スルーしてたよプロローグ

それは一人百面相をするには勿体無い日和だったが、彼の仕事に天気は関係ない。たとえ雨が降っても某大王でもないのだからお休みにするわけにもいかないのだから、晴れの日もまた然り。
そういうわけで、彼は今日も今日とて仕事に打ち込んでいた。
わけなのだが。
一年は組と大差ない点数が並ぶ答案を正面からひょいと覗き込み、彼女はしみじみと呟いた。

「教師って大変ですねぇ」
「ん?ああ、まぁそうだがそれだけやりがいもある仕事だね」

朱筆を入れていた魔界野小路は顔を上げずに苦笑する。実際、時たま生徒がいい点をとってくれると大変嬉しい。六十を越えるともっと嬉しい。
彼女は「そんなもんですか」と首を傾げ、それから今度は魔界野の袴を指差した。

「その袴、また通販失敗したんですか」
「……これはこういうものが欲しかっただけだ」
「随分前衛的なお買い物ですね」

白地に七色水玉の袴って…汚れ目立ちませんか。
彼女はどこか論点のずれたことをいたって真顔で問いかける。

「いやいやいや。この小さめ水玉が決め手なんじゃないか。小さめカラフルであるからこそ、ちょっとした汚れも紛れて目立たない!!」

答える方も答える方だったが。
そこで魔界野はふと顔を上げた。黒髪の綺麗な少女が向かい側から彼の手元を覗き込んでいる。
魔界野の視線に気付いたのか、彼女は顔を上げて首を傾げた。
いや、その反応はこっちがすべきものだろう。というか。

「……ところで君、誰」
「忍術学園くのいち教室六年、みょうじなまえでっす」

魔界野へ敬礼をして見せて、その少女はきれいににこりと笑った。

「魔界野先生へドクタケ城の見取り図をお返しに参上しました」
「これはどうもご丁寧に……………って………………はぁ?」
「嫌だ先生もうお年ですか?」

失礼な事をさらっと言いながら彼女は懐を探りそれを魔界野の目の前に突き出した。
果たしてそれは紛れも無く彼が校長から預かったドクタケ城見取り図であった。

「な、ど、こ、き!?」
「『何でどうしてこれが君の手に!?』ってことですか?」

意味不明の音の羅列から正確にその意図を汲み取ってなまえが反復する。
こくこくと首振り人形のように頷く魔界野に、彼女はあっさりと事情を説明した。

「この間、六年生の実習でドクタケ城の見取り図を持ち帰るって課題が出たんです」

まぁそれだけの話なんですけどね。

「いやいやいやいや!?それだけって君ね」
「魔界野先生はその日慰安旅行でご不在だったらしいんですけど、こっちも実習をずらすわけにも行かなくてそのまま一応挙行したみたいです」
「…………あの日か」

温泉旅行の記憶は新しい。

「で、無事に見取り図を入手したわけなんですが、別にそれ以上用もないんでお返ししてくるようにと学園長先生から言い付かってまいりました」

あ、これお土産です、と差し出されたのは南蛮菓子のカステイラで魔界野は思わずそれを見つめた。

「……」
「魔界野先生?」
「……ま、いいか」

見取り図は戻ってきたしカステイラだし。
結論は早かった。ばれなきゃいいんだばれなきゃ。
いやばれても別にどうと言うことはないのだけれど。多分。

「ではしかと受け取りましたと学園長先生にお伝え下さい」
「承ります」

なまえはカステイラを包んでいた風呂敷を畳みながら頷き、思い出したように魔界野に向き直った。

「先生はカステイラお好きですか?」
「ん?ああ、好きだけど?」
「それじゃあ甘いものもお好きなんですか?」
「そうだね。まぁ基本的に」
「よろしければまた甘いものをお持ちしてもいいですか?今度はちゃんと普通に遊びに来たいんですけど」
「?勿論、歓迎するよ」
「ありがとうございます。じゃあ、年下はお好きですか?」
「嫌いではないかな。年下にもまた年上にはない魅力が……。って…………は?」

何か今お菓子と同列扱いで可笑しな質問が混じっていたような気がするんだけど気のせいだよね?

「お菓子と可笑しいって先生もうまいこと仰いますね」

どこもさっぱりうまくない台詞に妙に感心して、それからなまえはにこりと笑った。

「でも年下が嫌いじゃなくてよかったです」
「それは何よりで……」

何が何よりなのかさっぱりわからない。

「では、私はこれで失礼しますね」

一人軽く混乱する魔界野を放置して、なまえは音を立てずに立ち上がる。

「あ、そうだ」

出口でくるりと振り返ったなまえは、魔界野を見つめにこりと笑った。

「私今年で卒業なんです。それで先生のところで永久就職狙ってるのでよろしくお願いしますね」
「……………え、ちょっと、今私これ起きてる?寝てる?あ痛。夢じゃない」
「やだなぁ先生ったら!おちゃめなんだから!!」

いや待てそういう問題ではない。だがこの場にいるのは残念ながら混乱の渦に飲まれた魔界野と、渦に突き落とした張本人のみ。突っ込むものは見事に不在。

「あ、ほんとにそろそろ帰らないと。小松田さんに怒られる。それじゃあ、お邪魔しました」
「は、いやこちらこそたいしたお構いもしませんで…」

「いいえー」と間延びした声が返るのを、まだまだ絶賛混乱中の魔界野は頭の片隅で聞いた。

「…………ってちょっと待って?えいきゅうしゅうしょく。永久就職?永久就職!!?!?!」

え、何どういう意味?ちょっとー!!?!みょうじくん!?!?!?!?!
響いた絶叫は幸か不幸か誰に聞きとがめられる事も無い。
生徒を遊びに行かせて良かった。本当に良かった。
教師の威厳を保てた事に安堵する魔界野の正面には、間違いなく運命という名の奇怪な道が開けたはずだがそれに気付く者はまだない。


スルーしてたよプロローグ
(え、僕らってもう出逢ってましたっけ?)

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