いびつな円
唐突だが、くのいち教室において『天女様』の評判は芳しくない、らしい。 らしいというのは、私がくのいち教室の友人たちに聞いた話であるからで、友人たちの元に集約されたものを又聞きした形であるからだ。 「……そんなに悪いの?評判」 「悪いですよ」 ふふ、と柔らかな笑みを浮かべつつきっぱりと断じた雛菊に、思わず引き攣った笑みを返してしまった。 くのいち教室の双璧と称される六年生である彼女は、下級生は勿論同級生の信頼も厚い。その彼女には、天女様に対する訴えが続々と寄せられている。 主に「あの女を何とかして欲しい」というものである。 「あの方が原因で恋仲だった忍たまに別れ話を切り出された、なんてよく聞きますし、天女様と目があっただけでも彼女が睨まれたなんて訴えたら最後、一方的に謝罪を求められる始末ですよ?下手をすれば実力行使すら辞さない構え。……それで好かれる方がどうかと思いませんか?」 誰に、謝罪を求められるかまでは雛菊は明言しなかった。しかしそれは、あえてぼかしたというよりも明言せずとも明白であろうというだけのことなわけで。 「いや、まあ……。何かすみません……」 「あら嫌だわ。朔が謝ることではないでしょう?」 そう言って、雛菊はころころ笑うが、「でも」と私が言葉を重ねようとするとそれを遮るように表情を改めた。 「ええ、すべては情けない忍たまの責ですもの」 ふわふわとした雛菊独特の空気に殺気が混じる。 「身元のはっきりとはしない女を学園長先生の許可があったといえど易々と受け入れ、尚且つ己の本分も忘れて現を抜かすなど、愚かとしか言いようがありませんわ」 見下すような視線に理由があると知るために、迂闊に反論も弁明もできない。何より、私もまた忍たまなのだ。私の言葉は結局の所自己弁護にすぎない。 「仰るとおりです」 殊勝に頷くしかできない。ついでに居心地が悪いというか肩身が狭い。いやでもこれ半分くらいは私の責任じゃなくないか?少なくとも半分くらいはアイツらの責任だよね! 雛菊が直接天女様関連の被害を被った人間ではないせいか、後輩たちに感じた罪悪感もこの場では多少薄れる。私が心の中で開き直っていることを知ってか知らずか、雛菊は目を伏せ「それでも」と言葉を継いだ。 「それでも、あれで与えられた職にそれなりに取り組んでおられるのであれば、わたくしたちとてそう目くじらを立てるつもりはありませんでしたのよ?」 恋仲であった者に別れを告げられても、心変わりを嘆くだけで済んだかもしれない。 目が合って睨まれたと騒がれても、知らぬ場所で心細さで疑心暗鬼になっているのだろうと思ってやれたかもしれない。 謝罪を求められても、愚かな忍たまだと心で嗤って済ませられたかもしれない。 すべては仮定の話だけれど、そういう可能性があったかもしれないのだ。彼女自身の行い次第では。 けれど天女様は、私が調べた限り、食堂の手伝いも事務の手伝いもしている様子がない。 おばちゃんは『何度言っても朝は遅いし、昼はお喋りしているしねえ…あんまりしつこくしたら今度はほら、忍たまの子たちが庇うから…』と溜息を吐いていた。少し言いづらそうだったのは同じ忍たまの私を前にしていたからだろう。何だか申し訳ない。 『だからもうカウンターで注文だけ取ってもらってるのよ。言っても聞かないし、余計な仕事が増えるだけだしねえ…』 仕事が注文取りだけなら、そりゃふらふら外へも行けるだろうし、お喋りにも花が咲くわな。聞いているだけで疲れるのは何故だろう。 同じように仕事振りを尋ねた吉野先生には『やる気のない人間に仕事を教える程、我々も暇ではないんですよ』と言わせる始末である。 「あの方は、どういうつもりなのでしょうね?」 「どういうつもり?」 「我々は忍の術を学ぶ為にここにいるのであって、天女様に傅くためにあるのではありませんわ」 それはそうだ。そもそも天女などという存在を想定してもいない。 「だというのに、あの方にとって傅かぬ我らくのいちはまるで仇のような扱いでしょう?滅多に顔を合わせることもありませんし、だから被害らしい被害もこれだけで済んでいますけれど」 「…………」 「それに、天女と言えど、身元不確かな普通の女にしかわたくしには見えませんわ」 彼女が術を使うというのなら、それは男心を取り込む術でありそれ以外に不可思議な力を持つようには思えないと雛菊は言う。 「どこぞの姫君のように教養深くあるでもなく、かといって村娘のように精魂込めて働くでもない。……あの方のどこがそれ程良いのでしょうね?忍たまたちはわかっているのかしら、あの方を養っているのは我々でもあるということを」 義務を放棄し、決して安いとは言い難い自分たちの収めた学費で養われるだけの天女様。それがくのタマたちの神経を逆撫でしたとしても、無理はない。 「朔」 「ん?」 「こうしてわたくしにくのいち教室の意見を尋ねられているということは、何かされるおつもりですの?」 「んー…。こっちでも、色々と実害が出始めてるからなあ…。さすがにもう放置するわけにもいかないんだよ」 だから、現状把握中なんだと言えば、雛菊が楽しげに目を細める。 「わたくしの話は役に立ちまして?」 「うん。とっても」 主に、いかに彼女がくのタマたちの怒りを買い、忍たまとくのいち教室の間に軋轢を生むかという点で。 「でしょう?そして残念ながら、わたくしたちは自分たちを敵だと認識する相手を内に入れて差し上げるほど寛容ではありません」 「それはそうだろうね」 思わず苦笑すると、雛菊は「ええ」と頷いた。 「ですが、ここでわたくしたちがあの方に手出しすれば、忍たまたちは黙っていないでしょう?」 それはそうだろう。「唯歌さん唯歌さん」と暇さえあれば彼女の元に集まる彼らが黙って眺めているなど有り得ない。 「忍たまたちの目にはどうやらおかしな膜でも張っているようですし、わたくしたちが何を言ってもどうせ耳を貸しもしないでしょうし」 今までの二の舞、下手をすればそれ以上のことになってしまうと、雛菊は唇を噛んだ。あくまで忍たま側であり、その上同郷であるという理由で天女様を放置し関わってこなかった私が把握しようともしていなかっただけで、この半月の間に天女様を間に置きくのいち教室と忍たまの間では何かしらの出来事があったのだろう。普段、そんな風に感情を表に出すことのない雛菊が悔しさを露にする何かが、と予想するのは容易だった。 半月だ。 たった、半月でこの有様だ。 自嘲気味に笑った私に、すでに普段どおりの顔に戻った雛菊が言う。 「ですから、この件に関してくのいち教室は手を出しません。我々が許可を出すまでは、出来得る限り天女並びに忍たまには関わるべからずと下級生たちには通達を出しています」 つまり、天女に関する面倒ごとはすべて忍たまで片付けろとそういうことだ。 雛菊は私に甘いけれど忍たまには厳しい。それは雛菊に関わらず、顔見知りのくのたまに共通するもので、元々そうであったけれど今回の件では尚更、余程の事でもない限りくのいち教室の助力は仰げないということだ。 まあどのツラ下げて手伝って欲しいなんて言えるのだというものだけれど。 「ですよね」 「あら、でも朔が望むならわたくしたちは友人として手を貸すことくらいは致しますわよ?」 「その後が何か怖いんですが。…でもいざとなったらお願いします」 「さすがに心得ていますわね。使えるものは何でも使う。あの見栄と矜持ばかり高い愚かな連中とは大違い」 背筋が凍える微笑とはまさにこれだろう。敵でなくてよかった。本当によかった。友人に対して抱く感想としては何か大きく違う気がするけれどこの際それはいい。 「あら、朔。どうしましたの?」と可愛らしく顔を覗き込んでくる雛菊に、私は全力で首を振った。 「いやなんでもー」 「そうですか?ところで朔」 「んー?」 「もうすぐ、カサネが戻ってくるのですけれどそうしたら三人でお茶をしません?」 「へ?お茶?」 唐突に一変した空気に、間抜けな声で訊ね返すと雛菊がうふふと笑った。 シナ先生のお使いで外へ出ているらしいもう一人の友人が、じきに峠の茶店の団子と共に帰還するらしい。 「あそこのお団子は最近新作が評判ですのよ。だからカサネに頼んでおきましたの」 そっと手を握られ、「ね?」と可愛らしく微笑みかけらる。 忍たま一同曰く「裏しか無さそうな笑顔」と評されるミスくのいち教室の必殺スマイルである。 毎度の事ながら、その気もないのに新たな扉を開きそうになって困る。 「そうだなあ」 そういえば最近ゆっくりとこの友人たちとお茶などしていないし、お団子は魅力的だ。 が。 「あ、でも私学園長先生に呼ばれてるんだよ。行かなきゃ」 「あら、そうでしたの?」 せっかくの両手に花でお団子だけれど、すっかり忘れそうになっていたとはいえ学園長直々の召集を蹴るわけにはいかない。そこのところはさすがに雛菊も心得たもので、少しだけ残念そうな表情を浮かべたものの、「じゃあお団子はあとで届けますわね」と言ってくれた。 やった、ラッキー!と思ったっていいよね。天女様と級友たちの職務放棄でいらない悩みの種を抱える破目になってるんだからこれくらいいいよね! それが顔に出ていたのだろう。雛菊の「楽しみにしていてくださいね」という言葉に頷いた。 「…ではまた」 にこりと花の如き微笑を浮かべた友人は、音もなくその姿を消した。ひとり取り残された私はしばらくそのまま友人のいた場所を眺めていたが、やれやれと立ち上がり、そうして学園長先生の庵へと足を向ける。 軋む廊下を踏みながらちらりと目をやれば、空には丸い月が浮かんでいた。 「満月、かあ……」 欠けるところなど何もない、まあるいお月様。 「眩しいなあ……」 明るいといっても月だ。太陽のように眩いわけではないはずなのに、そのすべらかな円が何故か痛くて、私は目を眇めた。 そういえば、天女様が来る前は満月の夜にはよく皆で酒盛りをしたなあ。私はあまり強くはないから、舐める程度でもっぱら眺めていることが多かったけれど、泥酔する奴らを見て仙蔵と二人けらけら笑っていたっけ。小平太は酔うと決まって文次郎や留三郎に飛び掛って、そこからじゃれあうように技を掛け合うことが常で。巻き込まれる伊作とそれを引っ張り出す長次と。七人で一緒に。 ひとり月を見上げて思った。 「あの時、間違ったかなあ……」 答えは誰も教えてくれない。 いびつな円 (そうしてあの日を思い出す) (20110412) [目次] [しおりを挟む] ×
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