紅、群青、萌黄に浅葱。 広げられた色彩を前に、思わずげんなりした私は多分悪くない。 「……何ですかこれ」 「何って、小袖だけど」 「誰の」 「お前のに決まってるだろう?」 「ですよねー」 目の前で何を言っているんだと呆れ顔をしているそのひとの女装用と言われた方がよほど驚くというものだ。 「あのですね、父様」 「んー?何」 紅も似合うだろうけど、浅葱も可愛いと思うよ? 「いえ、そういうことではなくてですね。何度も言っていますが、私は女装はしませんよ?」 だからこんなに着物を設えても無駄なだけなのだと、何度目になるのかわからない訴えにも父様は小首を傾げただけだった。 「お前は元々女の子だろう」 「へ?性別はそうですけど?」 「なら女装って言わないんじゃないかい」 「あれ…そう言えばそうなんですかね?」 「なら可笑しい話じゃないだろう?」 「はあ…そうなんでしょうか…って違います!危ないまた流されるところだった…」 「チッ。昔はもうちょっと簡単だったんだけどなあ」 いや、今あなた思いっきり舌打しましたよね。チッて何なんですか。 別に女の子扱いが嫌いなわけじゃない。ただ、忍たまとして生活する以上、女物の着物などそれこそ女装する必要性がなければ纏う機会もないというだけだ。 要するに宝の持ち腐れである。 胡坐をかいた膝の上で頬杖をつき、父様は少し拗ねたように着物を畳む私の手元を眺めている。 「お気持ちだけは受け取りますけど」 「遠慮しないで全部受け取っといてよ」 変な所で頑固だねえ、と父様が苦笑する。 「誰に似たんだか」 「さあ、誰でしょうか?」 私は淡く笑った。 父にも母にも似ていない子。昔から、そんな台詞は耳にタコが出来るほど聞き飽きている。他意のないもの、悪意あるもの。それこそたくさん。 そんなこと、私が一番わかってる。だって血なんて一滴たりとも繋がっていないんだから。 変なところで頑固なこの性格は、誰に似たのだろう。久しく思い出さなかった本当の両親の顔を思い浮かべようとしたけれど、ぼんやりと霞がかった記憶ではそれもうまくいかなかった。 私も大概薄情な子どもだ。 「――朔」 「はい?」 不意に名を呼ばれ顔を上げると、胡坐をかいたままの父様が私をじっと見ていた。かと思えば、何故か腕を広げてみせる。 「…何ですか?」 意図がわからず首を傾げると、「おいでおいで」と手招きされる。 「……えっと?」 「ほらほら」 父様がぽんぽんと自分の膝を叩く。そこまでされればさすがに私も気付くというものだ。 「いいじゃないか。別に誰も見てないし」 「そういう問題ですか?」 違う気がする。ていうか、ここ学園内だって忘れてないか。何でそんなに楽しそうなんだこの人。 「あの、ちなみに拒否権は?」 「欲しい?」 にやにやと父様は意地の悪い笑みを浮かべる。 「朔?どうする?」 「え、えっと…その…」 拒否権。拒否権は、その、何といいますか。 もごもごと口ごもる私に、父様は「ふうん?」と意味ありげな声を漏らした。 「嫌なら別にいいけどね」 「え、いや、そのッ!」 咄嗟に手を伸ばして父様の装束を掴んだ所で我に返った。 「は!いやこれは違うんです決して嫌じゃないからという主張では…。いえその、嫌じゃないといいますか!あれ、私何言ってんだこれ」 あわあわと言い募る私の混乱を余所に、ブッと吹き出す声がしたかと思えば、父様は腹を抱えて笑っていた。え、何ソレひどい。 「父様、からかいました?」 ひどいです。じとりと見遣れば、父様は「ごめんごめん」とヒラヒラ手を振って見せた。 「からかってはないよ」 すっと腕が伸ばされる。かと思えば、引き寄せられてすとんと収まったのは父様の膝の上。そんな子ども扱いと相まってぶすくれる私を余所に、私の頭の上に顎を乗せた父様は上機嫌だった。 「あーもう、可愛いねえお前は」 「気のせいじゃないですかー」 思わずぷいとそっぽを向く。私これでも十五なんですけど。実年齢は三十路ですよ!…あれ、実は同年代なのか? 「こらこら、あんまり素直じゃないと」 「へ?」 「こうするよー」 むにゅ、と左右から頬を引っ張られた。 「ひひゃいれふ!」 「えー?何だって?」 はははーって何笑ってんですか。 「もうやだこの人!…嘘ですすみませんごめんなさい」 「素直でよろしい。嘘でも父様傷付いちゃうからさ」 パッと手が離れたかと思えば、ぎゅうと音がしそうなほど抱き寄せられる。父様からは少しだけ、薬の匂いがした。 いつまで経っても、父様の手は私より大きいし、抱きしめられるとひどく安心する。うん、素直に言おう。私はこうされるのが嫌いじゃないのだ。 どれだけそうしていただろう。父様の体温が近いせいか、気付けばうとうとしていたらしい。父様はそんな私の背中を撫でていたけれど、ふと呟いた。 「梅の花、かい」 「え?ああそれですか。昨日小平太に貰ったんです」 父様が指差すのは文机に飾った一枝の梅。 お使いで出た先で分けてもらったのだと、下級生のように顔を輝かせ自慢げに差し出してきた友人の顔を思い出し、私は小さく笑った。 まるで取っておきの宝物でも見せるように手のひらに乗せられた小さな梅の枝。愛らしい、花。 『朔は、そういうの好きだろう?』 にかりと笑った小平太の気持ちが嬉しかったから、すぐに竹筒を探して活けたのだ。 「綺麗でしょう?」 「ふうん?七松君に、ねえ?」 父様は意味ありげに鼻を鳴らした。 「父様?」 どうかしました? 「朔」 「はい?」 「次の休みには外出許可を貰っておきなさい」 「は?外出許可、ですか?」 ぱちぱちと目を瞬かせる私に、父様は言う。 「梅の花を見に行こう」 「梅の花、ですか?」 「そう。とっておきの場所に連れて行ってあげるよ」 楽しみにしておいで、と父様は私の頭を撫でた。 梅の季節だからかなあ。それにしても何でまた急にと思いつつ、その手が心地良かったから、私は「わかりました」と頷いた。 父様は満足そうに笑い、私を抱く腕に少し力を込めた。 「いい子だね」 「え?」 「ん?何でもないよ」 父様が何か言った気がしたけれど、それは結局、私の耳に届くことはなかった。 なないろの日々。 (誰よりも何よりも、お前に綺麗なものを見せてあげるよ) (20111205) ‐‐‐ 五万打企画『タソガレドキとの日常』 その二、です。 五万打ありがとうございました。 |