愛すべき君へ

※流血・死ネタを連想させる表現注意




みょうじなまえ。

少し垂れ気味の目を細め、控えめに笑うくのタマだった。
にこにこ笑いながら私の制服の裾をちょんと引き、「ねえ仙蔵」と呼ぶことが出逢った頃からの常だった。

今も覚えている。
なまえに、文が届いたのは四年の終わり、桜の木が蕾を付け始めた頃だった。

「お嫁に行くんだって」

まるで他人事のように、なまえは話した。
いつものように目を細めて笑うなまえの口から、明日の天気の話でもするように、少しだけ語られた仔細はこうだった。
元々嫁ぐはずだった彼女の姉が、彼岸の住人となったのだという。何度か見舞いの為に実家に帰るなまえを見ていたし、冬の始めに罹った風邪をこじらせたという話は知っていた。

けれどそれがこんな話に繋がるなどと、あの頃なまえを見送っていた私には想像もしていなかった。
学園を去る日も、なまえは相変わらず控えめに笑って見送りに出た私の制服を引いた。

「ねえ、仙蔵」
「……何だ?」
「あのね、笑ってみせて?」
「……笑う?」
「そう。私ね、仙蔵は笑っているのがいいと思う」

笑っているのが、いっとう好きだよ。

「……まるで愛の告白だな」

誤魔化すようにそう言って、浮かべたつもりの苦笑。これだって、立派に笑顔だろう?といつもの私ならばきっとそんな皮肉も一つ二つ言えただろう。
けれどなまえの少し困ったような顔を見ればわかる。わかってしまう。
今自分がどれだけ情けなく、無様な顔をしているのか。上手く笑えた確信は端からなかったけれど、なまえの顔を見ていると自分が笑顔に分類できる表情を保てているのかそれすら自信がなくなってきた。

「仙蔵。ねえ、仙蔵」

笑って。笑って。
白い手が、そっと私のそれに触れる。かと思えば、ぎゅうと音がしそうなほど強く、強く、なまえは私の手を握り締めた。

「笑っててね?」
「努力は、している」
「うん」

こくりと頷き顔を上げたなまえが「ありがとう」と笑う。私の笑顔なぞ見るよりも、鏡で自分のそれでも見ていた方がいいのではないかとらしくもないことを口走りそうになって、慌てて呑み込んだ。こんな台詞が似合うのは、精々伊作くらいだ。

「あのね、仙蔵。笑ってるとね、元気になるの」
「……」
「私ね、悲しい時でも辛い時でも、無理にでも笑えばその内に笑えるようになるの。でもね、どうしても苦しくってできない時はね、仙蔵の顔を思い出すよ」
「私の?」
「仙蔵の笑った顔を思い出して頑張る」

だから、となまえは言う。
とびきりの笑顔で見送ってやれただろうかと、今も時折私はあの時を思い出す。
けれど浮かぶのは、決まって控えめな彼女の笑顔だった。決して美人ではない地味な少女の笑顔だった。
それが、私と『くのタマ・みょうじなまえ』の最後だった。



燃え落ちる木材の匂いに、鉄臭い匂いが混じる。悲鳴も怒号も遠い。
思わず舌打ちしたい衝動に駆られるのは、この状況に対してだろうか。
実習課題自体はややこしいものではなかった。とある豪族の屋敷に忍び込み、密書を入手する。ただそれだけと言ってしまえる課題だった。

変事が起きたのは偶然に他ならない。策を練り、侵入する時を窺うこと三日目、その屋敷は我々ではなく第三者――その土地を狙う勢力の手によりあっさりと消し去られた。元々こう着状態の続く中での隙をつく実習だったのだ。予期できた展開といえばそれまでのこと。逃げ惑う女子どもと入り乱れる男たち。それでも課題は果たさなければならない。

喧騒の最中、それに紛れるように侵入した屋敷で、私はぽつんと取り残されたその人影を見つけた。密書は、屋敷の奥、離れ――屋敷の主の妾の住まうそこに隠されている。妾とは言え、権力者の妻であるなら、当に逃げ出しているだろう。置き去りにされた側仕えだろうかと思ったがどうもそうではないらしい。女が身につけていた衣は、遠目にもわかる程側仕えが与えられるには上等すぎた。

女は柱に背を預け、ぼんやりと宙を見つめていた。
忍であるならば、時には感情を捨て去らねばならない。気の毒に、と思う心に惑うまいと思いつつもちらりと女の顔を見て、私は足を止めた。

「……なまえ?」

まさか、と思う。反面、間違いないとも思う。
私がなまえを見間違うはずがない。四年間、最も親しかったくのタマ。別れて二年、終ぞ忘れる事のできなかった少女。

「せん、ぞう…?」

掠れた声は、記憶にあるものよりわずかに高い。けれど驚き軽く見開かれた瞳や顔には、あの頃の少女の面影が確かにあった。
どうして、と動いた唇が声になるよりも先に、ゆっくりとその細い身体が床へ沈んでいく。

「なまえ!」

反射的に駆け寄り、崩れ落ちた身体を抱え起こす。拍子に、ぬるついた何かが手に触れた。それの正体など容易く想像がついてしまい、そんな自分がひどく忌々しかった。

血の、匂い。誰のものであるのかなど、語るに及ばない。
青白い顔は、記憶にあるものよりいくらか肉が落ちていた。

「なまえ」

呼べば、のろのろと目を開けた彼女が私を見つめた。

「仙蔵…。久しぶり、だねえ…どうしたの?…実習…?」
「馬鹿か?今そんなことを言っている場合ではないだろう…?」
「ふふ…そう、だね…」

切れ切れの呼吸だった。おそらく息をするだけでも辛いのだろう、それでも彼女は話すことを止めなかった。

「こんなところ、で、会うなんて、思わなかった…」
「私だって、思わなかったさ」

喋るなと言う方が正しかったのだろう。けれど私は結局彼女にそう言ってやることができなかった。

「さいごに、みるなら、せんぞうのかおがいいなあって、思ってたから、かなあ…」

弱弱しい声が、そっと鼓膜を揺らす。
私らしくもない。この立花仙蔵が言葉に詰まるなどと、きっと級友たちですら想像しないだろう。
固まりを呑み込んだように咽喉を塞ぐものがある。胸の奥の更に奥がさざめき、締め付けられる。

「ねえ、仙蔵…」

震える指先が、私の忍装束を掴みそっと引いた。
少し垂れ気味の目を細めるようにして、なまえは笑った。

「あのね、仙蔵…久しぶり、ついでに、お願いしてもいい?」
「何だ」
「笑って、ほしい…」
「……ッ」

あの日、別れたあの日と同じように、色の失せた顔で少し困ったようになまえが言う。

「お前は…ッ、本当に馬鹿なのか!?こんな時に笑えなどと、いくら私でも難題もいいところだぞ!」
「知って、るわ…」

次第に熱が失われていく体に己のそれを分け与えるように、なまえの頬に手を伸ばした。なまえは私の手に、自分のそれを緩慢な動きで重ねた。ひどく冷たい手だった。

「ごめんね、仙蔵」

頬を伝う水滴が、私の手を濡らしていく。

「ごめんね、でも私ね」

少しでも力を込めれば折れそうな手を、それでも私はぎゅっと握り締めた。あの日、なまえがそうしたように。

「仙蔵のわらったかおが、一等好き、よ?」


『笑ってるのが、いっとう好きだよ』


あの日と、同じように。

「……私の笑顔は、高いぞ」
「困ったなあ…私、今、何にももってない、よ」

小さく、それでもどこか楽しそうに、なまえは笑う。こんな時、こんな状況でもなまえは笑う。

『どうしても苦しくってできない時はね、仙蔵の顔を思い出すよ』

ああ、そうだななまえ。私も結局はそうだったんだ。
たとえそれがどんな窮地であっても、私は笑った。笑えた。
なまえ、お前を思い出して。お前が一等好きだと言ってくれたから。

「なまえ」
「なあに?」
「笑ってくれ」

緩慢な動きだが、なまえはぱちりと目を瞬かせた。

「わらう、の?」
「……ああ」

それが、代価だ。
なまえが笑う。とても嬉しそうに。
青白い顔色の中、紅く色付いた唇が、ひどく印象的だった。
花が咲いたようなその笑顔を、私はこの先忘れない。


愛すべき君へ
(笑って、笑って。捧げられるだけ全部あげるから)


企画戦下に散る様提出作品

(20110726)

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