ため息を吐く以外にすることがあるなら、教えて欲しい。

切実に、マルコはそう思った。

普通に常識的かつ冷静に、落ち着いて考えればそんなものはいくらでも湧いて出るはずで、そんなことにも気付かない程度には、確かに彼はうろたえていた。

顔に出ないだけだ。そしてマルコ自身うろたえているという自覚がないだけだ。

海賊稼業に足を突っ込み、モデル不死鳥などという希少な悪魔の実を口にし、正確に何年経ったかなんて覚えてもいない。しかし決して短くもないその年月に確実に揉まれた結果、懸賞金は跳ね上がり久しくうろたえるなぞという事象にはお目に掛かっていない。

だからそんなものはすっかり忘れてしまっていたのだ。

だが現実に、マルコはうろたえている。

マルコにとって、今現在進行形で目の前に転がっている問題は、突拍子もなければ完全に想定外の事態でしかなかった。
目の前には樽がひとつ。

マルコの腰ほどしかないそれは、何の変哲もない樽だ。記憶が正しければ水が入っていた。

(……ってそんなことはどうでもいいよい)

問題なのは樽ではなくて、その上だ。ちょこんと樽に腰掛けたその小さな生き物は、大きな青の瞳でジッとマルコを見上げていた。

マルコはマルコで、腕を組みやはりジッとその生き物を見下ろしている。両者一歩も譲らずに、出会った視線は外される事がない。結果、マルコと小さな生き物は十数分という微妙に長時間見つめあうこととなっていた。

「あー…」

その、なんだい。
自分はこんなに歯切れの悪い物言いができたのかと的外れな感心をしながら、マルコは口を開いた。

「どっから来たんだい?」

なるたけやわらかくなるように苦心しながら声を作ったのは、何となく泣かれると面倒だと思ったからだ。

ただでさえ、自分の顔は幼い子供が好き好みそうなやわらかく穏やかな――などという形容とは縁遠いと自覚している。ここで口調はともかく声音まで通常仕様でいけば結果は目に見えて明らかではないか。

そんなマルコの地味な葛藤を知るはずもないだろう子供は、しばらく不思議そうに目を瞬かせる。

意味がわからないのだろうか、もう少し噛み砕くべきなのか?いやしかしこれ以上何をどう砕けと?

そもそも食糧庫にネズミが出るとかそんなことでいちいち自分が様子を見に来る必要などなかったのだ。部下かもしくはコック見習いにでも押し付けておけばこんなことにはならなかったに違いない。

そうすればこんな大きなネズミと遭遇しなかった。

またもや悶々と考え始めた頃、不意に馴染みのない声が、マルコの耳を掠めた。

「あっち」
「……ん?」

今この場にいる人間は、マルコと子供の二人だけだ。食糧庫の中には外の喧騒もあまり届かない。それなら聞き覚えのない声を発したのは。

「お前かい」

何を自分は当然の事をいちいち確認しているのか。ああ、何だかとても疲れる。戦闘でもここまで疲労を感じやしない。何なんだ一体。というかちょっと待て。今何と言った?

「あっち」

にこにこと笑いながら子供は指を指す。食糧庫に唯一作られた採光用の小窓の外――太陽に照らされる輝く青とマルコの記憶が正しければつい数時間前まで見えていた、今は小粒ほどの影も見えないとある春島を。

「いや、ちょっと待てよい。お前…ディスティリオーレから潜り込んだってのかい?」

どう多く見積もっても、十になどとても満たない子供がひとりで天下の白ヒゲの船――モビー・ディック号に密航したというのか?

冗談だろい。

子供の小さな身体でなら大人の目を潜り抜けられるという可能性がないでもないが、ここは白ヒゲの船である。そんな可能性はあってないようなものだ。

そもそも億を越える賞金首がゴロゴロしているというのに。色んな意味で密航など決行しようなどと馬鹿のすることではないか。

しかし現実問題、子供は密航に成功し、今こうしてマルコの目の前で樽に腰掛けている。
心底頭を抱えたくなって、実際マルコは額を押さえた。

何が何でこうなった?
目的は?――子供は能天気に笑っている。これで暗殺者や密偵だとすれば余程の神童だ。
親は?――知っているはずがない。ということは何だ。意図せず誘拐犯なのか自分たちは。
というか。

(……これ……どうすりゃいいんだよい……)

今更引き返す事もできないし、放り出すわけにもいかない。見つけた以上、見なかったことにしてそっと立ち去るなんて益々できない。
しゃがみこんだマルコの頭を、不意にやわらかいものが触れた。顔を上げると、青の瞳がやっぱりにこにこ笑いながら、小さな掌がマルコの頭を撫でていた。

「…………とりあえず、報告するかい」
偉大なる親父殿の名案を期待して、ため息混じりにマルコは立ち上がった。


>樽と俺と小さなネズミと。

(グララララ。何だ?おめえのガキか?)
(ちげーよい!!)


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