砂の城が崩れる前に
「失礼します。お茶をお持ちしました」 中からの応えを待つよりも先に、音もなく障子を開ける。 碁盤に向き合っていた庵の主は無作法なその所作を気にするでもなく、ちらりとこちらに視線を投げた。 「おお、朔か?どうした」 「お茶をお持ちしました」 聞いてましたか、と押しやるようにして湯飲みを置く。学園長はざらざらと碁石をかき混ぜながら空いた手で湯飲みを取った。 「お前が持ってきてくれるとは思うておらなんだな。……随分機嫌が悪いようじゃのう」 「あははは。そりゃ悪くもなりますよ」 私が渡したお茶を一口啜り、学園長は顔を顰めた。 「何じゃこれは」 「何ってお茶ですが」 「それはわかる。わしが言うておるのは、どうしてこんなに温いのかということだ」 「そりゃ仕方ありませんよ」 それ元々私が頼まれた用事じゃありませんでしたし。いつ淹れられたお茶なのかなんで知るわけもないじゃないですかー。 白々と笑いながら言い訳を口にすれば、学園長先生はそれで察する所があったのか「ふむ」と呟き湯飲みを置いた。 「まあ良い。わしも丁度お前を呼ぼうと思っておったところじゃ」 「私をですか?」 何ですかと問えば、学園長は懐から白いものを取り出した。 スッと差し出されたのは折りたたまれた料紙だった。 「手紙、ですか?」 金楽寺辺りへお使いだろうか。いやそれなら私でなくとも構わないはずだ。現に普段は一年生に任されている。 首を捻っていると開くようにと目で促され手に取る。流麗な筆跡で綴られたそれは、実に雅とは程遠い代物だった。 「学園長先生…どうせならせめて恋文とかにしてくださいよー」 どうせ見せられて面倒なものならそちらの方がいくらかマシだ。 「こりゃ。露骨にその様な顔をするでないわ!」 「すみません」 「ちっともすまなさそうに思っとらん顔じゃな」 「そうですか?そんなこともありませんよ」 「まったく……そんなところはしっかり父親似じゃな」 「え、本当ですか?」 「褒めとらん。嬉しそうな顔をしおって…まったく」 いやまあそうだろうとは思いましたけど。でも父親似と言われて喜んでしまうのは最早条件反射のようなものだから仕方がない。 今だってきっとそれなりにしまりのない顔をしている気がする。まあ実際嬉しいんだけどさ。 学園長先生はそんな私に呆れたように溜息を吐き、ずれた話を戻すようにわざとらしい咳払いをしながら湯飲みを取った。 「あ、すみません。何の話でしたっけ」 「その文の内容じゃ」 「そうでした。……これを私にですか?」 「ああ」 学園長は表情を変えることもなく頷き、もう一度すっかり冷め切ったお茶を啜った。 「六年ろ組蓮咲寺朔」 「はい」 「その忍務、お前に任せよう」 「ちなみに、ですが私の選択肢は?」 「朔よ。お前は何があると思う?」 眉を上げ逆に問い返される。翁と呼ぶに相応しい痩せた小さな体躯から発せられるものに、苦笑しながら答えた。 「是、以外に何かありますか?」 「わかっておるではないか」 学園長はふぉっふぉっふぉ、と実に胡散臭い笑い声を上げる。 「何なんですかその笑い声」 「ふむ、こちらの方が年寄りっぽくはないかの」 「普段年寄り扱いされると怒るくせに…」 こんな時ばっかり年寄りアピールされても困る。 「そもそも普通のお年寄りは生徒を威圧なんてしないでしょう」 顔を顰めて見せた私に、学園長は少し口元を歪めただけでそれには答えようとはしなかった。 「何じゃ、不満か?」 「いえ、そういうわけではないんですが。ただ…」 「ただ?」 「私を名指しされることが珍しいと思いまして。この手の忍務でしたら文次郎や留三郎の方が適任ではないですか?」 言って、手にしたままだった料紙をぴらりと顔の前に翳す。 何某の城主より、領地内に出没する山賊を一掃して欲しいとの依頼だった。 山賊退治と言えば事は簡単そうではあるけれど、よくよく読めば元は武士崩れでそれなりの手だれであるらしい。そして何より性質の悪いことに、その首領は城主の腹違いの弟君であるそうな。 「……ややっこしいですねえ」 「何単純な話じゃ。妾腹とも呼べぬ立場に生まれ、領主の弟としても家来としても遇されぬ不満を山賊となり下がってか弱き者から奪うことで埋めるしかできぬ、哀れな人間を片付けろとな」 「哀れ…ですか」 旅人を襲い、女を穢し、金品を奪う男。 「それは愚かと呼ぶべきかと」 「お前ならそう言うだろうと思うておったがの」 学園長はどこか含みの有る口調でそう言って、私を見据えて小さく笑った。 「左様ですか。しかしそれと私が名指しされることに何かご関係が?」 忍術学園は忍を育てる学校だ。しかしそこに籍を置く教師たちはプロの忍としても一流の腕を誇る精鋭揃いであるし、この世界において強大な繋がりを持つ学園長の名は広く知られている。 こうして忍務を依頼してくる人間も少なからず存在しており、学園側は生徒に実戦経験を積ませる機会と捉えある程度のものであれば受けてもいる。 これもまた「ある程度」の範疇内の代物だとは思うが、実習と異なりこれらの忍務は生徒個々の特性が考慮された上で命が下されているはずだ。自分で言うのもあれだけれど、山賊との乱闘など予測される今回の忍務は、六年最弱というありがたくもない肩書きを持つ私には適任という言葉がどう考えても相応しいように思えなかった。 そう問えば、学園長は笑みを引っ込め渋い顔をした。 「誰が適任かという話ではない」 「はあ」 ではどういう話なのだろう。間抜けな相槌を打ってしまったが、学園長はそれについては言及しなかった。そんな気分でもなかったのかもしれない。 「……正直、今の状態のあやつらは実戦には出せん」 一拍の間。 耳は正確に音を拾っていたにも拘らず、言葉の意味を理解するのが僅かに遅れた。 意味も何も、それは言葉通りであったのだけれど。 「全員、ですか?」 誰も彼も実戦に出せない?そんなこと――。 問い返した私に、学園長は躊躇いなく頷いた。 「全員じゃ。お前を覗いて、ではあるがの」 「……」 「何じゃ。もっと誇らしい顔をしても構わんぞ」 「事が事ですので。……そこまでですか?」 「共に授業を受けていれば気付くじゃろ。現に今日お前はここにおる」 学園長の視線が射抜くように私を見遣った。 六年最弱。そう呼ばれるにはそれなりに理由がある。 実技の授業を受ければ打撲きり傷打ち身などの傷を毎度毎度拵え、他の生徒の巻き添えをくって、ぼろぼろになっては小平太に担がれ保健室に放り込まれてきた。 その私が、無傷でここにいる。最も苦手とする組手の授業後だというのに保健室に担ぎ込まれることなく、傷一つ作ることなく。 「組んでみればわかるじゃろ」 「…………」 反論の言葉が見付からなかった。自主鍛錬を怠っているとは言え、授業自体を放棄したわけではない。だからいざ組手となっても一見目立った粗はない。 しかし、動きのキレや体力は確実に衰えていた。目に見えずとも少しずつ少しずつ。 何よりも。 「確かに、注意力は散漫かと……」 日がな一日天女様のことしか考えられないあのおめでたい頭では、戦場になど出てもあっという間に飲まれて終わる。 つまりはそういうことだ。 「まったく最高学年がこれでは頭が痛いわい」 やれやれとわざとらしい溜息。それも空気を和らげる効能など持つはずがない。 私は膝の上に置いた拳を握り締めた。 「……朔よ。理解していようが、学園が受ける忍務は生徒を潰す為ではない。経験を積ませる為のものじゃ」 その口調が厳しいと感じるのは、私に自覚がある為だろうか。 この諸々を踏まえた一件に関わりながら、中々動き出そうとしなかった責任。事態を広げた原因の一端を、私は確かに担っている。 「今あやつらを使ったとしても、それは自傷行為にしかならんだろうよ」 「……ですがッ!」 「何じゃ」 「ですが……」 反論の余地などないと知っていた。学園がそう判断したのなら、それが現実の大半を語るに十分な理由があってのことだと知っていた。 それでも、と開いた口からは結局何も出てはこなかった。 代わりに口をついて出たのは、責任転嫁のような台詞だった。 「……それでも先生方は動かれないのですか」 我ながらこれはひどい。言っている端からそんなことを思って、唇が歪む。 学園長は目を細め、それから言い聞かせるように言った。ひどく静かな口調だった。 「……これしきの事で潰れるのなら、プロとしてなぞやってはいけん」 女一人に惑わされることも、すべてを投げておきながらそれにすら気付いていないことも、周りの何も見ていないことも、すべて。 この箱庭ですら忍として在れないものがどうして、外の世界で乱世で生きて行ける? 返す言葉すらなく俯いた私を学園長が「朔」と呼ぶ。 「朔」 「……はい」 「学園は手出しせん。だがひとつ、言っておこう」 のろのろと首をもたげる。学園長は顔を上げた私を見て、満足そうに頷いた。 「何事も成さねばならぬ。迷うなら何が大切かもう一度考えてみることじゃ」 「何が大切か……」 「優先すべきは何か、をな」 「…………はい」 「うむ。よいか朔」 「はい」 「忍はガッツじゃ!」 「……また随分無責任に仰いますね」 「何を言うか。このわしの激励を!」 いや激励と言われましても。そんな空気じゃなかったでしょ、今。 呆気にとられる私を余所に、学園長はひとり心外だといわんばかりだ。でも。 「は…ははは」 笑いというには固いそれだったけれど、知らず知らず口元が緩む。 「蓮咲寺朔。己のなすべきことをなせ」 「はい」 何だか少しだけ気持ちは軽くなったようで、何だかんだでこの人が「天才」と呼ばれた理由の一端を垣間見たような気がした。 目隠し外して顔上げて (20110618) [目次] [しおりを挟む] ×
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