現状把握、七割完了
壊滅。 その二文字が頭に浮かんで消えやしない。 「はははははは……」 最早乾いた笑いしか浮かばずに、私は屋根の上に腰を下ろし項垂れた。 図書、用具、会計、作法、保健、体育。 六年が委員長を務める六つの委員会を順繰りに回り、たどり着いたのが屋根の上である。 何だか忍たまらしいなあ、と思った私はできることならこのまま現実の向こうまで逃避したかった。 揃いも揃って、暇ができれば天女様の元へはせ参じているらしい。 委員長の居場所を聞けば「さあ、食堂じゃないんでしょうか」と返されたあの下級生の投げ遣りな態度と言ったらなかった。 五年がいる委員会はそれでも彼らが回してくれるからいい。問題は六年の下が四年以下となる委員会だ。 ――あれは崇拝ですよ。 そう言った三郎を窘めたのは私だが、確かにあれはそうとしか表現できない。 覗いた体育委員会を思い出し、知らず知らず顔が苦る。 ぼんやりと、心ここにあらずと言った滝夜叉丸を思い出す。 『六年生が常に天女様の周りにいるから、こうして委員会に来られてはいますけど……』 ずうっとこんな調子ですよ、と私を見上げた三之助の目を思い出す。 『ずうっと?』 『ずうっとです。委員会に来れば』 『来ないこともあるのかい?』 『そりゃありますよ。天女様の所に行って』 『……ああ。そうだったね』 『他の四年生も大概ああらしいッスよ』 『うん、聞いた……』 先輩、と三之助が私の衣を引いた。 『このままずっと、こんなんなんでしょうか』 『ずっと?まさか、そんなはずないじゃないか』 笑ってそう言ってやれば、三之助は『そうですよね』と勢い良く頷いた。 『七松先輩だってすぐに帰ってきてくれますよね?』 『ああ』 目を細め、三之助の頭を撫でてやる。何だか今日は後輩の頭を撫でてばかりだなあ。それでもそれだけで笑ってくれるなら、安いものだけれど。 その内、こんなことくらいでは三之助は笑ってくれなくなるかもしれない。六年生に、上級生に本当に諦めを抱くかもしれない。 見放される。 背筋がひやりとする感覚に捕らわれそうになる頭を、私は慌てて横に振った。 その視界の端に白いものが映った。 ひらり、と目の前を踊った白い紙切れを反射的に掴んだ。 下を見れば、紙を探しているのだろう右往左往する小松田さんがいて、あまりにいつも通りなその光景に、それまでの気持ちを一瞬忘れて思わず和んでしまった。 「小松田さん」 屋根から降りて声を掛けると、小松田さんは驚いたような顔をして振り返る。 「え、あ、蓮咲寺くん?」 「ええ。これ、落とされてましたよ」 差し出したものが何か気付くと、小松田さんは嬉しそうに顔を綻ばせて受け取った。 「わあ、拾ってくれたの?ありがとう」 「いいえ。それより、ところでそのカゴどうされたんですか?」 言って私は小松田さんが背負ったままの大きなカゴを指差した。まだ泥のついたままの人参や白菜がぎゅうぎゅう詰まっている。 「これ?食堂に届ける野菜だよ」 「食堂に?」 うん、と年の割に幼い仕草で小松田さんが頷いた。 何で小松田さんが野菜を、と思う反面まあ小松田さんだしな、と何だか納得しそうな自分がいる。まあ小松田さんだしな、ですべてが片付いてしまうのもある種才能だよなとか私がつらつら思っていると、ややあって「でも」と首を傾げた。 「あの子、どうしちゃったのかなあ……」 「あの子?」 釣られるように首を捻ると「あの食堂のお手伝いさん」と返される。 「……ああ。天女様、ですか。彼女が何か?」 「食堂のおばちゃんがね、野菜が届いたらあの子に取りに行ってもらうからって言ってたんだけど来なくってね」 ほらもうすぐ夕飯も近いでしょう、だから僕が持って行こうかなって思って。 そう言って、小松田さんはへらりと笑った。 私も彼に笑い返し、そうしてふと気付いたように訊ねてみた。 「小松田さん、つかぬことを伺いますが」 「何?」 「出門表は今ありますか?」 「出門表?うん、あるよ。さっき吉野先生から引き継いだんだ」 「見てもよろしいですか?」 構わないとあっさり渡された出門表を辿る。学園の外に出るならば誰もがサインを求められるそれに、私の予想通りの名が連なっていた。 中在家長次。食満留三郎。潮江文次郎。立花仙蔵。善法寺伊作。七松小平太。 ――有村唯歌。 筆に慣れていないことが明白な、たどたどしい筆跡と見慣れぬ名。 「どうやら外出されているようですね」 「え、本当だね」 小松田さんはこまったように頭を掻いた。彼が小さく「またかぁ」と呟いたのを私の耳はしっかりと拾う。また、ということは彼女はしばしば外へ出ているということだ。六年生を引き連れて。 小松田さんが先ほど口にしたようにもうすぐ夕餉だ。この時間、食堂は準備に追われているはずで、食堂のお手伝いという肩書きを持つ彼女が学園内にいないという時点でおかしいのだ。おばちゃんが許可しているのならともかく、おばちゃんは天女様に野菜を取りに行ってもらうと言っていたのなら、外出の許可などとってもいないだろう。 「あいつら、授業以外張り付いてるって言ってたしな……」 お手伝いさんといえど、授業外の時間張り付く六年の相手など毎度していられるほど暇ではないはずなのに。 突き詰めて考えずとも、その先にある現実が明らかな気がしてげんなりする。この目で確かめたわけではないが、この予測は的中するだろう。 すべての原因といっても過言ではない『天女様』は、多かれ少なかれ自らの仕事を放棄している。 そして六年生は委員会という職務を放り出している。五年生はそれを肩代わりし、四年生は恋わずらいで使い物にならず、三年生以下は戸惑い困惑している。 ――この先ずっと、このままなのか。 それは下級生たちの不安で。 ――帰ってきてくれますよね? それは下級生たちの願いで。 把握すべき現状なんて、これで十分じゃないか。 「蓮咲寺くん?どうかした?」 「いいえ?そうだ、小松田さん。食堂までご一緒しませんか」 「もちろんいいよ。蓮咲寺くんも用があるの?あ、お腹空いちゃった?」 「そうですね、お腹も空きましたねえ。今日一日で随分頭の痛い思いをしましたし」 「?具合が悪いんなら、保健室に行った方がよくない?」 「大丈夫ですよ。それより、おばちゃんに聞きたいことがあるので」 「そうなの?じゃあ行こうか」 ひとは彼をマニュアル小僧と呼ぶが、必要ないと判断すれば深く追求してこない小松田さんを好ましく思いつつ、私たちは連れ立って歩き出した。 食堂にて、私の予感を的中させるために。 そうして予感を確信へ (20110409) [目次] [しおりを挟む] ×
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