午後三時十七分のマリア
「あの人、駄目よね。本当に」

ため息に反して彼女の口調は柔らかい。

「私がいないと駄目なんて、本当に駄目」

それは子どもを見守る母親の口調のよう。それが恋人に対する評価であるというのに、何故か違和感がまるでなかった。

「お母さんみたいですね」

白いマグを手渡してきた彼女に笑ってそう呟くと、大きな瞳が驚いたようにますます大きくなる。
表情の変化に乏しい彼女にしては珍しい。
掌にじわりと広がる熱と、甘いココアの匂い。何もないといっても大袈裟ではない白を基調とした彼女の部屋は、昼下がりの光で充たされてどこまでも暖かかった。

「いかに普段のサニーが子どもみたいかわかる発言ね」
「え、あ、いやそういう意味では」

ないんですけれども、と慌ててもごもご言うと、笑う声が耳朶をくすぐった。

「いいのよ。だってその通りだもの。私でも時々なんでそういうことをするのかって思うもの」

伏せた睫が白い肌に影を落とす。声はどこまでも穏やか。心地よさに目を細め、ココアに口をつけた。

「だから私が昔からずっとサニーの面倒を見る破目になったのよ。あのひとの方が三つも年上なのに。リンにはちゃんと「お兄ちゃん」なのどうしてそうなのって何だか時々すごく損をした気分になるのよね」

彼のいない所でそのひとのことを語る彼女は、いつも穏やかでやわらかく、そうして優しい。
しなやかで強かな、その姿ときたら。

「…やっぱりお母さんみたいですね」

ほぅと息を吐く。伸びてきた白い指先が、唇の端に触れて軽く擦ると離れていった。

「な、何ですか?」

付いていたわと言われたのは、さっき摘んだクッキーの粉だろう。
慌ててその場所を押さえる僕はきっと真っ赤な顔をしているに違いない。
悪戯っぽく笑って指を舐める赤い舌をぼんやり見つめた。これではどちらが年上なのかわかったものではない。不器用で美しい彼の顔を思い浮かべ、自分も彼のことは言えないと思った。
黒い髪黒い瞳。夜を模ったような容姿を持つひと。けれど彼女は、夜より余程昼が似合う。こんな午後はそう思う。

「……貴女の子どもに生まれるひとは、きっと幸せですね」

お世辞ではなく、口をついて出た言葉に彼女は目を細めた。

「ありがとう。――でもそうね。私は、」



午後三時十七分のマリア

(いっそあの人の母親になりたかった)


(20110712初出)



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