影法師探し

※追加エピソードを踏まえて書いてます。


 「すごいな、これは。一体どうしたのだ」

 一日が終わり、デルカダール城内にあてがわれた自分の部屋に帰ったグレイグは壁に飾られた絵を見て妻の背に冒頭の言葉を投げかけた。
 額縁に入れられたその絵は、背景からしてデルカダール城の前にある噴水広場だろうか。柔らかな日差しを浴びてこちらへ微笑む少女が描かれている。その姿形、笑い方は娘そっくりである。
 寝支度を整えていたらしい妻は髪を片側へまとめながらグレイグの横に立つと「ああ、それ」と可笑しそうに笑う。

 「あの子が絵のモデルを頼まれたんですって。それでお礼にこの絵をもらったとかで、大はしゃぎで抱えて帰ってきたのよ」
 「ほう、実に上手く描けているな」
 
 鮮やかな色使いのせいか、娘の表情のせいか、はたまた父親のフィルターか、少し荒削りな画風ではあるが息遣いが聞こえてきそうなその一枚絵にグレイグはとてつもなく惹かれた。一体どんな人物が描いたのだろう。グレイグ自身は芸術という物には人一倍疎いのであまりこういう物には興味を持たないのだが、何故かその絵からは目が離せなかった。

 「なんでも各地を旅しながら絵の修行されてる方ですって。しばらくデルカダールに居るらしいの」
 「・・是非会ってみたいな」

 妻はちら、とグレイグを見ると笑いを堪えながら付け加える。

 「とっても紳士的で端正な顔立ちの方ってあの子が熱を上げていたわ」

 何、とグレイグが慌てて振り向いたのをみて心底可笑しそうに妻は笑いながら寝室へと向かう。鈴の転がるようなその笑い声を聞きながら、グレイグは一転してその絵を複雑な表情で見るのであった。


 
 「画家の男? はぁ、またなんでそんな事を聞くんスか?」

 次の日の昼下がり、入国管理を任せている部下を呼び寄せ、件の旅の画家なる男についてさっそくグレイグは調べていた。
 昼餉のサンドイッチを頬張った部下は入国者を記入した台帳めくりながらグレイグに問いかける。

 「いや、少しな」
 「はあ」

 間の抜けた相槌を打った部下はふと、ページをめくる手を止めた。

 「ああ、この人っスね。えーと・・なんでもクレイモランからの定期船でこっちに来たみたいっス。各地を回って旅してるってのは本当みたいっス」
 「して、どこにいけば会えるかわからないか?」
 「宿泊自体は城下町の宿屋って事になってるっス」
 「すまない、ありがとう」
 「いえ!」

 (別に娘は関係ない)

 そう、あんな絵を描く人物を見てみたいのだ。
 言い訳がましく(事実、言い訳である)、グレイグは城下町への階段を下りる。

 魔王を打ち倒して以来、人が通り暮らす道には比較的に穏やかな魔物だけが現れるようになった。その影響でほかの国や街へと移動する人が増え、デルカダールに様々な人種が訪れるようにはなっていた。ただ、その反面一部の悪い人間が頭角を現して来たのも事実ーーそう、確認しに行くのだ。なんでも紳士的な振る舞いだろうが、端正な顔立ちだろうがその実、悪い奴かもしれないではないか。
 そんな事を考えて入れば噴水広場にたどり着く。不意に「きゃあ」と黄色い声が聞こえてきた。なにやら噴水の前あたりに人だかりができている。比率としては貴婦人が多い。

 「ねえ、是非こんどはわたくしを描いてみて」
 「ええ、私だって」

 貴婦人の間から目を凝らして見えたのは、キャンバス。

 「えぇと・・・・でも僕は今、風景を描きたくて」
 「でも昨日はグレイグ将軍のお嬢様を描いていらしたじゃない」
 「失礼、」

 その言葉にグレイグは慌てて人混みを掻き分けてその中心へ向かう。見えたのは金糸のような髪にすっと切れ長の目に金の瞳。その出で立ちにグレイグは思わずこう呼びかけずにはいられなかった。

 「・・・・ホメロス、」

 と。

 その名を呼ばれた青年は、ばっとグレイグを見るなり目を丸くさせた。しばらくお互いに言葉もなく凝視していた。
 いや、でも違う。ホメロスという友人は死んだ。言葉通りに塵一つ残さず消えたはずだ。そして、デルカダール城で彼の意志を継いだ。恐らく共に大樹へ還るだろう。
 この雰囲気を先に壊したのはホメロスによく似た青年だった。

 「すみません、この後こちらの方とのお約束があるのです。さあ、行きましょう」
 「いや、そんな約束は」

 ええ、と口を尖らせて拗ねてみせる貴婦人たちに愛想を振りまきつつ荷物をまとめた青年は「さあ」と勝手にグレイグの手を引いて走り始めた。

 「おい、お前、」

 その後ろ姿に投げかけた言葉は形にならずに消えた。はるか昔、まだお互いに切磋琢磨していた頃の友人が、そこにいた。



 下町まで降りた青年は振り返り、もう追いかける人がいないのを確認すると広場のベンチに座った。グレイグもそれに倣い、隣に座る。
 見れば見るほど不思議な青年だった。前髪を横に払う仕草もあのホメロスそのものだ。

 「あー、疲れた。ここまでくれば大丈夫かな」
 「お前は一体・・」
 「思ったより早く会えて光栄です、グレイグ将軍。いや、母親からいつも似ていると言われてはいましたけど、彼・・いえ、父の名で改めて呼ばれると少し複雑なものですね」
 「まさか」

 青年はすこし儚げに笑う。その笑顔はホメロスのものではない。やはり、彼はホメロスとは別人だ。

 「改めまして、初めまして。僕はかつてこの国の将軍で裏切り者に成り下がったホメロスの息子です」
 「・・いやまさか、あいつに妻はいなかった」
 「えぇ、僕の母親はホメロスとは正式な夫婦じゃありませんから。母親はかつて彼のメイドだったんですよ」

 青年はふう、と一息つくと話し始めた。

 「母親が僕を身籠った時、それを聞いたホメロスはソルティコの別荘地へと少しの使用人と一緒に追いやったそうです・・といっても母は、そうは言わなかったけれど・・・・話を聞いた時僕はそう感じた。だって、そうでしょう。母はただのメイドです。そんなメイドとの間の子よりきちんとした貴族の方と結婚して正式な後継をもうけた方がいい。どうせ母とは遊びに違いない・・と思ってはいたんですけれど」

 ここまで話すと青年は手元に視線を落とした。

 「・・・・そうですか。彼に最期まで妻がいなかったのなら、母はただの妾ではなかったんですね。愛されていたと言った母親はあながち間違いじゃなかったのか。それならまあ良かったんじゃないですかね」

 どこか投げやりな言葉に対する返事をグレイグは探していた。
 全て初耳だ。彼にそういう女性がいた事も、ましてや子ができていた事も知らなかった。

 (また、あいつについて知らないことが出てきた)

 ホメロスが魔王に心酔していたのも、自分を裏切ってきた事も、ずっとずっと知らなかった。そんな自分が、この隣の青年になんて声を掛ければ良いのだろう。それよりも、この青年は何を望んでいるのだろう。

 「・・それで、どうして俺に会いに来たのだ?」

 青年はその問いにしばらく答えなかった。
 昼下がりの広場には、週末ともあって人で溢れている。その中の家族連れを目で追いながら、青年は零すように会話を切り出す。

 「・・僕、絵を描くのが好きなんです。将来これで食べて行きたくて、ダーハルーネでしばらく先生に教わっていました。でも、ある日出された課題で絵を描くことができなかった」
 「課題? どんな?」
 「自分のルーツを描きなさいって課題です」

 はあ、と大きくため息をついた青年は大きなカバンを開くと板から取り外したらしい画布を無造作に取り出す。商人の町、綺麗な水の湧く洞窟、海の綺麗な町はおそらくソルティコか。他にも海原や船、クレイモランやその地方にある古びた図書館と雪原の絵もある。どの絵も良く描けている、が。

 (あの子を描いた絵よりだいぶ雰囲気が違う)

 様々な色を使っているのは分かるのだが、あの絵よりもだいぶ鮮やかさがない。言葉にし難い感覚的な感想だが、あえて言い表すならば生き生きとしていない、といった言葉が近いだろう。
 木枠から取り外してしまったからだろう、絵の具もひび割れて所々剥がれてしまっている箇所もある。筆なんて一度も握ったことの無いグレイグには、逆立ちしたって描けないこの絵をこんな風に扱ってしまうことが素直に勿体無いと思った。

 「課題も難しいけど・・僕はそもそも、僕自身を形造った全てを知らない。それを知りたいと思ったんです。ホメロスが歩いた道を追いかければ何か分かるかも、ってね。酷いものですよ」

 青年はぐっと伸びをして空を仰ぐ。

 「噂には聞いていたけれど、それ以上に彼は人をやめていた。何処へ行っても将軍ホメロスのいい話は聞かない。やはり母が見ていた彼は幻想だったんだ」
 「それは、」
 「でももう良いんです。デルカダールに来れたのは、そして貴方に会えたのは良かった。ここは、素敵な所だ・・これを捨てようとした人の気が知れませんよ」

 そう言って立ち上がった青年の手を掴んだのは反射的だった。グレイグは手を掴んだまま青年を真っ直ぐに見つめる。

 「まだ見てないぞ、君はまだホメロスの全部を見ていない。行こう」
 「行こうって何処へ、」
 「君の探しているルーツって物を見に行くんだ」



 その部屋の扉を開けたのはいつぶりだろうか。
 別段、避けていた訳では無いがそう言えば最後にこの部屋に入ったのは随分昔のことであるーーきっとあのテラスでの出来事がなければ彼の影法師を求めてこの部屋へもっと足を運んでいただろう。
 メイドには定期的に掃除を頼んでいたので部屋自体は綺麗に保たれていた。
外とは打って変わって静かな部屋の扉を閉める。バタン、という音と共に先程までの喧騒が消えた。まるでこの場所だけが切り離されたように。

 「随分立派な部屋ですね」

 皮肉の交じっていない素直な尊敬の念が微かに交じった言葉にグレイグは頷く。

 「あぁ、ホメロスは凄かったからな。軍の指揮を取らせるなら彼以外にいないと王も俺も、随分信頼していた。あいつはな、とにかく敏いのだよ。一を聞いて十を知る、という言葉があるだろう。まさにその通りでな・・ただ、少し敏すぎたのだろうな」

 青年はその言葉を黙って聞いたのちに、執務机の上のケースに近付く。そのケースにはホメロスが生前使っていた剣とペンダントが綺麗に飾られていた。

 「いつまでもここに雨風にさらすのはいけないでしょう・・何があったにせよ、彼はデルカダールの一将軍でしたもの」

 そう言ったマルティナの配慮で、旅が終わって落ち着いたころにこの部屋に飾られている。
 青年はまじまじとその剣を見つめた。

 「・・彼はこれを?」
 「ああ。俺はあまり武器の見てくれを気にはしなかったんだが、あいつはすごかったぞ。武器屋や鍛冶屋に最初から最後までこうしろああしろとうるさくてな、最初は熱心に聞いてた向こうも段々めんどくさそうにしていてな、なんというかそのやり取りが面白いから暇があればついていっていたな・・なんだ?」

 途中から青年の視線が自分にじっと向けられていたことに気付いたグレイグは、その視線とかち合うなり何か気になることがあったのかと言葉を止める。

 「いえ、あなたは彼を自分の事のように話すから」
 「・・ああ、もちろんだとも。今でもなお、ホメロスは俺の一番の友だからな」
 「・・あのような事をした彼をまだ友だと言えるのですか?」
 「もちろんだ」

 間髪入れずに帰ってきた迷いのない返事にどうして、と答えようとした青年は何かに気付いてグレイグを凝視するーーいや、彼が見ているのは自分ではないとグレイグが気付いたのは、彼が一点を見つめたままグレイグの横を通り抜けたからだ。
 そのまま向こう側の壁際に置いてある箪笥の前にいる青年の隣に並ぶ。

 「・・なんだろう、何か変だ」
 「・・何が?」

 青年が箪笥のある一点をまじまじと見つめている。それに倣ってグレイグも箪笥を見つめてみるが、おかしなところは一つもない。

 「・・ほかの引き出しの大きさが左右対称なのにここだけ左の方がちょっと小さい気がする」
 「そういうデザインなのでは・・っておい、待て」

 グレイグの制止もむなしく青年はその引き出しをそのまま引き抜いてグレイグに押し付けて、中をまじまじと調べる。思えば、ホメロスもなにか気付いたことがあると勝手に自分のペースで進むことが多々あったのでこういう時は何を言っても無駄だと分かっているグレイグはもう好きなようにさせてやる。何よりも自分の領域を勝手に探られる事を嫌っていたホメロスだが、彼だったら許して・・・・はくれない気もするが。
 そうこう考えている間にも青年は引き出しの中を調べている。
 
 「・・ああ、この部分が二重底になっているから小さかったのか」
 「・・・・手紙の束?」

 グレイグが今持っている引き出しが収まっていた場所の底が取れて出てきた収納部分には手紙の束と小さな額縁が入っていた。グレイグは持っていた引き出しを一度床に置くとその小さな額縁を取り出してみる。
 丁寧に小さな額縁に入れられたそれは便せんに描かれた絵だった。色とりどりのお世辞にも上手と言い難い絵は何やら太陽と白い建物と船が描かれている。幼い頃娘が描いた絵もこんな感じだったーーそしてその端にはホメロスのものとは違う丸い筆跡がある。

 『お題は、ソルティコ・・ですって!この前送ってくださったペンがお気に入りみたい』

 「・・・・これ、母の書いた字だ」
 「なに、」

 青年は慌てて手紙の束を取り出す。
 送られた順番に並べられ、二つに分けられたそれは、いずれも額縁に入った絵の端にあった字と同じ筆跡の字で書かれている。
 一つ目の纏められた手紙の内容は他愛のない事だった。最初の方は慣れないソルティコでの暮らしだとか体調の話、天気の話や今日何を食べたのか、何に感動したのか、そしていつもその手紙は、

 『あなたの言いつけの通り、あなたからの手紙は読んだら処分しています』

 という文言で締めくくられていた。
 もう片方の纏められた手紙は「坊や」という人物の話ばかりだ。何度も解いては纏められたからだろうか、手紙の束を纏めている紐は、先ほどの束を縛る紐よりも随分擦り切れている。

 『手紙を処分しろとおっしゃる割には荷物が随分多くてびっくりしました。違うのでしょうけれど、あなたが赤ん坊の産着とかを買うその瞬間を見てみたかったわ』
 『初めて坊やが立ち上がった瞬間を見逃して悔しいけれど嬉しいわ』
 
 まるで成長記録のような手紙は続いていき、そして、

 『ねぇ、きっとびっくりするわ。あなたにそっくりなの・・声をかけずとも、一度はソルティコへ見にいらしたら?』

 という文言で締めくくられた一通で手紙は終わっていた。


 「・・聞いてほしい、ホメロスの息子よ」

 青年の返事はなかった。グレイグは構わず続ける。

 「君がここまでの道中で聞いてきたホメロスの話は間違いなく本当だよ。小さな村を焼いたし、幼い子供の喉を魔法でつぶした。断言しよう、恐らく勇者に止められなければ、あのホメロスは間違いなく、文字通りに人を辞めていた・・いや、分からない。君がいたという事を知らなかったように、俺が知らないだけでもっと魔王の命令するがままにあくどいことをしていたかもしれない」

 ただ、とグレイグは続ける。

 「確かに道を踏み外すまでは少しばかり捻くれていたが優しい人だったんだよ。誰かの為に動いたり、何かを大事にしたり、笑ったり・・君は、そういう男の息子なんだ」

 しばらく部屋には鼻をすするような音だけが響いていたが、ぽつ、と絞り出すような声が微かに響いた。

 「・・・・僕は、怖かったのかもしれない。ホメロスという人の話を聞けば聞くほど、恐ろしく冷たくて、人ですらない気がして・・貴方にすぐ会いに行かなかったのも、親しい貴方の口からもそういう冷徹で恐ろしい人だと、僕にもそんな人の血が流れているのだと分かるのが怖かったからなんです・・・・でも、でも、」

 こちらを向いて泣きながら青年は笑った。

 「そっか・・そうかあ、会いたかった、なあ。父さんに、会いたかったなあ」

 グレイグは青年の頭をポンポンと優しく撫でてやる。

 「・・そうだな・・・・本当に、本当にホメロス、愚かな奴め」




 その日の夕方、何やらいつもより豪華な夕餉に面食らったグレイグが例の画家の青年はもうデルカダールを旅だったと言えば、侍女と夕餉を並べていた妻が素っ頓狂な声を上げる。

 「ええ? もう出発されてしまったの?」
 「ああ、なんでも思いついたらすぐに筆を動かさないとかなんとか・・」
 「あら残念、せめて食事でも・・と思ったのだけれど、そう・・お手伝いありがとう、貴女もぜひ食べていって頂戴ね」

 娘はここのところ花嫁修業も兼ねて城下町の修道院で過ごしているのでこの豪華な夕餉は二人で何とかしなければならない・・が、それでも少し量が多いと踏んだ妻は準備を手伝った侍女に声をかけた。侍女は本当ですか、と目を輝かせて今度は自分の分の皿も用意し始めた。
 そんな侍女を尻目に、話題は例の青年に戻る。

 「どうだった?」
 「そうだな、好青年だったよ・・何というか、あの子にはきちんと自分が幸せだと思って生きてほしいと思うよ」
 「・・というと?」

 グレイグは微笑んだ。

 「俺やあの旅をした仲間含め、あの子の父親も随分、過去に未来を左右されてしまった人生だからな、あの子はそういう風になってほしくないのだよ・・・・何十年も前に止まってしまった時は動き出したんだよ、そういうのは・・悲しみの連鎖は、もう十分だ」

 妻は目の端を少し下げて優しく笑っただけで何も言わなかった。ごはんですよぅ、という少し気の抜けた侍女の呼び声に二人そろって返事をした。
場所は変わり、デルカコスタの港からソルティアナ海岸の港へと向かう船の客室の一室にて、錦糸のような髪をまとめた青年は荷物をひっくりかえしてあるものを探していた。

「ああ、あった。これだ」

すっかりボロボロになってインクが出なくなったペンを荷物の中から見つけ出すと手に取り、椅子に座ってマジマジと見る。本当は色ごとに沢山あったが、インクが出なくなって捨ててしまったのだーーただ、一本だけ、捨てるその間際に母が拾い上げたのだ。

『インクが出ないのは分かっていますよ、ただ、ただね、一本だけお母さんにちょうだい』

流行りの病で母が死んでもう何年も経つが、最後までそのペンを大事に取っておいたのが印象的で、母が亡き後もないがしろに出来ずにお守り代わりに荷物に忍ばせていたのだ。
母が死んで数週間後、荷物を整理した時にどっさり産着やら幼い頃与えられた玩具などが出てきてびっくりしたものだ。あれは、恐らく。
青年は目を閉じる。風もないだ夜の静かな海、聞こるのは時折船が軋む音だけだ。



 バタバタと慌ただしく去っていった青年が、ひょっこりグレイグの前に現れたのは3ヶ月程たった頃だった。
 あの時よりだいぶ増えた荷物にグレイグが驚けば、何やらまた各地を回るのだと青年は朗らかに笑った。

 「端くれでも芸術の道を歩む人間として、一度は芸術の国のバンデルフォン王国を訪れたくて・・その後はユグノアやグロッタを見て回る予定です」

 そう言いながらホメロスの私室だったその場所で荷物を解き、丁寧に布で包まれた画板を取り出した。グレイグは覆われた布をゆっくりはずし、現れた絵にふっと笑った。

 そこには、この部屋とそっくりな場所にいる一人の女が描かれていた。
 城内にいるメイド達とおなじ緑色の給仕服を着たその女は、掃除の最中に呼び止められたのか箒を持ったままこちらへ振り向き、微笑んでいる。恐らく、その向こうには。

 「・・・・よく、描けている」
 「ありがとうございます。それもこれもグレイグ将軍、貴方の言葉のお陰です・・噂のホメロスも、貴方の思い出のホメロスも確かに存在していた、全てが真実だって」

 僕ね、と青年が続ける。

 「思ったんです。ホメロスという人はやっぱり分からない。でも、あの手紙を見て、たとえ直接触れてもらったことがなくても、言葉を交わしたことはなくても、ホメロスは僕の父親だ。これだけは確かだって」

 青年の顔には、もう影はなかった。

 「あんな子供の下手くそな絵を、額縁に飾って大切にしまっていてくれた・・誰に何を言われても、きっと僕のルーツは父と母の喜びだった。そう、思うんです」
 「・・・そうか。一つ、相談なのだが、この絵をくれないか?」
 「え? まあ、構いませんけれど。きっと、この国にあった方が絵にとってもいいでしょうし」

 グレイグはしばらくその絵を見つめた後に、おもむろに懐から巾着を取り出して青年に渡す。なんとなしに受け取った青年は、巾着の重さに思わず落としてしまった。その衝撃から少し開いた巾着の口からゴールドが飛び出す。
 重さから相当な金額だと悟った青年は慌てて巾着を拾うとそのままグレイグに半ば押し付けるように突っかえす。

 「こ、こんなに頂けません! 何よりこれはたかが課題の絵で、」
 「画家は、こうやって絵を売って生きていくのだろう? 今は何も言わずに持って行ってくれ。俺もお礼をしたいんだ。君のおかげで、ホメロスをまた知れた」

 尚も眉根を寄せる青年の手をゆっくり戻すとグレイグはその頭に手を置いた。

 「あと、少し前に描いてくれた娘の絵の分も含まれてるからな・・妥当な金額だとおもうぞ。これから旅で何かと入り用だろう、持っていきなさい。そして、たまにはデルカダールへ帰っておいで。きっとホメロスもそう望む」

 青年は顔を下に向けると、ゴールドが詰まった巾着をぎゅっと抱きしめた。そこには、金額以上の価値がある。青年は、それを噛み締めていた。

 「・・・・ありがとうございます。沢山、誰かの心をふるわせる絵を描いて、認めてもらって・・人生の幕を下ろした時、それらを持って行って父に笑ってやるんです。名誉も地位も力だけで得るものではないって。その為に、証明してやりますよ・・・・一生かけて」

 顔を上げた青年は、そう言ってホメロスそっくりに笑った。

 青年が去った後、グレイグはあの絵をさっそくホメロスの私室に飾った。
 
 時が経ち随分日に焼け、飾ったグレイグもいなくなった後に、その絵は取り外された。なんでも描いた本人の遺言の元、彼と一緒に墓へ埋められたらしい。
 一緒にいれた無数にある絵のせいで棺桶の蓋が閉まらなかっただとか、かのグレイグ将軍の養子だったとか、いやあの行方不明のホメロス将軍の血を引いてただとか、様々な噂を持っていた画家の墓はデルカダールの丘の上に堂々と立っている。
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