鬼も人の子

久しぶりに足を運んだ箱庭で、眉を潜める破目になるとは思わなかった。
感覚的な話になるが、何だか空気が澱んでいる。闇に生きるべき子らを育てる学び舎でありながら、ここは陽だまりの匂いがしていたというのに。

あわいの場所。

その形容が相応しい場であったはずだが、はて一体何が起きたのやら。
首を傾げつつ、私はまっすぐに目指す場所へ向かった。
さて『あの子』はどこだろう?一月ぶりの再会に踊る胸を宥めてみても、頭巾の下で緩む口元ばかりはどうしようもない。
しかし容易く見付かるだろうと思っていた予想に反して、探す姿は中々見当たらなかった。長屋にもいない、食堂にもいない。自主鍛錬でもしているのかと思ってみたけれどどうもそうではないらしい。忍のゴールデンタイムだというのに、この夜はひどく静かだった。『あの子』どころか誰も彼もが闇の中にその身を置いていないようだ。

「……何かあったのかねえ」

屋根の上をふらふら歩きながら呟いた声に答えなど返るはずもない。この空気といい、一体何なんだ?
首を傾げてもわからないものはわからない。何だかモヤモヤする。
そう言えばと思い出すのは、先ほど覗いた食堂での光景だ。
天井裏から覗いてみても探す姿は見付からなかったが、代わりにすっかり見慣れてしまった別の姿を見つけた。
不運に常に振り回されているようで、その実自分というものをしっかり理解しているところを好ましいと思った子――『あの子』を除けば一番親しいと言ってもあながち外れていない忍たまだ。
せっかくだから声でも掛けようか。と、思ったまではよかったのだが。

(――何だ?)

感じたのは、奇妙な違和感。
何に対して、自分はそんなものを感じているのだ?
その正体を確かめるように目を眇め、改めて眼下の光景を見遣る。人もまばらな食堂で、六年の制服に身を包んだ少年たちがひとつの机を囲んで会話に花を咲かせている。実にのんきな図だが、それは別に構わない。彼らはまだたまごの身。その程度許される範囲内に余裕で収まる。では何だ。一体何が――。

(ん……?)

図体ばかり大きくなった彼らに囲まれている為、視界に入っていなかったが、よくよく見れば彼の中心には見慣れない姿があった。若草色の小袖を纏った娘だ。年の頃は彼らと同じくらいだろうか。楽しげに声を上げて笑っている。彼女は一体誰だ?
生徒はともかく、職員などの学園関係者は一応一通り把握している。しかし頭に突っ込んだそれらの情報の中に彼女に一致するものはない。くのタマかとも考えたが、考えた端から却下された。それなら桃色の制服を纏っているだろう。

「……こんばんわ、伊作くん」

少しずらした天井板の隙間から滑り出るようにして降り立つ。同時に声を掛ければ、六年生たちは瞬時に立ち上がり、その見知らぬ娘を守るようにして私へと向き直った。
まるで彼女の姿を見せてなるものかと隠す壁のような動きに、呆れ半分苦笑する。彼女が誰か知らないが、心配せずとも取りなどしないのに。

「雑渡さん」

最初に口を開いたのは、私の登場になど慣れているはずの伊作くんだった。しかし常とは少しばかり異なる彼の様子に、内心おやと首を傾げる。
強張った顔と警戒する空気。そりゃ私は味方だとは言い難いが、いきなりそこまで用心されるようなことを君にした覚えはないんだがね。

「どうしたんですか?何か、御用でも」

探るような口ぶりと、彼の後ろから飛んでくる敵意に似た視線に肩を竦める。余程の「宝」なのだろうか、その背に隠す彼女は。普通にしていれば持たなかっただろう興味を、君たちの行動は煽っているとしか思えない。

「いや?用と言えば用だけど、別にそれは君にじゃない」
「え、なら何で」
「何で?え、妙なこと訊くねえ。私がわざわざ正面から来る理由なんて君らはとっくに承知だろうに」

私と『あの子』の関係など君らはとうに知っているだろうに、それは愚問だ。

「用事のついでに君を見かけたから、挨拶くらいしておこうと思ったんだよ。迷惑だったかな?」

何やらお楽しみのようだったしね、という一言は飲み込んだ。こちらに興味などなくとも、彼らはきっと邪推するだろう。そんな空気が漂っている。そうして警戒されても面倒なだけだ。
伊作くんは私の言葉に少しだけ肩の力を抜いたようだった。

「あ、そうなんですか……。迷惑だなんて、そんな」

最後の一言が本心からかそうでないのかイマイチ図りかねるが、それでも彼を取り巻く警戒心はやや薄れる。それを切欠にしたように、後ろに控えていた五人の構えも解かれ始めた。私にとっては緊張感とも呼べない代物だが、それでも彼らは緩んだ空気にホッと息をついている。
と。

「ねえ伊作。誰なの?」

甘ったるい声がさっきまでの茶番のような流れを無視したように、無遠慮なまでに響いた。

「え、ちょ、待ってください!」

慌てた声を上げたのは、確か六年い組の立花仙蔵くんだ。常に冷静沈着な様子を崩そうとしない彼には珍しいうろたえ方に首を捻っていると、壁を割るようにして隠されていた「宝」自ら私の前まで踊り出てきた。
若葉色の小袖を纏った娘は、きょとんとしたように私を見上げる。それなりに整った顔立ちをしているが、やはり見覚えはない。
娘はしばらく不躾に私を見つめていたが、ややあって頬を上気させ口元を両手で押さえた。

「やだ…、もしかして雑渡さん…!?」

押さえた口元から漏れたくぐもった声。彼女は隠したつもりなのだろうが、私の耳はそれを拾った。
何故君が、私の名を知っているのかな。まあ恐らく、彼らの誰かが教えたのだろうけど。

「あ、あの!」

娘は遠慮もなく、私の手を握り勢い込んで名乗った。

「わたし、有村唯歌って言います!今、忍術学園でお手伝いさんをさせてもらってるんです!」
「へー」

あ、我ながら棒読みすぎたなこの相槌。
しかし、さすがに興味がなさ過ぎることが一目瞭然すぎたなあ、と思う私になど、彼女は一切気付いていなかった。ついでに背後でまたしても敵意を滲ませている彼等にも気付いていないらしい。いや、あれは敵意というか、嫉妬か?いやはや、若いねえ。

「あの、雑渡さん。せっかくですし、少しわたしたちとお話しませんか?」

はにかんだように笑って、彼女は小首を傾げて見せる。無邪気なような笑みの奥に男に媚びる色を見つけて、端からなかった興味という名の天秤が嫌悪という方向に一気に傾くのを感じる。初対面の男の手を一体いつまで握っているつもりなのだろうか、この子は。

「いや、折角だが遠慮しておくよ」

私は目的があって来ているわけで、君らと談笑しに来ているわけではないんだよ。
するりと手を外せば、何故か彼女は驚いたような顔をした。

「え、でも……」

戸惑うような声を上げる彼女に、何故か伊作くんが助け舟を出す。

「雑渡さん、唯歌さんもこう仰ってますし、お茶の一杯くらい一緒にどうですか?」

え、君らさっきあんなに警戒してたじゃないか。私がその子に近付くの。大体そんなに妬心全開なひとたちに囲まれるのめんどくさいんだけど。

「んー。また今度機会があったらねー」

軽くそう言ってやれば、滲む安堵にやはり面倒臭いと思ってしまうのは仕方ないだろう。
やれやれ、一体何なんだ。

「私はそろそろ行くよ」

背に絡みつくような視線を感じた気がしたけれど、無視した。そんなものを向けられる謂れなどないのだから。

「……あれは結局何だったんだ?」

お手伝いさんだと名乗った娘。その割に、触れたあの手は柔らかく、労働などしたことのない手だった。そして彼女を守るように立ちふさがった六年生。一体何が彼らをそうさせるのか。

「ま、どうでもいいか」

私には関わりないことだろう。
ついさっきの出来事を早くも不要な記憶として処理しようと軽く頭を振る。そうしてふと見上げた先――校舎の屋根の上に私は小さな影を見つけた。
『あの子』だ。
私があの子を見間違うはずなどない。尊奈門たちからは「何ですかその無駄な能力」なんて散々な言われ方をしたが、我が子を前にすれば親なんてみんなそんなもんだと声を大にして言いたい。
君らも親になってみればわかるさ。
私に気付いていないのだろう、あの子は、丸くなるようにして蹲り、ぼんやりと月を仰いでいた。

「……さみしい」

ぽつり、唇から零れ落ちた呟きに、声を掛けようとして動きが止まった。ひゅうと、呟いた声を掻き消すように風が吹いた。
さみしい?この子がこんな事を言うなんて。

「……寂しい?寂しいのかい?」

瞬時に立ち上がると身構えた姿に、さすがウチの子だなんて思う私は大概親馬鹿だ。一応周囲に言われるまでもなく自覚はしている。
以前よりも増した反射速度に我が子の成長というのはやはり喜ばしいものだなんて悦に入っていられたのは、自分の背後に現れたのが誰であるのか悟り警戒を解いた朔が振り返るまでだった。
私の姿を認めて、朔は笑った。いつも通りに、けれどいつものような無邪気な笑みではなく。

へにゃりと、まるで泣きそうな顔で。

気付けばぎゅうと音のしそうなほどその小さな身体を抱きしめていた。

「やあ、久しぶりだね。朔」
「…………父様」

私を呼ぶその声は、水気を含んで掠れていた。
誰だ?誰がお前をそうさせた?何がお前を傷つけた?
嗚呼、この程度の事で腹の奥がじりじり焼かれるような怒りを感じるだなんて、私もまだまだ人の子だったというわけか。
ざわつくものを沈めるように、腕に抱いた愛し子の熱を確かめ、私はただ嗤った。

「……朔?どうしたんだい?」

一体何が起こっているのか。
この後、私は朔の口から一連の変事を聞くことになる。


さあさあ皆さん見てらっしゃい
(お話が始まるよ!)

(20110514)

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