君が輝く為にこそ、

お前と離れるのが少し寂しいけれど、と呟いた小さな声は別にどうだってよかったのだけれど。


次に桜が咲く頃に、嫁いでゆくのだと彼女は笑った。
相手は隣国の領主だと、伏せた睫が影を落とす様を見つめながら話を聞いた。
国力は我が国とそう変わらない。攻め落とすには少しばかりやっかいな相手だ。
頭の引き出しに突っ込んだままの記憶を引っ張り出し、『隣国の領主』の顔を思い出そうとして失敗した。よく言えば特徴的な殿の顔と比べて特に可もなく不可もなくといったものだと記憶してはいるが。

「兄上よりも年上であられるようだけれど、優しい方だということだよ」

私はまだ一度もお会いしてはいないけれどね、と彼女が言う。
ありがちな話だった。国と国との結びつきを求めた政略結婚。同情や憐憫にも値しない程度には珍しくもない話。
彼女の年を考えれば、今までそういった類の話が持ち上がらなかったことの方がむしろ不思議なものだ。
語られるままに耳を傾けていれば、彼女は父のこと母のこと、伝え聞いたのだろう夫となる者の人となりなど滔々と話を続け、最後に困ったようにこう言った。

「私はよい妻になれるだろうか」

答など端から期待してもいないその問いには、やはり何も返さなかった。
返す必要はなかった。
影が主に直接声をかけるなど、無意味以外の何物でもないのだから。
私はただ沈黙を守るのみ。
それでもひとしきり話して満足したのか、彼女はこちらを振り返る。

幼い頃からどうにも勘の良い娘だった。気配を絶てどもどういったわけか彼女にはこちらの居場所がおおよそ見当つくらしい。
大きな黒の瞳を向けられ、じっと見つめられることは姿を隠している身としては居心地の悪いものである。かつては己の力量不足を嘆いてみた事もある。

今日は隠れているわけではなくごく普通に傍に控えているだけだったが、それでも立場上正面から顔を覗き込まれるようにして見つめられると何とも尻の座りが悪い。
そんな私を気に止めるでもなく、彼女は再び口を開いた。

「嫁ぐのは姫と生まれた我が定め。家名を背負い妻となることは我が誇り。そのために故郷たるこの地を離れるのは仕方ない」

けれどね。
そこで彼女は一段声を落とした。

「……お前と離れるのは少し寂しい」

その呟きが、部屋に響いて溶けて消えた。
その声は言葉は別にどうだってよかったのだけれど。
ただそのひとが何故かそれはきれいに哀しげに笑うから。

「なまえ姫」

だから初めて自ら応えを返した。
傍らに控えていた侍女が軽く目を瞠っている。彼女の乳姉妹であるはずのその侍女は、おそらく嫁ぎ先まで付き従うのだろう。
ああ、そんな警戒するような視線を向けずとも構わないだろうに。
私はひっそりと苦笑する。主の娘――それも親子ほどに年の離れた相手だ。色艶めいた感情を抱くような相手ではない。

「直に雪も溶けましょう」

そうして季節は廻り春が来る。

「今年の冬は、随分と暖かいから」

雪解けは早く、芽吹きの季節が訪れる。
貴女の居ない春が。
桜が咲いたら。

「貴女はきっと、誰よりもお幸せにおなりでしょう」

彼女は驚いたように目を瞠り、そして泣きそうな顔で笑ったまま小さく頷いた。
青空の下に、貴女の白無垢姿はさぞ映えるだろう。
その姿を思い浮かべて、少し笑った。

幸せであってと願うことと幸せにしたいと望むことは、多分きっと、別物だけど。
この先、貴女がそれに気付かなければいい。
貴女はただ笑って幸せになればいい。
何か言いさし、紅い唇が動く。けれどそこから声がこぼれることはなく、彼女は薄く白化粧をした庭へと目をやった。

陽だまりの中で遠くを見つめる主は闇に慣れた自分にはただ眩しくて、思わず目を細めた。
随分昔に置いてきたものが記憶を掠める。
気付けば薄暗い道を歩いてきたのだと、その光が突きつけるように思い出させる。
ふと我に返り、伸ばしていた手をぎゅっと握りしめる。ささくれ立った指先が空を切った。一体自分は何をしようとしたというのか。

届かぬ人。届きたいとも思わぬ人。
だというのに、だ。
自嘲の笑みを浮かべながら、私はただ、幼さの残る姫御前の横顔を見つめていた。

(ああ、そうか)

これほどまでに彼女の幸せを願うのはきっと――――。


陽の下で笑う貴女にかつての自分を見たのです。
陽の下が似合う貴女に箱庭の彼らを見たのです。



(20111218)

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