五年ろ組、竹谷八左ヱ門は委員長不在の生物委員会で、委員長代理を務めている。その関連もあって割と口をきく機会も多いが、そんな後輩が頼みがあるといって六年長屋へやってきたのは、十日ほどの実習に出かける二日前だった。
曰く、破損した狼の飼育小屋の修理を用具委員会に依頼したいと。二つ返事で引き受けた俺に、自分は実習で不在だが代わりに後輩が立ち会うと、ホッとしたように笑いながら確かそう言っていた。
てっきり後輩とは伊賀崎か一年生たちだと思っていたのだが。

「…………」

待ち合わせの場所には、犬がいた。
訂正、犬の面を被ったくのタマがいた。
思わず肩に乗せた工具箱を担ぎなおすと、重たい音がして、同時にそのくのタマは大袈裟なほどびくりと肩を揺らす。ぎぎぎ、と錆びついた音でもしそうな様子で首をめぐらせたかと思えば、犬の面がこちらを向いた。ぎこちない動きで俺へと向き直ったくのタマは直立不動の姿勢のまま、しばらく俺を凝視していた――と思う。何せ面を被っているのでよくわからん。

「け、けけけ食満先輩ですかッ!」
「そうだが…」

激しく震える声で訊ねられる。頷きつつ、一体どうしたと首を傾げるが、相手はまたしても動きを止めてしまった。
大丈夫なのだろうかこのくのタマは。
ここにいるということは、生物委員なのだろう。……多分。何だかわからないがくのタマは固まったまま動き出す様子がない。しかしいつまでもこうしているわけにもいかない。修理箇所を確認して作業を始めようと、俺は一歩動いた。くのタマは文字通り、跳ね上がるようにして後退した。

「…………」

え、ナニコレ。いやマジで何だ。

「ほ、ほほほ本日はお日柄もよろしく先輩にはご足労いただきまことに申し訳ありません!よ、よろしくお願いしまひゅッ」
「あ、ああ…」

あ、噛んだ。というか何だお日柄って。見合いでもあるまいし。くのタマはあわあわと何故か周囲を見回し、それから「食満先輩!」と何だか悲鳴のような声で俺を呼んだ。

「お、おう」
「早速ですが小屋の修理をお願いします竹谷先輩からお話されていると思いますけどッ」

一息にかつ早口に言い切り、くるりと俺に背を向けたかと思えば、くのタマは勢いよく小屋の扉を開けた。拍子に、がたりといやな音がして扉が外れた。

「……あ」
「……壊れたのは側面じゃなかったか?」
「……ここもですね」

ああ、たった今壊れたな……。
さすがにくのタマ相手、それもいかにも恐る恐ると言った体で振り返った奴に怒るつもりもない。溜息ひとつ吐き俺は小屋へと近付いた。

「ど、どうでしょうか」
「ああ、これならすぐに直してやれる」

工具を取り出しながら答えると、くのタマは安堵混じりの息を吐きながら「よかったです」と小声で呟いた。その周囲には小屋の住人である狼たちが数頭寄り添っている。何だか狼に追い詰められているように見えるのは気のせいだろうか…。
まあ生物委員だしな…。扱いには慣れてるだろう。狼のことは任せるとして、俺は修理に集中すべく作業を始めた。

……のだが。
何だこの沈黙。いや沈黙はいい。別に無駄話したいわけじゃねェから。それはいいんだがしかし。

「お前、生物委員なんだよな?」

沈黙よりも何よりも、視線が妙に気にかかる。狼たちを寄せ集めて、その中心に蹲りこちらをじっと見ているくのタマに耐えかねた俺は声を掛けた。

「は、はい!申し遅れました。生物委員のくのいち教室四年、雪下花緒です!食満先輩のご高名はかねがね伺っております」
「は?いや…」

何だよ高名って。さっきから所々可笑しな言い回しするなあ。笑いを浮かべる俺に、くのタマ――雪下はまたしてもびくッと肩を跳ね上げ、狼たちに埋もれるようにして縮こまってしまった。

「どうした?」
「お、お気になさらずに」

いや気にするなと言われても。お前きつく抱きしめすぎだろう。雪下の腕の中に抱かれた灰色の狼が不満げに鼻を鳴らしている。

「雪下」
「はい!?」
「お前、どっか具合でもわるいのか?」

よくよく考えれば、先ほどから挙動不審すぎる。体調が悪いのに、竹谷からの指示だからと無理に付き合っているのだろうか。ふとそんなことに思い至った俺は腰を上げ雪下に近付いた。
熱でもあるのなら、伊作の所にでも連れて行かねばならない。そう思って、無造作に手を伸ばす。俺の指先が面に触れるか触れないか。そんなところで、雪下がぼそりと呟いた。

「……む、無理……」
「は?……ってちょ、おいこら待て!!」
「竹谷先輩ぃぃぃ!もう無理ですぅぅぅ!!」

尾を引く謎の叫び声だけを残して、雪下花緒は止める間もなく全力で逃走した。


(20120128)


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