慣れ親しんだ土の匂い、湿った感触。見上げた空は、馴染みの薄い丸く切り取られたそれだった。

「…………」
「…………」

背中が痛いなあ、とぼんやり考えていると、不意に腕に抱えていたものが動き、がばりと身体を起こした。釣られるように小平太も肘をついて起き上がれば、それは丁度小平太の膝の上で彼に向かい合って座るような形となる。
あ、これいいなあ。のん気にそんなことを思う小平太の鼓膜を、大音声が揺らした。

「う、わああああああ!!」

穴の中、という条件と相まって、実に良く響く。

「な、七松先輩すみません!!」

最早悲鳴に近い声で叫び、それ――雪下花緒は小平太の上から飛び退こうとする。いや無理だろ、明らかにこの穴一人用だから。
それを伝えようと口を開きかけたが、花緒が土壁で頭をぶつけて黙り込んだ方が早かった。

「土壁でよかったな」

まだマシという程度だけれど、まさにこれが。

「不幸中の幸いというやつか」
「……違うと思います」

頭を押さえながら膝の上でようやく大人しくなった花緒は、何だかしょぼくれた仔犬のようだった。

「大丈夫か?」
「大丈夫です。というかむしろその言葉そのまま先輩にお返しします」
「私?」

不思議そうに首を傾げた小平太に、花緒は小さな身体を乗り出して言い募る。

「だ、だって私思いっきり先輩の上に落ちちゃいましたし、そもそも先輩完全に私のとばっちりじゃないですか!」

とばっちり、と言えば確かにそうなのかもしれない。歩いている花緒に声を掛けた。まさにその時、どこからともなく飛んで来た手離剣(おそらく下級生の補習か自主練のものだろう)を避けようとした花緒がよろめいた先に、丁度綾部喜八郎作と思しき落とし穴があったのである。その後のことは語るにいわんや、まあ学園内ではよくある光景だろう。

「私なら大丈夫だぞ?」

背中を打ちはしたが、既に痛みは引いているし問題は無いだろう。第一、コレに関して学園中で意見を求めても相手は忍術学園が誇る体育委員長七松小平太である。九割方の人間が問題にもしないだろう。まあ七松(先輩)だしな、で片付くに違いない。
しかし花緒は責任を感じているらしい。

「……私が保健委員なせいで」

保健委員。別名不運委員。そう呼ばれて久しい友人の顔が小平太の頭を過ぎった。保健委員なせいで不運なのか、はたまた不運だから保健委員なのか。

「難しいところだな!」
「問題点はそこじゃないと思います!」
「まあ細かい事は気にするな!」
「気にします!」

だって先輩、と花緒が目を伏せる。

「だって先輩、普段落とし穴になんて落ちないじゃないですか」
「そうだな。塹壕は掘るけどな」
「でも私と一緒だと落ちたでしょう?」
「まあそんなこともあるだろう」

別に六年だからと言って万能ではないし、不運でないから穴に落ちないというわけでもないだろうに、花緒は諦め悪く「でもでも」と更に言い募ろうとする。

「花緒」

ぷに、と鼻を摘んでやれば、一瞬大人しくなった。

「う…はい…」
「結局何が言いたいんだ?」

素朴な疑問を口にすると、花緒はうろうろと目を泳がせる。ややあって、彼女は決意を込めた悲壮感すら漂う顔でこう言った。

「だからですね先輩。不運に巻き込まれない為にもあんまり私と一緒にいない方がいいんですってば」
「却下だ」
「即答ですか!?大体先輩は六年生でしょう?体育委員会委員長でもあられるわけで、忙しいのにそんなにしょっちゅう私と一緒にいなくっても!大体なんで気付けばいるんですか?」

一見まともだが大概にしてひどい言い分である。特に後半が。

「六年で体育委員会委員長だからこそ、だ」
「は?」
「一緒にいられる時間なんて限られてるじゃないか」
「は、はあ…いやそんなにキリッと言われましても……」
「花緒が体育委員ならもう少し増やせるんだろうが…そうだ、いさっくんに話してみるか」
「あの先輩?私の話聞いてます?というか体育委員は嫌ですよ」
「何でだ!」
「だって三之助でもぼろぼろでしょう?私付いていける気がかけらもしません」
「そう言えばお前たち仲がいいな」
「まあ同級生のよしみといいますか。先輩?どうしたんですか?」

何か目が怖いんですけど。

「ん?ああ、細かいことは気にするな」
「先輩それですべて片付くとか思わないでくださいね…」
「以外と厳しいな、花緒は」
「いや普通ですってば。というか話がずれてるんで戻しますけど、本当にいつか食満先輩みたくなりますよ」
「留三郎?」

不運の化身とまで言われる伊作と六年同室なだけあって、留三郎は六年の中でも輪をかけて不運に巻き込まれる割合が高い。
あれが留三郎の大らかさを作ったのではないかといつか誰かが言っていたなあ。そんなことをつらつら思い出していると、花緒はぐっと拳を握って顔を上げた。

「食満先輩みたいに不運に巻き込まれることになったら、その内巻き込まれ型不運なんて新境地にたどり着いちゃうんですよ!?だから駄目ですってば!」

何だ巻き込まれ型不運て。確かに新境地かもしれない。だがしかし。

「なら試してみるか?」
「試す?何をですか?」

小平太の言葉に、花緒は訝しげな顔をする。眉が寄って眉間に皺ができている。それをぐいと伸ばしてみると「痛いです!」と顔を真っ赤にさせてぷりぷり膨れた。

「花緒は面白いな」
「それ褒めてないですよね」

眉間を押さえつつじろりと小平太を睨みつけるが、見上げながらでは迫力も何もあったものではない。思わず笑うと今度はそっぽを向かれた。
ああ本当に。

「お前は可愛いな」
「は!?」

ぐるりと勢いよく振り返った花緒の身体を抱え上げる。咄嗟に抱きついてきた花緒の、耳が赤く染まっていたことに一人満足しつつ小平太はそのまま穴から抜け出した。
仔犬のようにしょぼくれた姿は愛らしいけれど、くるくる変わる表情は見飽きないけれど。それよりずっとずっと。

「笑ってる方が私は好きだ」
「も、もう知りません!」

勝手にしたらいいんです!
今度こそ真っ赤な顔をして、下ろせとばかりにじたばた暴れる花緒の身体をぎゅっと抱きしめる。

「ああ、勝手にする。勝手にお前の側にいて、私が不運になるか試してやる」

壊す事のないように、となるたけ優しく込めた力に、花緒は抵抗しなかった。

「そういうところが、暴君て言われるんですよ」

腕の中で響く不機嫌な声に小平太は笑う。
ああ、本当に。不運だろうと何だろうと――。



(20120606)

(善法寺先輩、どうします?)
(いやー…うん、出て行きにくい雰囲気だよねー)
(ですよね。雪下先輩を救出に来たのはいいんですけど)
(説明台詞ありがとう左近)
(いえ)
(…先輩)
(どうした乱太郎)
(いえ、数馬先輩が)
(数馬?どうした?具合でも悪いの…)
(善法寺先輩!)
(な、何だい?)
(花緒を泣かせたら承知しませんからね!!)
(え、それ僕に言う!?)
(三年生って仲良しですよねえ)
(なあ)


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璃桜様リクエストで『(新規短編)下級生くのたま夢主を(恋愛感情ありで)可愛がる漢らしい小平太のほのぼのとした話』でした。お待たせ致しましてすみません!下級生ヒロインというより後輩ヒロインという感じになりましたが、そして漢らしさを見失った感はありますが…。七松先輩は多少不運でも気にしない器があるのではと思います。保健委員ズは完全に友情出演です。少しでも楽しんでいただければ幸いです。今回は素敵なリクエストありがとうございました。


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