いばらの冠

※変換なし ベアトリーチェの元になった小話です。


サヴェッラには重苦しい空気が流れている。
新しく法皇となった男はその椅子に座り、持て余すように長い指で肘置きを叩いていた。
コツコツと響くその軽快な音を聞きながら、形だけでも新しい法皇へ挨拶にと来ていた神父達はちらちらとお互いを見合っている。1番最初に、この空気の中で賛辞を述べる人を探しているのだ。

前法皇は、この男に殺されたらしい。

そんな噂が、法皇の訃報と共に広がっている。噂の出処らしいとされたメイドも忽然と消えた。黒い噂の絶えないこの男に、賛辞を述べる気にはならないのだ。
ふと、長い指が止まるとようやく法皇となった男は口を開いた。

「・・・・小鳥は」
「・・はい?」

男ーーマルチェロはその瞳を細めた。

「・・小鳥は来ないのか」




大昔だ。それこそ今、腰に提げている剣を持って振り回すだけでも四苦八苦していたぐらいには幼い頃に信じていた話をふと、今しがた報告を終えたマルチェロは自室へと戻りながら思い出していた。

サヴェッラに住まう代々の法皇達は皆、鳥を連れている。鳥たちは法皇の目となり耳となり、世界を飛び回り、サヴェッラへと戻るのだという。だから法皇はなんでも知っているーーそんな話が教会に関わる人々の間で囁かれていた。
事実教会で引き取られた子供たちはみな、「法皇は鳥を通して全てを見ていらっしゃる。何者であれ、良きもの正しきものでありなさい」と口酸っぱく言われて育つし、後ろめたい事を隠している時は聞こえてくる鳥のさえずりに飛び上がったものだ。
大きくなるにつれて所詮子供騙しなおとぎ話だと思ってはいたがーーここまで思考を巡らせた所でマルチェロは聞こえてきた音に我へ返った。

夕暮れ時、柔らかな西陽の差した長い廊下の先に瞬きの間に現れたのは修道服を着た女だった。どこか勝気そうな色を灯したルビーの瞳を持つ女は、くるくるとした茶色いくせっ毛を揺らしながらこちらへ歩いてくる。

「あなた、お父様に報告してない事あるでしょう」

マルチェロは態とらしくため息をつくとその瞳を見つめ返してやる。最近気付いた事だが、偉そうな態度には同じ様にしてやれば少しこの女はたじろぐ。どうやらこのサヴェッラには彼女が強気で言えばほいほい応じるような甘い人しかいないらしい。

「おやおや、先程はそのお父様の手の中、雀の姿でだらしなく寝ていただけかと。ちゃんと聞いていらしたとは」
「ね、寝てない!」
「その痕は?」

マルチェロが自分の口の端を指で叩けば、女は慌てて同じように自分の口の端に手をやる。しかし、思い出したように手を退けると真っ直ぐマルチェロを睨んだ。

「変身してたのに涎の痕なんてあるわけないでしょ!」
「それは何より。報告の話だが、法皇様のお耳に入れる事でもないと思ったので省いた次第だ」
「それはあなたが決める事じゃない」
「雀が決める事でもない。法皇様は何も言わなかった、それが事実だ」

女は言い返す言葉を探すようにぐっと唇を噛む。マルチェロはそんな女を鼻で笑うと横を通り抜けていく。ますます腹が立ったらしい女は後ろから追いかけていく。

「いい!?あなたの行動は逐一、私が監視していますから、肝に銘じなさい」
「そうか、じゃあこれから風呂なんだがそれも監視付きかな?」
「なっ・・!」

女は耳まで真っ赤にさせて後退ると、現れた時のように瞬時に姿を消した。代わりに現れた大きな烏は、マルチェロに大きくひとなきしてから開いている窓から飛びだっていった。

彼女の名前は誰も知らない。ただ、モワノーと呼ばれている。加えて彼女が姿を変えることができると知っているのは、マルチェロと法皇だけではなかろうか。そもそも、マルチェロが彼女の変身を見てしまったのも事故のような物だったので、本来は法皇だけが知っている事なのだろう。

(まさか噂話が本当だったとは)

各地に伝わる昔話よろしく「悪い事は誰かが見ている」という教訓を含んだ創作だと思ってはいたが、法皇の鳥は存在していた。まあ、実態はそんな仰々しいものでは無いが。
モワノーがしている事と言えば、逐一マルチェロのやる事なす事に文句を言うか、修道女として教会をふらふらしては甘やかされるか、小鳥の姿で法皇の部屋で寛ぐかそれくらいだ。

ただ、勘は冴えているらしい。
オディロ院長亡き後、マルチェロがこちらに着任した時からずっと監視はされている。最初こそ彼女の目からあれこれ手を尽くして逃れようとしていたが、結局は全て法皇の耳へと入っているらしい。
ただ、だからといって法皇はやんわりと釘を差すのみなので今は開き直って彼女は気にしないようにしている。

(所詮はお飾りか)

今しがた報告した折の法皇の顔を思い浮かべ、マルチェロは密かに眉根を寄せた。
人々を見下ろすが如く天に近い館に住まい、時折下界に降りては偉そうに説教をするだけだ。そんなこと、誰だってできる。だから、変えねばならない。いつだって優しく聞こえのいい言葉が、人を救えた試しがない。

「おい、マルチェロ」
「おや、ニノ大司教」

廊下の曲がった先、窓から射し込む夕日が届かないそこから蛇のように出てきた恰幅のいい男にマルチェロは足を止めた。
話がある、と小声でそう続けられてマルチェロは表情ひとつ変えることなくニノについて行く。

そう、だから自分は言葉だけで救えた気になる形だけの法皇にはなってはならない。




「お前たちはいつ、どこから来るのだ」

明くる日、報告書の中身を思案しながらペンを手持ち無沙汰に回していたマルチェロは、聞こえてきた鳥の羽ばたく音にペンを置くと顔を上げながら音の先に問いかけた。
開け放しにしていた執務室の窓から入ってきたらしい、茶色い小さな隼が窓辺に止まっている。
隼は何度か嘴を鳴らした後、マルチェロが瞬きをした間に女へと姿を変えていた。

「それを知ってどうするの?」
「参考までにだ」

モワノーは赤い瞳を細め、

「言いません」

とだけ言うと、窓枠から室内に降りてソファに座った。

「ただ然るべき時に、法皇となった人の元へ私達は現れるのです」
「もどかしくはないのか。報告したところで法皇様は何もしない」

彼女が法皇の目となり教会を見て回っているならば知っているはずだ。信仰から離れ、権力と金が幅をきかせる汚い実態が。
それを小鳥から聞くだけの法皇も、実態を見て何もしない法皇を受け入れるこの女も、同罪だ。つまるところ、マルチェロは法皇もモワノーも大嫌いだった。

「何者であれ、良き者正しきものであれ、法皇の鳥は見ている・・・・これはやはりお伽噺だったかな」

置いたままのペン先からインクが滲み、紙を黒くしていく。それを気にもとめずモワノーを見つめた。ルビーの瞳は今ばかりはたじろがなかった。

「見ています、知っています。だからこそ正しくありなさい。まだ間に合う」

マルチェロはそれを鼻で笑い飛ばし、やっと紙にインクが滲んだのに気付く。少しインクが滲んだだけの報告書を、必要以上にぐしゃぐしゃにするとゴミ箱へ放り投げた。

「・・今までに鳥が来なかった法皇はいるのか」

モワノーはマルチェロを真っ直ぐ見つめたまま、暫くは何も言わなかった。外から小鳥の囀りが聞こえ、ようやく口を開く。

「・・・・私達は必ず法皇の元に現れる」

このルビーのような赤々としたモワノーの瞳が、一目見た時から大嫌いだった。いつだってこの色はマルチェロの前に立ちはだかるーー同じ色の外套を纏う腹違いの弟もそうだ。

「つまり、鳥が来ない人は法皇では無いのよ」


ついぞ鳥はマルチェロの元へ来なかった。

サヴェッラにある法皇の館を我が物顔で飛び回り、いつも法皇に寄り添っていた鳥も姿を消した。棺桶の前で1日立ち尽くしていたモワノーは何も言わなかった。最後に、あの赤い瞳でマルチェロへ一瞥くれた後に、鳩へと姿を変えるとどこかへ飛び立っていき、戻ってくることは無かった。

法皇にふさわしい者に、小鳥はやってくる。

今しがた演説を終えたマルチェロは静まりかえったゴルドの大聖堂の入口にいる腹違いの弟を食い入るように見つめている。
聖堂騎士団に囲まれた彼らは、懐から何かを取り出して天高く掲げたーーそれが、光る鳥となったのだ。

ずっとそうだ。あの男はマルチェロの指の間をすり抜けていった物全てを手に入れる。当たり前の様な顔をして。先端が鳥の形を模した杖を握り直す。

大きく光る鳥に乗ったククールが、マルチェロの元へ向かってきていた。
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