私が部屋へ乗り込んだ瞬間、視線は当然私に集中した。そして、落ちた沈黙。 アレだ。今なら針が落ちた音でも拾えるんじゃなかろうか。思わず即座に現実から逃避したくなった私が果たして悪いのだろうか。 道理で三郎が化粧を終えた後私に鏡を見せなかったわけだよ!三郎の力を持ってしてもどうにもならなかったから見せてくれなかったんだよ、その時に気付くべきだったんだって。永遠にも思える沈黙に耐えかねたのは勿論私で、踵を返し脱兎の如く逃避を試みた。それを阻んだのは私の手首を取った手だった。 「ちょ、小平太!放してよ!!」 「何でだ」 「何でって、何でも!」 慌てて傍にいた長次の背に隠れるが、小平太は手を放そうとはせず、隠れる私の顔を無理にでも覗き込もうとする。 「ぎゃー!!待って止めて!!」 「見せてくれてもいいだろう?」 その為の女装なんだし。 最早何のための女装なのか目的を見失っている私には、そんな言葉は無意味に等しい。 とにかく顔を隠さねば。顔さえなければ普通の女だろう。あれ、それって私である意味あるの? 「ちょっと小平太、無理やりは駄目だよ」 慌てた伊作の声が聞こえる。やっぱり私は見るに堪えないに違いない。長次の背に額を押し付ける。 ああ、制服に白粉が付いてしまうかなあ。ごめんね、と心の中で詫びた。今は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。居た堪れないにも程がある。 何故か目の奥が熱くなって、私は慌てた。まさか。まさかまさか。 それは駄目だ。溢れそうになるものを誤魔化すように、私はぎゅっと目を閉じた。その時、小平太の手が、私の手首から離れた。え、と反射的に顔を上げると、小平太はまだそこにいて、今度こそまじまじと正面から私を見つめた。 「うん、可愛いぞ!」 「へ?」 意味が分からずぽかんと口を開ける私に、仙蔵がため息を吐く。 「口を閉じろ、口を。せっかくそこまで仕上げてやったのに台無しにする気か」 まあ朔らしいといえばそうだがな、と肩をすくめた仙蔵は言葉とは裏腹にその秀麗な顔に柔い笑みを浮かべていた。 首を傾げる私の頭を小平太がポンポン叩く。 「せっかく可愛いのに何故隠れるんだ?」 「え。だって……」 「ん?」 「だって、だってだって、皆黙ってるし、固まってるし、三郎の技術を持ってしてもやっぱり変だったのかなとか斎藤に髪を結ってもらってたらもうちょっと何とかなったのかなとか」 私はあたふたと言葉を継ぐ。小平太の背が私より高くなったのなんてもう随分前の事なのに、何故か見下ろされることが落ち着かない。 「……似合ってないのかと思って」 ぼそりと呟いた私に、小平太はきょとんとしてそれから伊作たちを振り返った。 「似合ってるぞ、なあ?」 「う、うん。すごく似合ってるよ朔!」 話を振られて、最初に勢いよく頷いたのは伊作だった。 「可愛いよ」 にこにこ笑いながらそう言われれば、本当にそうなのかもしれないと思えるから不思議だ。 「……朔」 「何?長次。……あ、ごめん!放すよ」 そう言えば長次にしがみついたままだった。慌てて離れようとすると「いや」と声が落ちてくる。 「いや、大丈夫だ。……大丈夫だが、見えない」 「え?」 「ああそうだね。それじゃあ長次が見えないよ。こっちにおいでよ」 笑いながら伊作が手招く。言われるままに伊作の傍に寄ると、長次が静かに近づいてくる。 ぽん。 小平太がしたよりも少し柔らかく、長次の手が私の頭に置かれた。 こくり。 長次は数度私の頭を撫で、そして頷いた。 えっと?どういう意味だ?ま、まあ大丈夫ってことかな?と良いように解釈した私を、わらわらと五年生が取り囲む。 「せんぱーい!!」 どーん、と勘右衛門が抱き着いてくる。 「うお!」 常の忍び装束とは違う装いに思わずたたらを踏んだ私を雷蔵の手が支えてくれた。 「大丈夫ですか?」 「あー。うん、大丈夫。ありがとう」 「い、いえ……あの、朔先輩」 「ん?」 「その恰好……す」 「すごく似合ってます!!」 勢いよく割って入ってきたのは八左衛門だが、次の瞬間その頭に雷蔵の手刀が決まっていた。 正確には、雷蔵の顔をした三郎だったのだが。 「うごッ!」 「人の台詞を奪わない!」 「わ、悪い……」 「それに私が化粧をしたんだ。先輩に似合わないはずがない!」 「三郎が威張ることじゃないでしょ。先輩」 「は、はい」 いつもと勝手が違うので若干及び腰の私を余所に、雷蔵はついさっき級友に手刀をお見舞いした顔と同一とは思えないふんわりとした顔で渡った。 「すごくよくお似合いですよ」 「あ、ありがとう」 へへ、と思わず照れ笑いする私に、勘右衛門とは逆から抱き着いてきた兵介が自分も自分もと主張する。 「俺もそう思ってますよ!」 今度はその姿で一緒に町へ行こうと騒ぐ頭を撫でてやれば、他の五年がずるいと騒ぎだす。 そう言えばからかいの一つでも口にするかと思っていた文次郎と留三郎が静かだなと思い二人を探すと、何故か二人壁際にいた。 「?どうしたの、二人とも」 「い、いや別に」 「何でもねぇよ」 何でもある気がする。というか私以上に挙動不審だ、どうしたお前ら。 しかし二人の様子が可笑しかったことでむしろ私はいくらか平静を取り戻すことができた。 人間、自分より不審な人間がいると却って落ち着くものなのかもしれない。 仙蔵が文次郎になにやら耳打ちをし、文次郎が「そんなわけねぇだろ!」と吠える。 留三郎は目が合うと飛び跳ねる勢いで顔を逸らした。え、何。ほんとお前たちどうしたのさ。 「どうしたの?」 左右に五年をぶら下げたままという相当妙な格好で尋ねた私も私だが、それに対して二人の反応も妙としか言えない。 「「なんでもない!!」」 二人が声を揃えるなど、明日は雨だろうか。 そんなことを思いつつ外に目をやった私の視界が、不意に高くなった。 「へ?」 一瞬何が起きたのかわからず、反応が遅れた。気付けば私を小平太が抱えていた。 五年生の輪の中から引っこ抜かれた形になって、五年生たちがぶうぶう言っているがお構いなしだ。 寧ろ小平太はどこか機嫌よく、首を傾げているのも私だけのようだった。 「大人げないなあ」 伊作が苦笑交じりに呟いた。伊作はこの理由を心得ているらしい。どういうことかと尋ねようとした私が口を開こうとしたまさにその時、私の体がまた浮いた。 |