「……朔先輩」
「うん?」
「大丈夫です。私たちは、何があっても先輩についていきますから」
「……ありがとう」

ほんの少し笑って見上げれば、一つ下の後輩は確かめるようにこう言った。

「では先輩が、動かれるんですね?」
「そうだねえ。こんな茶番さっさと幕引き願いたいところだね」

三郎が、笑う。今日初めて見る、三郎らしい笑みだった。

「大いに賛成です」

その為には、主演女優に退場願わなければ、ね?


さてさて終幕はいずこに向かう?

(20110829)

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