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「唯歌さーん!!」 聞きなれた声が間に割って入ったのは、まさにその時だった。 「……小平太」 先生から開放されたのだろう。一目散に駆け寄ってきた小平太は満面の笑顔で天女様の周りを跳ねるようにくるくる回る。 「お前は犬か」 呆れたような声がその後ろから続き、現れたのは仙蔵だった。 「遅かったのね、小平太。仙蔵も」 「ごめん唯歌さん。ちょっと先生と話てたんだ」 「私も授業が長引きまして。……何だ朔もいたのか」 「あ、ほんとだ。朔だ」 「……いたよさっきから」 むしろずっと天女様の前にいたんだけれど。どれだけ天女様しか見えてないんだお前たちは。 「君たちの目は天女様しか映さないみたいだね」 「それはそうだろう?唯歌さんという素晴らしい存在を前にすれば」 嫌味に照れるでもなく、仙蔵はそれが至高の事実であるとでも言わんばかりだ。 「そうみたいだね」 「やだ、仙蔵ったら!」 まんざらでも無さそうな天女様に、仙蔵は気持ち悪いほど甘い笑顔を向ける。 「本当のことですよ。それで唯歌さん、どちらへか向かわれるところだったのですか?」 普段彼女が通らない場所だという仙蔵に、天女様は湯飲みを見せた。 「これ学園長先生のところに持っていく途中だったの」 「学園長のところへ?貴女自らですか?」 仙蔵は大袈裟に驚いてみせる。 「そんなの、別に唯歌さんでなくてもいいじゃないか。なあ仙蔵?」 「ああ、小平太の言う通りだ」 じゃあ誰ならいいんだい。大体お茶を運ぶだけじゃないか大袈裟な。 ただでさえただ飯食らいの居候と化しているのに、そのくらいの仕事やり遂げなさいよ。 仕事というか、子どものお手伝いと呼ぶに相応しい内容ではあるが。 「ふふ、仙蔵も小平太もありがとう」 「いえ、それは私が持って行きましょうか」 仙蔵は天女様の手から盆ごと引き取ろうとする。しかし天女様はそれをやんわりと制止した。 「大丈夫よ」 「しかし……」 呆れを通り越して脱力する私の耳に、思わず聞き返しそうになる台詞が飛び込んできた。 「朔くんがね、唯歌の代わりに持って行ってくれるんだって」 ね?そうだよね? にっこり笑って天女様は私を指し示す。小平太と仙蔵がその動きを追うようにして私を見遣った。 「へ?私、ですか?」 「ほう、それは感心だな朔。お前はあまり唯歌さんのところに顔を出さないだろう。たまには手伝って差し上げればいいものをと常々思っていたんだ」 手伝う?彼女の何を。ろくに仕事もしていない居候の何を私に手伝えというんだ。そもそも毎日毎日顔を出しているお前たちが彼女にしていることと言えば、傍に引っ付いて話し相手をして、街へ繰り出して貢いでいるくらいだろうに。 「朔くんて、優しいよね!」 「朔はろ組の学級委員長だからな」 「あ、ははははは……」 あのさ、小平太。お前何かちょっと自慢げに言ってるけどそれ学級委員長関係ないよね。優しさと学級委員長に関連はないからね。お前六年同じ組なんだから私が委員長になった経緯も知っているだろうが。 いっそ空気が読めない人間なら楽だっただろうか。空気が読めなければ忍として生き残ってはいけないだなんて当然の事実に見ない振りをしたくなった。 思っても口に出せる場面でも相手でもないと理解している頭が、浮かんだ台詞を外に出すことを拒んでいる。 半ば押し付けるようにして、天女様は私に盆を手渡す。咄嗟に手にしていた会計帳簿を懐に押し込んで受け取った拍子に、湯飲みの中で茶が波打ち少しだけ盆の上に零れた。 「では朔。それは頼んだぞ」 波紋を描く茶をぼんやり見つめる私に仙蔵の軽やかな声が落ちてくる。 「……ああ。持って行っておくよ」 「お願いね、朔くん。ちゃんと持って行っておいてね」 「ええ」 随分と上から物を仰るんですね、天女様。 顔を上げた時には既に三人は私に背を向けて、もと来た方向へ歩き出していた。 「ねえ仙蔵。文次郎は?」 「ああ、あれなら先に食堂に行って菓子を用意していますよ」 仙蔵がそれは綺麗に笑って見せて、天女様がはしゃいだ声を上げる。 「お菓子?わあ、楽しみ!」 「唯歌さんは、甘いものが好きだものなあ。そうだ、今度長次にボーロを焼いてもらおう!」 「本当?食べてみたい!」 右に小平太、左に仙蔵を引き連れて、天女様は弾むように歩いている。鈴を転がしたような軽やかな笑い声が遠ざかっていく。 何だかとても疲れたような気分で、私もまた学園長の庵を目指すべく彼らと逆方向へと歩き出した。 あんな存在に、私の箱庭が踏み荒らされている。 あんな存在に、彼らは現を抜かしている。 ひどく滑稽で、馬鹿らしいとそう思った。 覚悟まで、あと少し (20110614) [目次] [しおりを挟む] ×
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