望月は密かに笑う

ゆらゆらと小さな灯が揺れるたびに、薄闇に伸びる影も揺れる。
闇に生きるべき忍にとっては十分過ぎる明るさに目を細め、私は目の前に座るその人を見遣った。
上座に腰を下ろしたこの庵の主は、私の視線など気にする事もなく、ずず、と白湯を啜った。

静かだなあ。

ふとそんな事を思った。
学園内は、自主訓練をする生徒で夜であってもざわついていることが常だ。学園長先生の庵が校舎や長屋と少々離れた場所にあることを差し引いても、静か過ぎやしないだろうか。こんなものだったかなあ。
うーん、と内心首を捻っていると、学園長先生は湯飲みを手にしたまま口を開いた。

「朔よ」
「はい」
「そなた、最近天女を探っているようじゃな?」

最近といってもここ二三日の話であるとか、探っていたのは天女というより寧ろ朋輩たちの現状が中心だとか、そんな些細な相違点はあるものの、概ね事実である。いきなり召集が掛かった時点で今回の用件は何となくこれだろうと思っていたので、さほど驚きもしない。
私は躊躇いなく頷いた。

「そうですけど、学園長先生ずいぶん直球ですねえ」
「おぬしもあっさり認めるのう」
「隠しているつもりはありませんので」

大川平次渦正。かつて天才と称された忍により作られたこの学園は、その人の箱庭だ。
学園内で起きるすべての事項など、学園長には筒抜けだろう。目であり耳であるのがプロの忍としてならした先生方である以上、たまごに過ぎない私たちの動向などその気になれば把握することなど容易い。
隠し立てしても無駄なだけでしょう?と笑みを乗せて答えれば学園長先生は何故か溜息をついた。

「何ですか」
「少しは隠したらどうなんじゃ。つまらんのう」
「そう言われましても。隠して何か私に得なことがあります?」
「天女は学園が逗留を正式に認めた者。それをこそこそ嗅ぎ回るということは、学園の意向に疑念を抱いていると受け止められても仕方が無い。あるいは、処罰の対象となり得る……とは思わなんだか」
「処罰なさいますか?」
「……するわけがなかろう。まったく、昔のそなたはもう少し素直じゃったのに」
「そうですか?」
「昔のおぬしは、ワシの言う事を一々真に受ける可愛げというものがあったのに」
「ああ、それで忍らしくないとか散々からかわれたんですよねえ」

学園長の言葉を鵜呑みにして踊らされては、主に同級生やその当時の先輩方に笑われてきたっけ。その度に、小平太たちが笑った連中に飛び掛っていって傷を作っていたことを思い出す。

「そんなこともありましたねえ」
「すっかり忍らしくなりおってからに」

ぼやくようなその言葉に、にこりと笑った。

「それはそれは。ありがとうございます」

これ以上の褒め言葉はない。
学園長はやれやれと息を吐き、それからやにわに切り出した。

「さて、それで?どうじゃ?」
「どう、とは。天女様について、ということでよろしいですか?」
「それ以外にはないのう」

のんびりと学園長は白湯の残りを煽る。
とうに耳に届いているだろうにとは思いつつ、私は自分の把握した内容を並べて見せた。
天女様に夢中なのは主に六年と四年。一部の五年生や下級生も含まれているようだが、それは極少数だ。今のところ辛うじて学業をおろそかにしていないものの、授業外の時間は誰かしら天女様に張り付いている状態であり、張り付かれている天女様共々、己の役割など眼中にない。
今はまだいい。まだ踏み止まれている。しかしこの状況が続けばさすがに学園生活が破綻する。
なくても学園が機能するなら、最初から委員会など存在しまい。上級生への下級生の信頼も失墜する一方だ。結束も何もあったものじゃない。
歯車が、狂う。

「くのいち教室はどうじゃ」
「くのいち教室での評判も芳しくありません。…が、くのいち教室は傍観の構えです。ありがたいことに」
「ほう、ありがたい、か?」

少しばかり、声が面白がっているような気がするが果たして気のせいだろうか。

「ええ、それはもう。くのいち教室と忍たまが天女を巡って敵対なんてことになったら目も当てられませんので」

そんな疲れる事態は全力で回避願いたい。考えるだけでうんざりすると言えば、「まったくじゃ」と同意された。
思わずじとりと学園長を見遣る。他の人間が知る由もない素性を知りつつ彼女の存在を放置したのは私だが、それにしても何だその他人事みたいな口ぶり。

「そもそも彼女の学園逗留を認められたのは学園長先生じゃないですか」

責任転嫁な気がしなくもないが、自然、恨みがましい口調になる。学園長は顔を顰めた。

「それを言うな……。大体ワシは行き場がないのであれば、それが定まるまでここにおればいいとそう言っただけじゃ」
「あれ、そうなんですか?仕事までお与えになられたようですし、私はてっきり職員として迎え入れるお心積もりかと」
「この学園も決して懐に余裕があるわけではない。働かざる者食うべからずじゃよ。まあ働き次第では、それも考えんこともなかったがな。……天女について調べているのなら、わかるじゃろ」
「天女自体を調べていたわけではありませんが、多少は」
「……あれで職員としたのでは、他の面々に申し訳が立たん。小松田君の方が余程役に立つ」
「比べるまでもありませんねえ」

だって彼女、働かなくても食っていますしねえ、という台詞はさすがに飲み込んで、私は頷いた。

「朔よ」

ことりと湯飲みを置いて、学園長は私に問いかける。

「天女は一体、何を考えていると見る?」
「さあ、彼女が何を思っているのかそれは図りかねますが。少なくとも……」
「少なくとも?」

何だか私が試されてるみたいだなあと苦笑しながら首を傾けた。

「少なくとも、今現在確実に言えることはひとつでしょう?」

彼女は。

「百害あって一利なし、とはまでは言いませんが、それなりに多少の歪みは生じていますよ」

「ふむ」と学園長が腕を組み思案するように頷いた。

「学園長先生。彼女をどうされるおつもりですか?」
「学園としての方針は変わらん。天女への干渉はせず、じゃ。どうせ今ワシらが何と言おうとあやつらには意味をなさんじゃろう」

下手をすれば、天女に惑う生徒たちに学園に対する不信感を植え付けてしまう。不信感は大なり小なり亀裂を生む。そうすれば、内部の結束が揺らぐ可能性は格段に高まり、更にそれが露見すれば敵対する勢力から狙いを付けられることは想像に難くない。

「そんな泥沼は勘弁願いたいものですね」
「おぬしがあやつらの手綱をしっかり握っておらぬからじゃ。まったく揃いも揃って色に惑わされおってからに」
「何ですか、それこそ責任転嫁ですよ。ていうか手綱って、あの滅茶苦茶な連中の手綱を私が握れるとでも思っておいでですか」

呆れたようにそう言えば、学園長は何故か残念なものを見るような顔をした。

「妙なところで鈍いというのも、ある種罪じゃな」
「……へ?」

聞き取れないような小声での呟きに問い返すが、学園長は首を振るだけで教えてはくれなかった。
何か余計気になるんですが。よし、また今度隙を見て聞いてみよう。忘れている可能性のが大きいけど、意外とぽろりと零すかもしれないし。
そんな計画を知る由もない学園長は、一呼吸置くようにしてゆっくりと顔を上げる。瞬間、空気がぴりと張り詰めた。

「学級委員長委員会委員長、蓮咲寺朔」
「はい」

自然、背筋を伸ばせば、学園長は満足気に頷いた。

「他の委員会がこの学園の実務を担う表であるならば、学級委員長委員会は生徒たちを統率し学園の秩序を守る裏。故にワシが顧問を務めておる。それはおぬしであれば理解していようとは思うが」
「……は」

各学級委員長たちは自分たちのクラスをまとめることが仕事であり、学級委員長委員会は彼らが集約した生徒たちの意見を昇華する場だ。火薬委員が火薬を、図書委員が知識を、保健委員が健康を守るように、私たち学級委員長は日常を守る為に在る。

「そなたがどのような考えで動いているのかは知らんが、学園はそなたの動きに関知せぬ」
「それは、好きに動いて構わないと捉えてよろしいのでしょうか?」
「言葉の通り、捉えて構わん。そして、学園は天女とそれにまつわる事にも関知せぬ。先生方には、今まで通りの静観を命じておる」

話をなぞり繰り返すように言って、学園長先生はちらりと視線を投げて寄越す。はた迷惑な思い付きを持ち出しては学園を振り回すある意味最大のトラブルメーカーではあるが、さすが元天才忍者。その表情からは何を考えているのか読み辛い。
行灯の中で灯が一度ゆらりと震えた。
じっと見つめる先で、影を帯びた学園長の口がゆっくりと動いた。

「学園は、動かん。……天女が生徒へ危害を加えぬ限りは、な」

低い呟きはまっすぐに私へと向かう。
皺の刻まれた口元が笑った気がした。



誰もしらないお墨付き

(20110416)

[ 16/86 ]

[] []
[目次]
[しおりを挟む]

×