おとこのひとは怖い。
そう思うようになったのは、いつからだろう。

物心つくころには、私はすでに女の人に囲まれていた。
綺麗で聡明で、誇り高いひとたち。それに比べて、私が知る『男の人』とは大概が粗野で横柄で何より戦が好きなようで、まるで対極。
もちろん、そんなひとたちばかりではないと理解している。だけどそれはあくまで頭の中で。感情は別の所にあるみたいで、気付けば私は、立派な男性恐怖症だった。
まず目が見れない。まともに口が聞けない。一定以上側に寄れない。寄れば寄ったで冷や汗が出る。わけもなく震える。動悸息切れ眩暈に襲われる。

愛用の犬面を眺めながら、ついつい溜息を零した。
くノ一のタマゴとしてこれではいけないとわかっているけれど、どうしようもない。そんな私を見かねてか、山本シナ先生は特別恐怖症克服計画を立ててくださったけど。

「……あんまり効果ない気がする……」

溜息を量産しつつ、私は面をつけた。これから忍たま側の敷地へ行かなければいけないのだ。委員会活動で招集が掛かっている。
行きたくない。でも行かないと竹谷先輩くノ一教室にまで呼びにきそうだもんなあ…。いつも陽気な我らが委員長代理の顔を思い出して、私の気分は逆に重くなった。

私が生物委員会に所属していることはまさに、その克服計画の一環だった。当初は色々あったにしても、確かに面をつけていれば今では先輩たち委員会の面々とはごく普通に話せるし、側に寄っても倒れたりしない。だけどそこに至るには、繰り返すけれど『色々』乗り越えた結果なのだ。

主に被害者は竹谷先輩だったっけ…。遠い目で過去を振り返っていると、いつの間にやら飼育小屋のすぐ側までやって来ていた。あれ、こう言うと何か病気みたい。
まあいいや。今日の集合場所は狼小屋だっけ。

「……狼小屋」

その単語が、私に十日ほど前の悪夢を思い出させた。
小屋の修理を依頼しておきながら、まさかの急接近で臨界点を突破した私は、修理してくれている先輩を振り切って逃走を果たしたのである。

「うう…できたら忘れていたかった」

よりにもよって先輩放置で逃げ出すなんて。しかも狼も一緒に置いて。

「それも相手が食満先輩だもんなあ…」

まずいどころではない。学園随一の武闘派食満留三郎先輩である。後日実習から帰った竹谷先輩に引きずられて謝りに言ったけど、正直食満先輩が何を言っていたのかなんて欠片も覚えていない。
とりあえず唯一覚えていることといえば何だかものすごく見られていた気がするというこれに尽きる。そのお陰で酸欠寸前になって竹谷先輩に担がれてくノ一教室に帰ったんだけど。あの日を思い出すと今でも胃が痛い。今度会ったらしばかれることくらい覚悟しておいた方がいいのかな…。

救いがあるとするなら、私が普段接する忍たまなんて委員会の面々くらいで、食満先輩との接点は皆無に近いということに尽きる気がする。
うんそうだ。会わないんだし、考えるのは止めよう。そうしよう。胃を押さえつつ自分に言い聞かせ、狼小屋に近付いた私は、小屋のすぐ脇に立っていた人影に気付いてしまったことで瞬時にきりきりと痛み出した胃に苦悶する破目になる。

……何か、いた。

「よう、雪下」
「け、けけけ食満先輩!?」

うお、声がひっくり返った。いやいやいやいや、問題はそこじゃないよね私!何で食満先輩がいるの!?竹谷先輩は!?
辛うじて悲鳴を飲み込んだだけ、でかした自分と褒めてもバチは当たらないと思う。それとなく距離を取りながら、慌ててきょろきょろ見回すけれど、青紫の制服もあのぼさぼさ頭もちらりとも見当たらない。
後輩たちも居合わせないこの状況には見覚えがある。何このあの日の再現。というか何だ。何か見られてるものすごく見られてる。え、もしかして睨まれてる?

「け、食満先輩?本日はどうしてこちらに?」

思い切って訊ねてみたけれど、正直なことに声が震えている。

「…ああ、小屋の具合はどんなもんか見に来たんだが」
「は、はあ…」

そうですか、それは仕事熱心なことだ。少し感心しつつ気の抜けた相槌を打つ。が。

「…………」
「…………」

話が続かない。気まずい沈黙が落ちる。逃げたい。本気で逃げたい。でもそんなことをすればあの日の二の舞だ。
私は念じた。

たすけて竹谷先輩!もうすでにいっぱいいっぱいです!

早く来て今すぐ来てむしろ飛んできて。
軽く混乱しつつ、顔を隠す面の下で汗をだらだらかきながら硬直している私を余所に、食満先輩はこちらをジッと見ていたかと思うとおもむろに口を開いた。

「雪下」
「は、はい!」
「あー…この間は悪かったな」
「へ?」

一体何の話なのかさっぱり飲み込めず首を傾げると、先輩は少し気まずそうに頬を掻き、先を続けた。

「お前が男性恐怖症だとか知らないもんだからうかつに近付いちまったからな…大丈夫だったか?」
「あ…はい…それはまあ」
「そうか。ならよかった」

それが気になっていたのだと食満先輩は目元を緩めた。
あれ、この人って……。何だろうそうしていると。

「先輩って」
「ん?何だ?」
「いえ、先輩って」

私が口を開こうとしたその時、丁度かぶさるようにしてなじみの声が私を呼んだ。

「おーい、花緒!」
「あ、竹谷先輩!」
「悪い、遅れたか?…あれ、食満先輩。どうされたんですか?」
「いえ、遅れてはないかと。食満先輩は小屋の様子を見に来てくださったんですよ」

食満先輩に変わって理由を話せば、先輩は納得したように頷いて、それからハッとしたように私たちとを見比べる。

「竹谷先輩?」

どうしたんですか?

「花緒、お前大丈夫なのか…?」
「あ…はあ…まあ一応離れていますし、面もつけていますし、何とか大丈夫みたいです」

眩暈息切れに襲われる様子も今の所ない。胃が痛かった事は秘密にしておこう。
何やかんや、私を心配してくれているこの先輩に、ちょっとした成長を見せたい。そんな思いもあって少し胸を張って自慢げに言えば、先輩は何だか微妙な顔をした。
あれ?先輩?

「食満先輩…まさか…」
「ん?どうした?竹谷」
「まさか花緒まで用具委員会に勧誘したんじゃないですよね!?」
「「は?」」

私と食満先輩の声が重なった。

「勧誘?」

何それ。意味がわからない私を余所に、竹谷先輩ががうと食満先輩に噛み付く。

「そりゃ花緒が普通に話せる男が増えるのはいいですけどッ!こいつはウチの委員ですから!」
「おい竹谷…お前何か勘違いしてるだろう…俺はだな」

食満先輩が何か言おうとしていたけれど、竹谷先輩の耳には入っていないようだった。

「そもそも先輩の守備範囲は一年生だけじゃなかったんですか」
「へ?」
「あ!?」

守備範囲…って何?え、まさか…。

「食満先輩って…そういう趣味の方だったんですか…?」

面の下で自分の顔が引きつるのを実感しながら恐る恐る訊ねる。そりゃ世の中にはそういう嗜好の人がいるとは知っていたけれど。

「ま、まさかこんな近くに…!?」
「誤解だ雪下。つか竹谷!人聞き悪いことを叫ぶな!そりゃ確かに、下級生は可愛いと思うがな」
「…………先輩。墓穴掘ってるって自覚あります?」

俺が言い出しておいてなんですが、とか竹谷先輩が言っていた気がする。気がするけれど、私の記憶はあやふやだった。

「断じて違うからな!雪下!」

がしりと食満先輩に肩をつかまれたところは覚えている。でも所詮、そこまでだった。

「ッ!」

声にならない絶叫。食満先輩が苦悶の表情を浮かべ蹲るという貴重な光景を見たと後に竹谷先輩は語る。
先輩の鳩尾に正拳突きを決めて、私はまたしても脱兎の如く逃げ出したのだった。


(20120201)


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